惡書紹介 「米國教育使節團報告書」 

 承前。

 如何に當時の占領軍が、國字の表記改惡に熱意を注いだのであるか。

 『米國教育使節團報告書』(第一次)は、第一章「日本の教育の目的及び内容」から第六章「高等教育」に分けられてある。その内の一つ、第二章を、「國語の改革」として設けてある。彼れらがどれだけ、國語表記の改造に意を逞しくさせてゐたか、この一事を以て識る可し、だ。

 抑も、米國教育使節團とは何であり、何の目的を抱いて日本を訪れたか。報告書より拔萃しこれを知らむとす。
●第一次 米國教育使節團報告書(昭和廿一年三月卅一日)「前がき」に曰く、
『本年(昭和廿一年)一月の初めに連合國軍最高司令官は、日本の教育に關する諸問題につき總指令部竝に日本の教育者達に助言を與へ、かつ協議するために二十名餘りの米國の教育者の一團を約一ケ月間日本に送つて貰ひたいと陸軍省に要求した。長期間にわたつて日本を再教育して、その方向を向け直すやうな計畫を立てる責任があるといふことについて、當時ワシントンで議論が交されてゐたので、陸軍省はその團員の最後的人選を國務省に頼んだ。個人の資格その他廣い範圍にわたつて種々な點を考へた末、更に總指令部の意向も十分取りいれて、二十七名の一團が選ばれ、ヂヨーヂ・D・ストダード博士が團長に任命された。~以下略~』と。※文中、括弧及び括弧内は野生による、以下同樣。

●仝「序論」に曰く、
『米國教育使節團は、元來聯合國軍最高司令官によつて提案されたものである。その來朝は多くの自由主義的な日本の教育者に希望を抱かしめた。これら聯合國軍の要望と民間の期待とを結んで、我々は歴史的な重大時機に嚴肅な氣持をいだいて來朝したのである。我々は、征服者の精神を持つて來朝したのではなく、すべての人間には、自由を求め更に個人的竝に社會的發展を求める測り知れない力がひそんでゐることを確信する教育經驗者として、來朝したのである。
 しかし、我々の最大の希望は子供にある。事實彼等は將來といふ重荷を擔つてゐるのであるから、重い過去の遺産に押しつぶされてはならないのである。そこで我々は、過つた教授をやめるだけではなく、子供達の心情を硬化させることなくその心を啓發するやうに、教師や、學校やの準備をして、できる限り公平に機會を與へてやりたいと思つてゐる。~中略~
 結局において國民は、國民自ら自由にならなければならない。自由は自由の實行からのみ生ずるのである。もしも禁止的指令(學科及び教科書の改惡を指す)の必要を認めない人々があるならば、我々は彼等に次のことを思ひ出させてやれると思ふ。即ち新しい教育の下にあつては、日本人は最早してはならぬ事はほとんど無く、むしろ大いにしなくてはならぬ事が何千となくあるといふことである。彈壓(戰中以前の日本のことを指す)の諸條件を除き去ることが、人間の精力を開放することなのである。「人のさまたげとなるものを除去すること」が、これが禁止の狙ひである。長い歳月が經つてみれば、それは却つて鎖を解いてやつたものとして、その眞正な姿を認められるであらう』と。

     
 さて。報告書中にある、戰後の國語表記改惡といふ一大痛恨事を惹起せしめた文章を、徳富蘇峰翁「近世日本國民史」の筆法を眞似て順次、下記に抄録す。(出典『文部時報』第八百三十四號、昭和廿一年十一月十日發行)

●仝、「第二章 國語の改革」に曰く、
『日本の子供達に對して我々が責任を感じさへしなければ、これに觸れずにゐた方が愼み深くもあり氣樂でもあつてよいと思ふ問題に、こゝに當面するのである。言語は國民生活に極めて密接な關係をもつた一つの有機體であるから、外部からそれに近よることは危險なのである。しかしこの密接な關係がまた專ら内部から行はうとする改良をさまたげてゐるのでもある。何事にも中間の行き方があるが、この場合それは立派な中庸の道になるであらう。國語の改良はどんな方面から刺戟を受けて著手してもいゝが、その完成は國内でするより外にないことを、我々は知つてゐる。我々が與へる義務があると感ずるのは、この好意の刺戟であつて、それと共に、未來のあらゆる世代の人々が感謝するにちがひないと思はれるこの改良に、直ちに著手するやう現代の人々に大いに勸める次第である。深い義務の觀念から、そしてただそれだけの理由で、我々は日本の國字の徹底的改良を勸めるのである』と。
 これがGHQ側の自分で取り繕うた立場だ。彼れらは、あくまで、日本にとつて懇切であり、親身なる保護者と云はむばかりだ。だがそれ、眞相は慈善ではなく、僞善だ。詐欺師は詐欺師の言辭を發する能はず。然も、彼れらの僞善は、此の日に始められたるものではない。それ、終戰及び東京裁判然り。況んや開戰及び其の過程に於てをや。

