直毘靈、抄録  

 『文章報國は予の天職である』と、蘇峰徳富猪一郎翁は云つた。
 固より野生の文章なぞ、如何に思案を重ねたとて報國といふ域には至らない。
 されど、決してこれを卑下するものでない。國に報いらむとするの意氣込みだけは野生にも、ある。一寸の蟲にも五分の魂だ。内容では翁の見識や學究にとほく及ばずとも、せめて姿勢だけは「とほく及ばぬ」などと云つてはいけない。

 とは云へ、日乘も更新が滯りがち。
 そんな折、先日、木川選手から、「腱鞘炎知らず」を戴いた。尻を叩かれる思ひだ。
 彼はよい男だ。このタイミングでこの臺詞を云うては、いかにも、といふ感じだが。笑止。
 日乘は止まつてゐたが、彼から頂戴した「腱鞘炎知らず」に申し譯なく、こゝ數日、機關紙の執筆作業に餘念がない。
 はて。日乘停滯の言ひ譯も藪蛇であつたか・・・・。なにせ機關紙は一號分まるゝゝ遲れてゐる。もう五ケ月も滯つてゐることになるのだ。冒頭の文句の意氣込み云々は、まるで空々しくなつてしまつたな・・・・。


 さて、野生の空しいひとり突つ込みはこゝまでとして。・・・昨日、お笑ひ觀たから、つい、ね。

 前囘廿四日は、先人の抗議に就て、一例を記したつもりだ。
 今日は、何故に、國賊・・・でもない、にはか反日がかうも多く存在するのか。それに就て先人の文章より考へてみることにする。(一應、廿三日の記事から繋がつてゐるつもり)



●本居宣長大人『直毘靈』(文政八年)に曰く、
皇大御國ハ、掛まくも可畏き 神祖天照大御神の御生坐せる大御國にして[萬ノ國に勝れたる所由ハ先づこゝにいちじるし。國といふ國に此ノ大御神の大御徳かゞぶらぬ國有らむや]』と。
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仝、『古への大御世には道といふ言擧もさらになかりき[故古語に、あしはらの水穗の國ハ、神ながら言擧せぬ國と云り]其はたゞ物にゆく道こそ有りけれ。[美知(みち)とは、古事記に味御路と書る如く山路野路などの路に、御てふ言を添たるにて、たゞ物にゆく路ぞ。これをおきては上つ代に道といふものはなかりぞかし]物のことわりあるべきすべ。萬の教へごとをしも、何の道くれの道といふことは、異國(あだしくに)のさだなり[異國は天照大御神の御國にあらざるが故に、定まれる主(きみ)なくして、狹蠅なす神、ところを得て、あらぶるによりて、人心あしく、ならはしみだりがはしくして、國をし取りつれば賤しき奴(やつこ)も、たちまち君ともなれば、上とある人ハ、下なる人に奪ハれじとかまへ、下なるは上のひまをうかゞひてうばゝむとはかりて、かたみに仇(あた)みつゝ、古より國治まりがたくなも有りける。其が中に、威力(いきほひ)あり智(さと)り深くて、人をなづけ、人の國男奪ひ取て、又、人にうばゝるまじき事量(ことばかり)をよくして、しばし國をよく治めて後の法ともなしたる人を、もろこしには聖人とそ云ふなる]

『そもゝゝ天地のことわりはしも、すべて神の御所爲(みしわざ)にして、いともゝゝゝ妙に奇(くす)しく、靈(あや)しき物にしあれば、さらに人のかぎりある智(さとり)もては測りがたきわざなるを、いかでか、よくきはめつくして知ることのあらむ。然るに聖人のいへる言をば、何ごともたゞ理(ことわり)の至極(きはみ)と、信たふとみ居るこそ、いと愚(おろか)なれ

