歌道講座  

 今日は、歌道講座へ。二ケ月に一度の樂しみだ。
 和歌は和(こた)ふる歌である、と。歌を通じて學ぶところ多く、野生の樂しみは單に歌の添削のみとしない。 固より、こゝ歌道講座の主旨が、單なる歌に於ける技術的な成長のみを以てよしとするところではないのである。

 今度び、「天」に選ばれた秀歌は、木川智兄のうたであつた。

 木川智兄の哥
 ふるさとの 駅降り立てば 息白く 永き家路も あと僅かなり

 彼れは二首を詠んだのであるが、いづれも良い歌であつた。



 因みに野生も二首を詠んだ。

 壽ぎて 九重仰ぐ 民草の ひたすらにして 絆は深し

 お年玉 せがみし吾娘(あこ)の 面影も 今はなつかし 着物(はれぎ)すがたに

 何だか、半年前、和歌のことに就て何も知らなかつたころを考へると、下手ながらもからうじて詠むやうになつてきた。赤面。

 餘談であるが、眞由美先生の添削と、福永武兄の添削は、ほゞ同じ箇所で同じ内容であるといふ。
 歌の世界では流派といふのか何といふのか分らないが、それを正統に受け繼ぐといふことは、かういふことなのかも識れない。それは偏狹で、窮屈な考へ方といふことでない。自分の信ずる流派に屬するうへで、むしろ當然とさうなつてゆくものなのであらうと思ふ。しかるに、影山正治先生の志操は、今猶ほ面目躍如し後世の我れらに影響を及ぼされてをられるのである。逆言せば、正統なる繼承者の存在ありて、吾人は、影山先生の志操に接すること叶ふのである。
 同樣に、それは、信仰、思想の世界でも云へる。
 況んや、日本人としての、敬神 尊皇に於てをや、だ。
 時代と共に人が變はることは認めても、日本人としての節操や面目が變はつてはならない。


 大東會館を後にして、木川選手と乃木神社社務所二階で行はれた『維新公論會議』に參加。
[PR]

by sousiu | 2012-01-21 20:43 | 報告

<< 虎穴に入つて來ました。   おはやう、ぢやないよ、おやすみ... >>