『日本の國字は學習の恐るべき障害になつてゐる。廣く日本語を書くに用ひる漢字の暗記が、生徒に過重の負擔をかけてゐることは、ほとんどすべての有識者の意見の一致するところである。小學校時代を通じて、生徒はただ國字の讀方と書き方を學ぶだけの仕事に、大部分の勉強時間を割かなくてはならない。この初期數年の間、廣範圍の有用な語學的及び數學的熟練と、自然界及び人類社會に關する主要なる知識の修得に充てられるべき時間が、この國字習熟の苦しい戰ひのために空費されてゐるのである。漢字の讀み書きに過大の時間をかけて達成された成績には失望する』
 これは全く御節介な申し分だ。しかのみならず、獨斷と偏見に滿ち、凡そ事實に反してゐる。つまり彼れらの調査では、日本の學生は漢字と假名を覺える爲め、小學校の教育過程に於ける大半の時間を要せねばならぬ、と。無學の野生が中年の硬化しかけた腦味噌で、完全とは云ひ難くあるも正統表記を解した事實を鑑みれば、福田恆存翁の言に俟たざるも、この調査は事實に反してゐること明瞭に過ぎると云ふものだ。蓋し、この調査が、名義のみのものであるといふことを自白したやうなものである。いづれにせよ、彼れらは我れらに手を差し伸べると云はんか、手を加へる丈の理由を陳列した。

『小學校を卒業しても、生徒は民主的公民としての資格には不可缺の語學能力を持つてゐないかも知れない。彼等は日刊新聞や雜誌のやうなありふれたものさへなかなか讀めないのである。概して、彼等は現代の問題や思想を取扱つた書物の意味をつかむことができない。殊に、彼等は卒業後讀書を以て知能啓發の樂な手段となし得る程度の修得さへ、でき兼ねる(難ねる、の誤り乎)のを常とする』
 これも彼れらによる當時の日本の教育に對する觀察眼だ。固より、我れらが要人乃至は關係者も、この一方的な報告に首肯するよりほかは仕方が無かつたであらう。尤もその理由は、侵掠者の日本の教育に對する觀察が正鵠を射てゐたからではない。侵掠者の鋭利な眼光で觀察されてゐるのは自分達の反應と態度であるといふことを充分認識してゐたのだ。

『中等學校に入學する十五パーセントの兒童にとつても、依然として國語問題は解決されぬ。これら年上の少年男女は、相變らず國字記號の修得といふ果てしない仕事に骨を折るのである。何れの近代國家に、かやうなむづかしい時間のかかる表現と傳達の、ぜいたくな手段を用ひる餘裕があるであらうか。
 國語改良の必要は、日本においてすでに長い間認められてゐた。著名な學者達がこの問題に多大の注意をはらひ、政論家や新聞雜誌の主幹をふくむ有力者の中には、實行可能な方法を種々研究したものが多い。約二十に上る日本人の團體が、今日この問題に關係してゐるといふことである。大體において、三つの國字改良案が討議されつつある。第一は漢字數の制限を求め、第二は全然漢字を廢止して、ある種の假名を採用することを要求し、第三は漢字も假名も完全に廢棄して、一種のローマ字を採用することを要望する』
 愈々彼れらは彼れらの本旨を露出せしめた。彼れらが好む順序は、モア、ベター、ベストだ。精しくはこの場合、第一よりも第二、第二よりも第三だ。

 本旨を暴露せしめた彼れらが、次に披露したるは本音だ。
『これらの諸案(三者擇一のこと)の中、何れを採るべきかは、容易に決定することができぬ。然し、史實と教育と言語分析とを考へあはせて、使節團は、早晩普通一般の國字においては漢字は全廢され、そしてある音標式表現法が採用されるべきものと信ずる。かやうな表現法は比較的修得に容易であり、また全學習過程を大いに簡便にするであらう。この表現法によつて、辭書、カタログ、タイプライター、ライノタイプ機、及びその他の言語補助の用法が、簡單になるであらう。更に大切なことには、この表現法によつて日本の大衆は、藝術、哲學、科學、及び技術學上の自國の文書中に存在する知識と智慧に、一層親しみ易くなるであらう。それはまた日本人の外國文學研究を容易ならしめるであらう』
 いくらなんでもこの助言(の名を借りた強制)には無理がある。タイプライターが使ひ易くなるから、自國の言語表記を一切やめて、一層のこと羅馬字表記に變へた方が宜いといふ。何んなに高額な羽毛布團を賣り附ける惡徳營業人でも、これほどいゝ加減な親切言を用ゐることはあるまい。

