「國學」とは何ぞ  

 他誌の宣傳を勝手にするやうであるが、不二歌道會の發行する月刊誌『不二』(定價四百圓、也)には、表紙に、
 「平成維新と新國學
 と書いてある。
 野生は、この文言が大好きだ。
 どちらも今日の日本に要せられるべきものだ。尤も、今日に要せられる可きものは他にも澤山あらうけれども、順位をつけるならば、やはり何を差し措いても「平成維新」と「新國學」は最優先されなければならぬ。「橋下維新塾」?そのやうなモンは、あつたつて無くなつてどちらでも宜い。むしろ、無いはうが宜い。

 我が陣營、「維新」といふことばは豫て使はれてゐた。我が陣營は全く、ブレてゐないといふことだ。
 これに加へて最近、陣營内で「國學」に就ての話題も耳にする機會が多くなつてきた。力強いことだ。勉強中の野生としては、學んだり考へたりする機會が増えたので、實に嬉しい限りだ。

 「國學とは何ぞ」と訊ねられることもある。固より識つたかぶりばかりの野生に答へられる可くもない。よつて野生の、これだ、と思ふものを、例によつて例の如く、文獻を頼り以下に掲げんことゝする。

 少々長いが、御時間許される方は是非共御一讀いたゞきたく、希ふ。


●久松潛一氏、『日本精神叢書四十三 「國學と玉だすき」』(昭和十五年九月八日「文部省教學局」發行)「國學の意義」項に曰く、
『國學は本來、國の學であり、日本に關する學問であるが、これにも歴史的に見て三の意味が考へられるのである。第一は大寶令に見える如く、古代に於て中央に大學を設け、地方に國學を設けたといふ場合の國學である。この場合の國は、地方の國司の場合の國と同樣な意味である。いはゞ日本教育史上の國學である。第二は日本に關する學問の意味である。即ち日本の政治・法律・宗教・文學・歴史等全般の文化に關する學であつて、主として研究對象の上から見て、日本に關する學問を國學といふのである。從つてこの場合は日本に關する學問であるならば如何なる立場から扱つても、國學となるわけであつて、佛教的立場・漢學的立場から扱つた場合もすべて國學であり、考證學や歌學・語學にしてもすべて國學と言ひ得るのである。かういふ意味に於ける國學はすでに古代から存在して居るのであるが、近世に於ても國學者をひろい意味にとつた場合も存するのである。この場合の國學は倭學・和學といふ名稱によつて言はれた事もあるのである。
 第三の國學はその立場の上に明確に日本的立場を以て純粹日本的なるものを闡明しようとする學問であつて、近世に於ける眞淵・宣長等を中心とする學問である。この場合には佛學等の外國的立場や影響を離れて純粹日本的なるものを闡明しようとする所から、研究對象にしても外國的影響をうけることの尠い古代文獻を主とするといふ限定をうけるとともに態度に於ても日本的立場といふ如き限定をうけるのである。方法に於ても、古代文獻による嚴密なる文獻學的方法をとるに至るのである。さうして本質に於て國家的精神を基調として居るのであり、國家的の情熱を中心として居るのである。荷田春滿が創學校啓に於て、
    國學不講實六百年
 といつたのはかういふ意味に於ける國學をさしたのである。
 以上三の中、第二と第三とは實際に於ては區別しがたい點もあるのであつて、殊に研究對象といふ上からは共通する場合が多いのである。たとへば國語學との關聯の上で言へば國學に於ては文獻を尊重する所から言語研究を重視するのであり、そこに國學者は一面には國語學者といへるのであつて、國學史と國語史は交渉して來るのであるが、しかしその場合には、國學に於ける言語研究は國語研究を終局の目的とするよりは文獻を理解するための國語の研究を行ふといふ態度をとつて居り、こゝに國學者と國語學者との相違する點もあるのである。これは歌論に於ても眞淵の歌論と香川景樹の歌論とが歌論史の上から言へば同樣の面に於て考へられるに拘らず、一方に於て景樹が第三の意味に於ける國學者と言はれない點があるに對して眞淵は歌論家であるが同時にその歌論を國學の體系の中に於て扱つて居る點に於て相違する所があるのである。もとより近世の國語學者にしても或は景樹の如き歌論家にしても、國學的精神は存したのであつて、この區別は實際的にはたてられない點があり、たゞ國學の如く自覺的に考へなかつたといふ相違にすぎないとも言へるが、しかしさういふ國學的自覺を有し、學問の目的を明確にして研究した所に國學といふ一學派としての獨自の意義も存すると見られるのである。是等の點は更に精細に論議すべき問題を含んで居るが、とにかく研究對象といふよりは學問の態度・方法・目的の上に第三の意味に於ける國學の獨自の點を有すると見られるのである。かういふ國學は一方では古文獻によるといふ所から古學ともいはれ、また文獻による所から明治以降、日本文獻とも言はれた事があるのである。こゝで意味する國學もこの第三の意味に於ける國學を中心とするのである。

