國語の正統を守る民族派有志の會  

 本日は、新宿區の御苑倶樂部で行はれた、第一囘『國語の正統を守る民族派有志の會』(呼び掛け人、中村信一郎、森田忠明先生)に參加。
 大變、有意義な會であつた。
 森の中では木の葉も隱れる。こゝでは、最早、野生は變はり者ではない。それどころか、參加者はみな、正假名、正漢字の識者。教はることばかりであつた。千兩、千兩。

 當日常で再三再四述べたが、野生は國語の正統表記は傳統護持であり、つまり國防であり、翻つて野生の主張そのものであり、思想そのものである。或る人の曰く、『讀まれなければ意味がない』と、正統な表記が敬遠されることを顧慮するが、敬遠を惧れるならば『國體護持』『皇運扶翼』『承詔必謹』といふことばは總じて、馴染みがない熟語といふそれ丈の理由で、結局は敬遠される。よし、かくなる上は、それをも避けて、簡單明瞭なるこれらの熟語を用ゐず、くどゝゝしくとも普段使用する言葉を組み合せて訴へるとしよう。だが、それで本當に大衆が、復古維新の理想に同意するのか。左まで云はずとも、戰後民主主義を頭から捨て去る能ふのであらうか。
 若しも、我れらの啓蒙が今日、效果なきと云はぬまでも、牛歩遲々と思ふのならば、それ、原因は云ふまでもなく理想が間違つてゐるのではない。固より、今は馴染みがない熟語を用ゐてゐるからでもない。況して占領國語表記(戰後表記)を用ゐてゐないからでもなんでもない。國民の生活に、社會に、斯くなる理想も熟語も正統表記も疏遠となつたが爲めである。而、だからこそ、我れらの運動の必要性が存する。抑も我れら國民は、當時の米國教育使節團や現在の日教組による國語改惡計畫に與する可き理由が無い。
 肝腎なことは、その發信者たる我れらが確乎たる自信を持つことである。それなくして、熟語に、若しくは正統表記に責めありとせば、日蓮の如きに笑はれてしまふことは避けられまい。好むと好まざるは別にせよ、彼れらは「南無妙法蓮華經」と唱へることをやめず今に至つたのだ。
 現代の萬人が我が理想を嘲笑せんとも、上記熟語に苦笑せんとも、國語の正統表記に笑止せんとも、この理解を得られるまで妥協せず、自信と確信を以て善導せむとするの信念が、啓蒙者には問はれるのである。

 ことに興味深き御意見として、一參加者の曰く、是非はともあれ猶太があれだけの力を逞しくさせた一因は、國なくともみな、言葉を忘れず大切に護つて來たことである。一方、領土あれども自國の言葉をおろそかにした民族は頽廢し、やがて滅びる、と。例として埃及はじめ他國や、或いは歴史的にも論證されてゐたが、不覺にもこゝで説明出來るほど、記憶に自信が無い。汗。

 さても隣席の福田邦宏先輩、またゝゝ變態的發言を述べる。このまゝ放つておくと、神代文字のことまで云ひ出しかねず、よつて割つて入つた。お許し、いや、感謝していたゞきたい。

 ともかく、かうした研究や論議する會合があることは宜いことだ。
 ちよつと視野を轉じてみれば、なるほど、色々な運動がある。
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by sousiu | 2012-01-16 23:41 | 報告

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