愛國乎、尊皇乎、  

 本日、道の先輩から、今月都内で行なはれる全教の大會に就て貴社は如何するか、と電話をいたゞいた。
 野生は、その日は抗議するの積もりはない旨、御答へした。

 彼れらのわづかにでも、「いつも怒濤の如く押し寄せる抗議が何故、今日に限つて行なはれないのか」と、その理由を考へさせることは、啓蒙と云ふ觀點からみても決して無意義ではない。樣々な考へもあらうが、野生はその日はしづかに雲近き九重を拜し、御平癒を御祈り奉り、過ごすといふことを申上げたものだ。
 日本人としての姿勢を「みせる」といふことも大切だが、かく「過ごす」ことも大切であると野生は信じる。

 某先輩、『(彼れら全教に對して)「やらない」といふことを「やる」といふことだらう』と。
 さすが先輩、宜いことを仰る。
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by sousiu | 2012-02-13 18:30 | 日々所感

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