おはやう、ぢやないよ、おやすみなさいだよ。 

 毎月、依頼されてゐる『芳論新報』の原稿をたゞいま脱稿。
 締め切りを大幅に延ばしてしまつた。汗顏。

 今囘を終へて、連載から算へると漸く廿囘だ。大體、毎囘が四百字詰め原稿用紙を九枚から十枚。これから芳論新報社事務所にフアクスして、布團に入り、假眠して又た出發だ。

 先月だつたか、大阪の志賀智仁君に「山陵志に就て書かうかな」と呟いたところ、當日乘で「山陵志」を記したことを識つてゐる彼れは「禁じ手ではないか」と云はむばかり、苦笑してゐた。怒。
 だが、さうも口にしたくなるほど、書くに苦惱する時がある。正確に言を用ゐれば毎月、毎囘・・・かも。

 嘗て、籍を置いてゐた弊社々員が月刊機關紙を發行してをり、ネタ(といふのが適切かどうか解らぬが)に盡きつゝあることで、苦々たる心境を漏せたことがある。野生はこの言に對して一丁前にも説諭したものだ。
 野生の云はむとしたことは、かうだ。
 反日政策や反日發言がある際、筆意雄健、墨痕淋漓となるのは宜しとしても、これらが出現せぬ時に書くに惱むといふことは如何なるものか。それでは反日が活性すれば共に活性し、反日が沈默すれば均しく沈默するといふことに他ならない。紙面が面目躍如ならんとする爲めには、心の知らざる何處かで、反日的言動を欲してしまふからして、實に怪しからん。畢竟、右翼といふも左翼といふもそれは戰後史觀といふ胴體に於ける、腹背の干繋ではないか、と。

 以前、福永武道兄と、これに似たやうな話題となつたことがある。兄曰く「然り、それは負の祈りともなつてしまふのだから」と。さすが、兄ならではの答へだと思つた。

 固より左翼の對義語が右翼であるといふのは、それは固有名詞の別から考へるならば、なるほど、さう云へなくもないが、決して反日活動家あらねば尊皇家あらぬ、といふことではない。
 以前、東西冷戰構造も終はり暫らくして、野生は、陣営の外堀の住人から、「左翼が停滯し右翼も存在意義を失つたでせう」と意見されたことがあつた。全く見當違ひも甚しい。だが、若しも野生の側に、見當違ひをされる理由があるといふ御指摘を受けるのであれば、そは今でも眞摯に受け止めるつもりである。




 目立つた反日的話題がなくとも、記さねばならぬことは山の如くあるし、それに困るのであれば、別段時局を論じるに急ぐ必要も無い。ひとり心しづかに歴史を繙き私見を發表するも宜し。近眼視が良いといふものでもなし、ものごとを大觀、我が道を檢證するも宜し、だ。
 いくら神國と雖も、無論、衰微はある。しかし滅亡はない。終末思想に捉はればこそ焦燥にはしりがちだ。だがそれも義侠心あるが爲めに生ずる正義感だ。故に苦情をいふつもりは無い。たゞその貴き義侠心も正義感も、より神國に對する確信が加はり終末思想を捨て去れば、さらに光輝を増し有効なる力となること疑ふべくもない。
 
 ともあれ、さうした二人との會話を思ひ出し、脱稿後の解放された氣持ちを堪能しつゝ、珈琲を飮んでゐる。結局、野生もまだゝゞ未熟だといふことだ。


 ん?福永氏?さうだ、今週は「歌道講座」があるのだつた。・・・また産みの苦しみを味ははねばならない。

 取り敢へず、おやすみなさい。
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by sousiu | 2012-01-18 08:44 | 日々所感

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