たゞいま。  

 長らく冥想してをりました。
 昨夜、宮城縣の自稱變人・三森兄より電話をいたゞき、はつと我れに返つた次第で御座います。


 冥想してゐる間、金正日が瞑したさうだ。
 讀賣新聞の報道によれば、自由北韓運動連合の朴氏曰く、『正直言つて、やつと死んでくれたと思ふ。國營テレビで悲しむ住民らが映つてゐるが、あれは大半が演技だ』と。もしも事實ならば獨裁者に共通してみられる、あはれな末期であるといふほかない。

 嘗て支那には秦の始皇帝と名乘る、嬴(えい)政(せい)といふ者が登場した。支那の歴史が始まつて以來、最強の統一國家であつた筈の秦は、その滅び方に於ても他に例をみないスケールの大きさを示した。獨裁者・嬴政の死後、秦は足掛け三年、僅か滿廿七ケ月といふ短期間で、その版圖を跡形もなく消え失せたのである。無殘、木造建築としては歴史上最大とされる阿房宮も、嬴政の宮殿であつた咸陽宮も項羽によつて燃やされてしまつたのである。(參考文獻、司馬遷『史記』。但し、阿房宮を燃やした者は項羽ではないとする異説あり、どちらが本當かわからんが、ま、今は如何でも宜い)

 經綸を顧みることなく人心を慮ることなき獨裁政治の末路は、古今にたゞ、慘たるものである。肯定的に考へれば、獨裁政治の持つ意義は、次の英雄の出現を促す爲めのものであるのか。

 今こそ北朝鮮に拉致された日本人を救出する好機であるといふ意見が目立つ。
 拉致された方々の家族には希望が芽生え、政治家にはその期待に應へるだけの結果が求められる。結果には繋がらなかつたが努力はした、といふ事後報告だけではさう何年も胡麻化せるものではない。家族が鶴首して待望するものは結果なのである。
 但し誤解を恐れずに云へば野生はそれ丈で足れりとするものではない。今日、野生の遺憾とするは、かういふ千載一遇の機會に遭遇し、未だ日本の實力が萬全でない、換言すれば未熟、極言すれば無力であるといふことに他ならない。野生とて一日も早く被害者が、皇國の土に歸せるやう懇望する一人ではあるけれども、憚ることなく有體に申せばそれは理想の最高位ではない。拉致被害者の救出は政治家達に課せられた當面の目標であるし、率直に云へば義務だ。我れら北朝鮮と直接交渉の權限を與へられぬ者は、無事歸還をひたすら懇祈し、時にはその任にある者を激勵乃至叱責することだ。而して我が理想を申すならば、一日でも早く北朝鮮の民が再び皇謨に服し、眞の道に開眼することである。さすれば彼れらは衷心の謝罪と共に一刻も早く拉致した日本人を歸へすこと火を見るよりも明らかである。
 噫、我れらの惜しむらくは、獨裁者の歿する彼の地に日本の影響力乏しくあることだ。加之、現在の我れら日本人が、彼の國民の指導者たる可き資格も自覺も失せんとしつゝあることだ。轉じて見遣れば時期尚早、混亂を招來するであらう獨裁者の死を迎へるに際して、遺憾乍、未だ我れらに快刀亂麻を斷つ可くの實力が養はれてゐない。本來大和民族は彼の如き獨裁的國家體制・恐怖政治を容認する考へを持たない。壓迫され虐げられる民を一衣帯水の近くで指をくはへ傍觀する義なき民族でも無い筈だ。神功皇后の御偉業をみよ。
 だのに今日の爲體を看るに付け、野生はそれ啻に我れらが能力如何の問題にとゞまらず、六合を兼ね八紘を掩ふの聖敕、萬里の波濤を開拓して國威を宇内に宣揚するの大詔を必謹する姿勢そのものが弛緩してゐるゆゑと苦情を漏さずにをられない。

 大東亞戰爭に於ける敗戰は決して恥辱ではない。昭和廿年八月十五日、大詔を奉戴した我が父母祖父母の選擇は申すまでもなく正しいものであつた。誠の恥辱と呼ぶ可きは、以後の我れらが敗戰を口實に、詔を奉戴するその民族の大事を忘却せむとすることである。恐る可し、思ふ可し。
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by sousiu | 2011-12-21 00:48 | 日々所感

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