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山陵志   

●蒲生君平先生、享和元年正月、『山陵志』卷之一に曰く、
『古之帝王 其奉祖宗之祀 而致仁孝之誠也、郊以配乎天、廟以享乎 祖、配乎天則作之靈畤、至尊至嚴 禮弗敢■(三水偏+賣=けが、涜)、享乎祖則立之大宮 以置祝宰百世弗毀、特報其有盛徳丕烈者焉、而其餘各就山陵 以時將常典、有事而■(示偏+壽=いの-り、祷)告、於是諸陵寮之職掌喪祭之禮供幣之數及陵戸名籍與其禁令、而正其兆域、修其垣溝、虔共所職其有儀則、故曰、山陵猶宗廟也、苟無有之則臣子何仰焉、臣子惟仰乎此而祀焉、則其禮隆矣、律謀毀山陵謂之謀大逆、與居八虐之一焉則其刑重矣、是王者之以孝治天下、所由而基也、胡其可不畏敬哉
○この譯文を掲げんに、
『古の帝王、其の 祖宗の祀を奉じて、而して仁孝の誠を致すや、郊には以て天に配し、廟には以て祖に享す。天に配しては則ち之れが靈畤を作り、至尊至嚴禮して敢て涜さず。祖に享しては則ち之が大宮を立て、以て祝宰を置き百世毀たず。特に其の盛徳丕烈有る者に報ゆ。而して其の餘各山陵に就き、時を以て常典を將ひ、事有り而して祷り告ぐ。是に於て諸陵寮の職、喪祭の禮供幣の數、及び陵戸名籍と其の禁令とを掌り、而して其の兆域を正し、其の垣溝を修め、職とする所を虔共して其儀則ち有り。故に曰く、山陵とは猶宗廟の如きなり。苟も之れ有ること無きときは、則ち臣子何をか仰がむ。臣子惟々此に仰ぎて祀るときは、則ち其の禮隆なり。律に謀りて山陵を毀つ、之を大逆を謀ると謂ふ。與りて八虐の一に居るときは則ち其の刑重し。是れ王者の孝を以て天下を治め、由りて而して基づく所なり。胡んぞ其れ畏敬せざる可けむや』(『勤王文庫 山陵記集』大正十年七月廿日「大日本明道館」發行)

○更らにこの現代譯文を柴田實氏の著書に委ねるとすれば、曰く、
昔の 天皇が御祖先の御祭をして孝行の誠をおつくしになるには、天神に對しては靈畤(まつりのには)を作つてお祭り申上げ、御祖天照大神の御爲には神宮をお立てになつてお齋ひ申上げてあるが、その他の御歴代に就いては山陵において時々のお祭をなされ、事あるときにはこれに告げ、これにお祷になつた。そのためには諸陵寮といふ役所がおかれて御葬祭のこと、幣物をお供へすること、お守りの家のこと竝びにその禁令等のことを掌り、御陵の兆域を正してその堀や垣を直したのである。それ故にこそ「山陵猶宗廟也」、山陵といふものはみたまやと同じである。それがなければ臣民として何を仰ぎ、何にお參りしよう。君民はただこれを仰ぎまつることによつて國の禮は隆んとなるのである』と。(『蒲生君平の山陵志』昭和十七年九月十五日「日本放送出版協會」發行)

 愚案。文武帝の御宇に制定せられた律に於て、山陵を毀つ者は 皇居を破壞するものと同樣のことゝ看做され、共に大逆罪として所謂る、八虐の第二に算へられた。當然のことながらこれは最も重罪の一つであつて、絶對に赦す可からざる罪であつた。
 後々、律令の制度が緩み、次第にかやうな刑罰も有名無實と化していつたのである。だがしかしこれを更らに深めて觀察すれば、果して制度上の形骸化を以てしてのみ、前日前々日に記したやうな、御陵に對する餘りにも寒心耐へざる状況が惹起されたのであらうか。現代の國旗國歌に對する法制化も、現時點を鑑みれば諒とす可きと頷きながら、吾人は、これで心安らかなる能はず。抑も法制化を必要とせねばならぬその現實を鑑みれば、已然、暗澹たる思ひを禁じ得ないのである。
 よつて吾人は『山陵志』が、單なる太古への郷愁や地學的好奇心から出でた研究にとゞまらず、蒲生先生の眞意を茲に看取す可きであらう。事實として、蒲生先生の素志は、後の勤皇維新、皇政復古に翼贊したところ多しと云はねばならない。これ野生が皇政維新を念ずるひとりとして、所謂る過剩過大に先達を評するものにあらず。只だ儼然たる事實を記したまでである。



 ところで、誤解を被らむ虞れのあるが爲め、おほけながら敢へて餘談を付加す。
 如上、『郊以配乎天、廟以享乎祖』とは、神武天皇が大和御平定に當たり鳥見山に靈畤を立て御祭り遊ばされたことゝ、崇神天皇が初めて 天照大神を大和笠縫にて齋き祭らせられたことを差してゐるのであるが、これは支那思想に基く云ひであつて(支那では「郊」は、天子が天を祀ることを意味し、「享」は死した人の靈を祀るの意なり也)、日本に於ける、この場合では言葉に適當を得る能はず。ものゝ逸話によれば、蒲生先生が「山陵志」を平田篤胤大人に提した時、篤胤大人が一讀してこれを指摘なされたと云ふ。蒲生先生、篤胤大人のこの批評に、頗る承伏するところ大なりとなん。
 當時は皆、漢文を學び用ゐ、漢文によつて思想を示さむとするの時代、仕方なきことゝ思ひながら、亦た即座に異を申上げた篤胤大人の見識も瞠目す可きところありと敬服すべし。

 ・・・續く。

by sousiu | 2011-12-06 20:20 | 先哲寶文

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