西野文太郎烈士  

 西野文太郎といふ人があつた。
 長州藩士であつた西野義一氏の長男。慶應元年の生まれだ。
 肉體的には貧弱そのものゝ彼れは、一方では片意地なところが多分にあつたとか。
 友人から、膽力家、勤皇家と云はれると、得意になつた、と傳へられてゐる。(參考文獻、『大事件祕録』昭和十二年十一月廿七日「錦正社」發行)

 明治廿二年二月十一日の午前八時頃、時の文部大臣、森有禮が大臣官邸に於て暗殺された。
 刺客は、廿五歳の西野文太郎氏であつた。西野氏はその場に居合せた文部七等屬、座田重秀の仕込杖による三太刀を受け、漸く首の皮一枚を殘し、絶命した。

 森有禮は極端な歐化主義者だ。慶應元年、十六歳の時、藩主島津公の命を受けて倫敦に留學。その後、米國にも渡航。耶蘇教にも強い關心を抱くやうになり、而、日本人を未開と蔑した。明治十九年十二月、文相になり各縣を巡視、學校に招かれて訓話するに曰く、『日本人は、人に對して敬禮するのに、二度も三度も、頭の地に付くほど馬鹿叮嚀な敬禮をするが、頭を餘計下げる竸走をしてゐたら際限がない。あゝ云ふ時間潰しの虚禮を廢して、唯一囘だけ輕く下げる位にした方がよい。大體文明人はあゝ云ふ敬禮の仕方はしないもので、これから外國と交際するには、日本の未開な風習は徹底的に改良しないといかん』と説いてまはつた。
 遡れば、維新直後の廢刀論は、この森が口火を切つたものである。又た當時結成された輕薄極まりなきモダンボーイの結社「明六社」も又た、森が中心人物であつた。ほかにも「國語外國化論」の首唱者でもある。
 そんな森に纏はり、伊勢神宮不敬事件が新聞紙面を賑せた。森が伊勢の皇太神宮に於て、不敬ををかしたといふものである。これは後々、デマであるとの説も浮上するが、眞僞のほどは瞭然としない。ともかく森が斯くも新聞社に疑はれるべく、同時に、その報道が讀者に容易に信じられるべくした人物であり、西野氏の義憤忽然として燃え上がらせる理由としては充分であつたことは間違ひあるまい。
 斯くして義擧は、出來するべくして出來した。
  參考、◆◆刺客 西野文太郎の傳◆◆ ↓↓↓↓
  http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781850/1


 『大事件祕録 第四篇』(仝)に掲載される、村雨退二郎氏の記述が興味深い。
 曰く、『明治の刺客と云へば、大抵相當腕の立つ人間が多く、從つてその對格等もガツシリとしたのが普通であるが、西野は身長僅かに四尺九寸、よほど小男の方だ。その上平常からあまり健康の方ではなく、友人と腕押しをやつても一番弱く、劍道等も出來なかつた。その點では明治十五年に板垣を刺した相原尚聚と共に、刺客中の例外に屬してゐる。
 併も相原は絶好の條件の下に於て三度刺して遂に致命傷一本も入れることができなかつたのに反し、恐らく體力に於ては相原以下であつた彼が、唯一刀で森有禮を死に致したといふのは、殆ど奇蹟に近いと云つて好い位だ。
 その意味では、西野は明治維新暗殺中に、類例のない特異な刺客であつたと云ふべきだらう。多くの刺客は、勿論對手の隙を狙ふことに變りはないが、西野の如く進んで敵を欺いて敵に虚を作らせ、それに乘じて一擧に之を仆すといふほどの狡智を働かした刺客は餘りこれを見ない。
 のみならず、彼は自分の體力といふものを充分に測つてみて、到底正面から刀を揮つて斬り懸つても成功しない事を心得てゐたにちがひない。彼は前から立向はないで、横から飛懸つた。人間は前後に進退することは自由だが、横に動くことはあまり得意ではない。そこに虚がある。西野は森の腰を掴み、下腹部に出刃庖丁を突刺し、然も一刀必殺の意氣込みで、打たれても蹴られても離さず、背部に刃先が突き拔けるまで抉り續けた。恐るべき執拗さである』と。


 こは、氏の信仰するものが正に涜されむとする、その純々然とした怒りの發現に他ならない。西野烈士のみならず、山口二矢烈士も、小森一孝烈士による所謂る「風流夢譚事件」も、政治鬪爭や思想鬪爭の範疇に留めて置く可きではない。
 西野烈士は、宮城前を通り掛かると、決まつて、地面に平伏して拜禮したので、友人から「立つて最敬禮する法もあるのに、態々高山彦九郎みたいな事をして着物を汚さなくてもよいぢやないか」と云はれたといふ。
 信仰心を如何に考へるかはそれゞゝあるとしても、かうした至誠至純の心がより嵩ずるの折、まゝ時代の變革を促進させることは、吾人は歴史の上からも否定するわけにはいかない。明治維新の原動力が、神道に無關係でないことは説明するまでもない。

 先般、京都市にある高山彦九郎先生像に、白ペンキを投げた癡漢がゐるといふ。單なる惡戲であるか何であるのか野生に知る由もないが、地元の住民をはじめ高山彦九郎先生を崇拜する有志としてみれば、物質的損害に猶ほ倍して餘りある心情的悲痛を感ぜざる能はざることは拜察するまでもない。
 世は閉塞の感止み難く、人心汲々以て世知辛く、このやうな世相であるからこそ、日本人は科學萬能熱より頭を冷やし、信仰するの心を見直さなければならない。
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by sousiu | 2012-01-24 01:21 | 先人顯彰

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