『されば聖人の道ハ、國を治めむために作りて、かへりて國を乱すたねともなる物ぞ。すべて何わざも大らかにして事足(たり)ぬることは、さてあるこそよけれ。故(かれ)皇國の古へは、さる言痛き(こちた-き=うるさき)教へも何もなかりしかど、下が下までみだるゝことなく、天の下は隱(おだひ)に治りて、天津日嗣いや遠長に傳はり來坐(きませ)り。されば、かの異國の名にならひていはゞ、是れぞ上もなき優たる大き道にして、實は道あるが故に道てふ言なく、道てふことなけれど、道ありしなりけり。そを、ことゞゝしくいふあぐると、然らぬとのけぢめを思へ。言擧せずとは、あだし國のごと、こちたく言立つることなきを云ふなり。 ~中略~ たとへば猿どもの人を見て、毛なきぞとわらふを、人の恥て、おのれも毛はある物をといひて、こまかなるをしひて求(もとめ)出て見せて、あらそふが如し。毛ハ無きが貴きをえしらぬ。癡人(しれもの)のしわざにあらずや

『漢國(もろこし)などは、道てふことはあれども、道はなきが故に、もとよりみだりなるが、世々にますゝゝ乱れみだれて、終には傍(かたへ)の國人に、國はことゞゝくうばはれはてぬ。其は夷狄といひて卑めつゝ、人のごともおもへらざりしものなれども、いきほひつよくして、うばひ取りつれば、せむすべなく天子といひて、仰ぎ居るなるは、いともいともあさましき有樣ならずや』

神の道と申す名は、書記の石村池邊宮(※用明帝の朝、也)の御卷に、始めて見えたり。されど其は只、神をいつき祭りたまふことをさして云へるなり。さて難波長柄宮(※孝徳天皇の朝、也)の御卷に、惟神者謂隨神道亦自有神道也(※かむながらの道とは、神の道に隨ひたまひて、また自ら神の道に有るを謂ふなり)とあるぞ。まさしく皇國の道を廣くさしていへる始めなりける。さて其由は、上に引きていへるが如くなれば、其の道といひて、ことなる行ひのあるにあらず、さればたゞ神をいつき祭り給ふことをいはむも、いひもてゆけば一つむねにあたれり

『いにしへの大御代には、しもがしもまで、たゞ天皇の大御心を心として[天皇の所思看(おもほしめす)御心のまにゝゝ奉仕(つかへまつり)て己が私心はつゆなかりき]、ひたぶるに大命をかしこみ、うやひ、まつろひて、おほみうつくしみの御蔭にかくろひて、おのもゝゝゝ祖神を齋祭(いつきまつり)つゝ[天皇の大御皇祖神の御前を拜祭(いつきまつり)坐すがごとく、臣連八十伴緒(おみむらじやそとものを)天の下の百姓(おほみたから)に至るまで、各祖神を祭るハ常にて、又、天皇の、朝廷(みかど)のため天ノ下のために、天神國神諸(もろゝゝ)をも祭り坐すが如く、下なる人どもゝ、事にふれてハ福(さち)を求むと、善(よき)神にこひねぎ、禍をのがれむと、惡(あしき)神をも和め祭り、又、たまゝゝ身に罪穢れもあれば、祓清むるなどみな人の情(こゝろ)にして]、かならず有るべきわざなり。然るを、心だにまことの道にかなひなば、など云ふめるすぢは、佛の教へ儒の見(こゝろ)にこそ、さることあらめ、神の道には甚(いた)くそむけり。~中略~ されば神は、理の當不(あたりあたらぬ)をもて、思ひはかるべきものにあらず。たゞその御怒を畏みて、ひたぶるにいつきまつるべきなり。されば祭るにも、そのこゝろばへ有りて、いかにも其神の歡喜(よろこ)び坐すべきわざをなも爲(す)べき。そは、まづ萬を齋忌清まはりて、穢惡あらせず、堪(たへ)たる限り美好物(うまきもの)多に獻(たてまつ)り、或は琴ひき笛ふき歌■(人偏+舞=ま)ひなど、おもしろきわざをして祭る、これみな神代の例にして、古の道なり

『然るを中ごろの世のみだれに、此の道に背きて、畏くも大朝廷に射向ひて、天皇尊をなやまし奉れりし、北條義時泰時、又、足利尊氏などが如きは、あなかしこ、天照大御神の大御蔭をもおもひはからざる、穢惡(きたな)き賊奴どもなりけるに、禍津日神の心はあやしき物にて、世の人のなびき從ひて、子孫(うみのこ)の末まで、しばらく榮え居りしことよ。抑、此の世を御照し坐します天津日神をば、必ずたふとみ奉るべきことを知れども、天皇を必ず畏こみ奉るべきことをば、知らぬ奴もよにありけるは、漢籍意(からぶみごゝろ)にまどひて、彼國のみだりなる風俗を、かしこきことにおもひて、正しき皇國の道をえ知らず、今世を照しまします天津日神、則ち天照大御神にましますことを信(うけ)ず、今の天皇すなはち天照大御神の御子に坐しますことを忘れたるにこそ』


