「洗心洞箚記」ならぬ「洗心會洞察記」  

 聖なる野生の日乘に、洗心會、國信氏が書き込みをしてくる。(荒らしではないと信じてゐる)
 彼れが氣勢を揚げるのはおほいに結構であるが、聖なる我が日乘で勝手氣まゝにつぶやき始めた。彼れのことだ。これを放つておくとやがて、頻繁となり、その内、手に負へなくなること必至だ。
 よつて先程、後顧の憂ひを拭はむと電話した次第である。
 「氣焔を吐くのは結構であるが、君の場合、自分の日乘を開帳し、そこで行なふべきだ」と。
 兎角偏屈な彼れであるが、案外、聞く耳は持つてゐるやうだ。曰く、「然り」と。
 野生は我が聖なる日乘を防衞せねばならぬ。彼れの氣が變はるのを恐れ、開帳の期日を約束した。彼れの申すには、十日間くれ、と。
 彼れは信義に篤い漢(をのこ)だ。約束を破り平然とする癡漢ではない。

 一々、日乘で語る必要も無い内容だが、彼れは野生との電話を切つた後、『うつかり河原氏に十日間と約束してしまつたが、何とか延び延びにしたいと思ふ』と苦情を吐露したことが、河原探偵社の調べで分かった。
 固より、信義に篤い彼れのことなので、おそらく、これは野生の聞き間違へであらうと思ふ。野生は彼れをいさゝかも疑うてはゐない。


 萬が一にも、彼れのことを疑うてはをらぬが、一應、念の爲め、こゝに公表しておく必要がある。野生は野生の聖なる日乘を死守する爲めに。


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        ↑↑↑これは中齋大鹽平八郎翁の「洗心洞箚記」。國信氏も「知行合一」のをのこだ。
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by sousiu | 2012-02-07 00:45 | その他

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