虎穴に入つて來ました。  

 昨日は、渡邊文樹氏の映畫を鑑賞。而して、會場で氏と大行社・木川智兄とで鼎談を行なつた。

 意外な企畫だが、これは渡邊氏の申し出によるもの。木川兄も野生も、何ぞ逃げる理由やあらん。いざ、だ。
 愛倭塾の山口、平田兩先輩、大行社湘南支部の仲村女史、銀杏結社(休眠中)河野全責任者も應援に來てくれた。

 野生は、渡邊氏のみならず、今日所謂る反日、反天■を叫ぶ者の殆どは、國賊ではないと信じてゐる。
 では、何か。彼れらは日教組教育や、戰後の誤れる歴史觀の犧牲となつた、未だ皇國の民たる自覺に至らざりし歴とした 天皇の赤子だ。
 野生のなかでは「國賊」とは、敵に與へる最上位の呼稱だと思うてゐる。例すれば、曾我入鹿、弓削道鏡、足利三代などは十分、さう呼ぶに相當する。而して、勤皇家たるもの、これら國賊を認めたとき、如何なる態度を以て接すべきか。そは口舌の徒に齊しき野生が語る能はず、それこそ歴史を開けば、先達が御自らが行爲して、吾人に教へてくれてゐる。
 一方、未だ至らざる人には如何に接すべきか。尊皇家は、既にそれ丈で皇國民としての教師たるべき資格を有してゐると野生は解釋する。資格と云はずんば、自覺だ。よつて兩者は、教師と生徒にも似た關係であると結論する。尤も教師がさうであるやうに、時には叱責せねばならない。時には懇々と説かねばならぬこともあるであらう。どれだけ、皇國臣民として名教師となり得るか、それが又た、日教組教育の汚染擴大を食ひ止める重要な一つであるとも思ふのだ。

 ところで、恥づべきことに右翼の名を用ゐつゝ、マスコミ受けを狙ふ(つまり大衆迎合)のあまり、誇りを捨て、未だ至らざる者の發言に淺はかな同意と理解を以て接する曲學阿世の徒がある。匹夫の勇ならぬ、婦人の仁だ。が、このテの手合ひは、教師たるべき資格を自ら抛棄した者と看做して宜いだらう。抑も、皇國臣民としての、教師たるべき資格を有してゐるのかどうかさへ、野生は怪しむに遅疑しない。
 野生は少年時代、恥ずかし乍ら、學業あまり振はず、持病である面倒臭病が頻々發症して學校も行つたり行かなかつたりであつた。そこで見たものは、教師に二者あり。我れら持病持ち一團に阿る者と、熱血教師との二者だ。今にして前者は名すらも忘れてしまつたが、後者は今も尚ほ鮮明に覺えてをり、成長するにつれて感謝することも少からず、ある。


 さて。渡邊氏には、日本の將來を考へるとき、何故に反天■でなければならぬのか、先づ訊ね、彼れによる冒頭の挑撥的發言にも一切心惑はされず、後半は木川選手と共に忌憚なき意見を呈した。
 野生は、一般に「反天■」を訴へる人達は、もう少し 天皇と皇國史に就て、學ぶべき必要があることを述べた。
 以下は渡邊氏に向かうて云ふのではないが、野生の識る限りに於て、反天■と云ふ人には、總じて歴史的認識が不十分であるといふ弱點を持つてゐる。率直に云へば、大凡、大東亞戰爭批判=先■批判=反天■(野生はこれにも十分な批判を加へたいが今は措く)でといふ思考的作用であつて、列聖に就ては殆ど、知識不足と云はむよりも、無知に均しい。であるから野生の如き淺學輩ではなく、研學を重ねた硬骨漢の尊皇家のまへでは、いとも簡單に論破されてしまふであらう。固よりそれ丈、造詣を深めむとすれば、殆どの者は思想的轉向を餘儀なくされる。左翼から右翼に轉向 -いや“歸結”といふべき、歟- する者は多いが右翼から左翼に轉向する者のほゞ存せぬことがこれを一層物語つてゐる。
 も一つ云へば野生は、「天皇制」といふ言葉も概念も認めない。 ↓↓乞ふ、御一讀。
◆◆呼稱「天皇制」なる言葉の本質。◆◆ http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t7/2

 君民一體の國體は、制度などてふ人工的なものではない。「皇國の眞相」と「天皇制概念乃至理念」の距離は、あまりにも遠い。亂暴に云へば、水油相合せざるの如くに齊しい。よつて、皇國の闡明には、「天皇制」の概念は無用の長物である。さういつた意味では野生も、謂はゞ「反天皇制」の立場だ。説明するまでもなく「反皇國」ではない。然も彼れらは決して「反皇國」とはいはない。日本が、皇國であると、逆説的に認めてしまふことを懼れてゐるのであらうか。或いは、天皇赤子としての本能が、それを口にさせないのであるか。「反天皇制」といふ概念の蒙昧に就て渡邊氏からの反論は無かつた。鼎談を締め括るに際して氏は、我れら二人の意見には、同意しかねるところ少なしとせない旨、申してゐたが、さりとて聽く耳がないでは無かつた。氏も、決して狹小な視野で滿足する人ではなささうだ。客席からヤジの一つでも飛んでくるかと思うたが、案外(・・・と云つたら失禮だ)、聽者も紳士であつた。決して廣いといへない會場であつたが、渡邊氏の宣傳が巧みであつたらしく、會場は滿席。この雰圍氣にあつて木川選手はまだ若いのに、實に堂々として持論を展開してゐた。天晴れなる哉。


 映畫の新作に就ては・・・、十年に一度、映畫を觀るか觀ないかの野生に問ふだけ、無駄だ。
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by sousiu | 2012-01-23 09:54 | 報告

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