『漢字といふものの中に存するある審美的その他の價値が、音標法では到底十分に表はせないといふことは容易に認められる。然し、一般の民衆が國の内外の事がらに良く通じて、はつきり意見が述べられるやうになるべきであるとすれば、もつと簡便な讀み書きの手段が與へられなくてはならぬ。統一された、實施可能な計畫の完成には、時日を要するではあらうが、然し今こそ著手の好機であると思ふ。
 使節團の判斷では、假名よりもローマ字に長所が多い。更に、それは民主的公民としての資格と、國際的理解の助長に適するであらう』
 小さな親切大きなお世話と云はんよりも、全く迷惑千萬な話しだ。加へて吾人の憾むらくは、占領下に乘じて、戰前より棲息した一部の羅馬字論者が、頭を擡げ來たつたといふことだ。

 さて、鐵面皮たる米人は益々その面の皮を厚くと申さんか、固くした。而して當時の我れらは、やはり、俎上の魚たるの立場を認めざるを得なかつた。曰く、
『必然的に幾多の困難が伴ふことを認めながら、多くの日本人側のためらひ勝ちな自然の感情に氣付きながら、また提案する變革の重大性を十分承知しながら、しかもなほ我々は敢て以下のことを提案する。
一、ある形のローマ字を是非とも一般に採用すること。
二、選ぶべき特殊の形のローマ字は、日本の學者、教育權威者、及び政治家より成る委員會がこれを決定すること。
三、その委員會は過渡期中、國語改良計畫案を調整する責任を持つこと。
四、その委員會は新聞、定期刊行物、書籍その他の文書を通して、學校や社會生活や國民生活にローマ字を採り入れる計畫と案を立てること。
五、その委員會はまた、一層民主主義的な形の口語を完成する方途を講ずること。
六、國字が兒童の學習時間を缺乏させる不斷の原因であることを考へて、委員會を速かに組織すべきこと。餘り遲くならぬ中に、完全な報告と廣範圍の計畫が發表されることを望む。
 ~中略~ 今は國語改良のこの重要處置を講ずる好機である。恐らくこれ程好都合な機會は、今後幾世代の間またとないであらう。日本國民の眼は將來に向けられてゐる。日本人は國内生活においても國際的關係においても、新しい方向に動きつつある。そしてこの新しい方向は文書通信の簡單にして效果的な方法を必要とするであらう。また同時に、戰爭が多くの外國人を刺戟し、日本の國語と文化を研究せしめてゐる。この感與を持續せしめ、育くまうとすれば、新しい書記法を見出さなくてはならぬ。國語は廣い公道たるべきもので、障壁であつてはならない。世界に永き平和をもたらさんとする各國の思慮ある男女は、國民的な孤立と排他の精神を支持する言語的支柱は、できる限り打ちこはす必要のあることを知つてゐる。ローマ字採用は、國境をこえて知識や觀念を傳達する上に偉大な寄與をなすであらう』と。
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 危機一髮、かくも累卵の危機に晒されながら、日本に於ける羅馬字表記は囘避された。
 米國が日本人に對して、終戰以前の歴史との訣別を熱望したことは固より明白だ。
 なほ、桑港條約締結後、國内では、當然起り得る可きことゝとして正統表記を復元させようとする運動が高まつた。されど惜しい哉、實る能はず。これには樣々な要因が擧げられようが、主なる理由として、日教組ら教育者による脅迫的反對運動があつたことを吾人は忘れてはならない。だが、それ以上に忘れてはならぬのことは、當時、俎上の魚となるも國語を守らむと螳螂の斧を揮ひ戰つた人たちのあつたことだ。我れらは國語といふ文化防衞の恩人である彼れらに對して、啻に我れらの爲めと云はんよりも、寧ろ日本の爲めに敬意を表さねばならぬ。

●福田恆存翁、『私の國語教室』(平成十四年「文藝春秋」發行)に曰く、
かうして幾多の先學の血の滲むやうな苦心努力によつて守られて來た正統表記が、戰後倉皇の間、人々の關心が衣食のことにかかづらひ、他を顧みる餘裕のない隙に乘じて、慌しく覆されてしまつた。まことに取返しのつかぬ痛恨事である。しかも一方では相も變らず傳統だの文化だのといふお題目を竝べ立てる、その依つて立つべき「言葉」を蔑ろにしておきながら、何が傳統、何が文化であらう。なるほど、戰に敗れるといふのはかういふことだつたのか』と。

●市川浩氏、仝、「解説」に曰く、
『敗戰後一年半にも滿たない昭和二十一年十一月十六日、「現代かなづかい」と「當用漢字」(以下、新かな・新字と略記)が内閣告示として制定された。此の日は日本國憲法の公布から十三日目に當り、時を同じうして憲法と國語といふ、國と民族の根幹に重大な改變が、加へられたのである。此の結果、日本は、それまでとは全く異る國家、種族へと變容した。此の半世紀の間、變容は成功したかに見えた。しかし同胞の努力で實現した繁榮もバブルの崩潰と共に束の間に消え去つた今、あの變容の中には聯合軍の企畫した「日本弱體化」も組込まれてゐたのではなかつたか、其の原點の再吟味と辨別が、民族の再生のために要請されてゐる』と。
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by sousiu | 2012-01-17 19:18 | 良書紹介

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