 大人は、當時、國内を瀰漫してゐた漢意(からごゝろ)を取り祓はむと、皇國の眞姿を説く。
 而して、それは、啻に日本が他國に比して優秀であり、また、單に他國を蔑視するものではない。天照大御神の大御徳は、萬國萬民、禽獣蟲魚草木土塊有形無形すべてに齎せられることを云ふ。決して耶蘇教や佛教にみられるやうな狹量な且つ高慢な世界觀ではない。
 抑も『直毘靈』は、大著『古事記傳』一之卷に記されたもの。古事記傳を讀むに當つての、簡單に云へば心得とも申す可き乎。だが今日、その意は措く。
 今日、學校で、人間の祖先は猿である、と教へられる我々には、鈴屋大人の玉文はまつたく妄想狂のごとく思へてならないであらう。今にいふ、保守派なるも愛國者なるも、權利思想に犯されし者少くなく、日本の眞姿を近代、或いは皮相を以て諒解せんとする。左なる次第であるから、鈴屋大人のごとき日本の説明がついぞ聞かれなくなり久しくあることは、まことに日本の爲めに殘念と云はねばならぬ。
 餘談となるが、それは戰後教育の弊害と簡單に云ひ切れるものではない。佛意、漢意の拂拭によつて推進乃至達成されたはずの明治維新であつたが、時日措かずして、新たな招かざる客、西歐文化、洋意が襲來した。三百年のヒキコモリから轉じて諸國の交際を專らとした新政府は、武力の多寡が壓倒的に外交の要であることを認識する。近代軍備を充足する爲めに物資、技術、學問の輸入に急いだことは、或いは仕方が無かつたのかもしれない。だが、技術に進み産業に富む彼れら西洋に追ひ付け追ひ越せの國是は、知らず識らず上下にわたる國民人心に西洋崇拜の念を併せ持つやうになり、耶蘇教解禁にも至つた。
 西洋哲學、思想の流入は齒止めが聞かず、加之、おほいに之を歡迎した。科學やデモクラシーを金科玉條の如く盲信し、それは今日も省みられない。
 とは云へ、世界的に行き詰りを呈してゐる今日、樣々な分野に亙つての見直しが索められつゝある。若しも今日、鈴屋大人がをられたとしたならば、現代の有樣を如何にみるであらう。大人による、皇國の眞相を闡明せんとするの試みは、日本が諸國に率先して近代の閉塞を打開を可能するべく一助となるかも知れないと考へることは、飛躍のし過ぎといふものか。
 いづれにせよ、次代に要される可きは全くでないとするも、軍備が第一でもあるまい。昨日の指導者が、必ずしも明日の指導者でなければならぬ理由は無い。西歐霸權の時代は、瓦解せんとしてゐる。

 ともかく、日本が嫌ひな反日の日本人も、日本をよく識らないで濟まさんとする日本人も、まづ好き嫌ひを口にする前に、もう一度、日教組教育を疑ひ、自分自身の手で、日本を調べてみてからでも遲くはあるまい。案外、新しい發見の少くないことを識ることが出來ると思ふ。

 又た、漢籍は外來ものと云つて、食はず嫌ひな人達へも、鈴屋大人はかう教へ諭してゐる。
『直毘靈』に曰く、
但し古き書は、みな漢文にうつして書きたれば、彼の國のことも一わたりは知りてあるべく、文字のことなど知らむためには、漢籍をも、いとまあらば學ぶつべし。皇國魂の定まりて、たゞよはぬうへにては害はなきものぞ』と。
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↑↑↑↑ 『直毘靈』と『腱鞘炎しらず』。



(注)掲載は「直毘靈」本文の順序に非ず。振假名は本文マヽ。※は野生による。
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by sousiu | 2012-02-02 14:18 | 先哲寶文

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