 もとよりかういふ國學も最初から明確なる學問的體系を有してゐたのではなく、次第に成長し完成していつたものと思はれるのである。大體に於て國學の學問的性格の完成したのは本居宣長に於て見られるのであるが、それまでに次第に完成して行つた過程を見ると、本來國學の起つたのは中世學問に對する批判と反省から起つたと見られるのであるが、その批判の根據となつて居る點を見ると、第一には日本の歴史に對する自覺といふ事があげられると思ふ。水戸義公の大日本史編纂はさういふ自覺の明確な現れであるが、かういふ國史に對する自覺といふ事が、國學の學問的性格の第一の性質となつて居ると見られるのである。第二は古文獻に立脚し古文獻の精密なる研究の上に學問をうちたてんとする方法的自覺が國學の學問的性格の第二の點をなして居るのである。これは主として契冲によつて打ちたてられた點であるがそれ以後の國學の上に常に流れて居る性格である。この文獻學的性格はその中に書史學的性格や言語的性格・文學的性格といふ如き數々の特質を含んで居るのであり、それらが更に獨自の性格となつて發展して居るのである。第三は國史の根源としての神道もしくは古道を中心とする態度である。この國史と古道と文獻學的性格の何れに重きをおくかによつて種々の學派が生ずるのであつて、水戸學の方は國史學的性格が非常に濃厚であるに對して、國學の方は古道的性格が著しいと見られるのである。同時に方法としての文獻學的性格が著しく見られるのである。かういふ古道的性格を多く加へたのは荷田春滿であつて、この古道的性格をはじめて強くといた所に、春滿が國學のはじめであると言はれる理由もあるのである。この古道もしくは神道的性格はそれ以後も多く存して居るのである。~中略~

 更に眞淵に於てはこの古道的傾向が純粹になり、復古神道的傾向が明確になるとともに文學的傾向が著しくなつて來たのである。さうして以上の諸傾向によつて國學の學問的性格がほゞ完成して來たのであり、さういふ完成を實現せしめたのが本居宣長であると見られるのである。かくして歴史學的傾向と古道的傾向ならびに言語學的傾向、文學的傾向といふべきものが融合して居り、その中心に純粹日本的立場といふものが貫いて居るのが國學の學問的性格であり、またその意味でもあるのである。

 さうして宣長以後はかういふ國學の性格が、勤皇精神や國家的な精神に進んで來ると共にさういふ勤皇精神の實踐としての明治維新が實現したのを機として、それらの學問的諸傾向が、それぞれ分化して來たと思はれるのである。ここに明治時代に於ける國文學・國語學・國史學・神道學等の生じて來る過程が見られるのであり、芳賀博士等はさういふ國文學建設の第一歩を築かれたと見られるのである。さうして國文學が國學の中に存する文學性研究を中心として學的組織を進めてゆく所に國文學の發展が見られたのであるが、同時に國文學の中に國學の基調となる精神が存することも明らかであるのである。

 以上申して來た國學の學問的性格の成長と推移をたどることが國學史の考察となり、同時に國學史と國文學との關係を見ることにもなるのであるが、なほ從來國學史の扱はれた態度方法を見ると種々の態度が見られる。既に平田篤胤に於てはそれまでに完成した國學の史的考察を古道大意玉だすきに於て概觀的に行つて居るのであつて、國學史の先驅的意味を見出すのであるが、次いで清宮秀堅の古學小傳(安政四年成り、明治十九年刊)は國學史の規模を整へたものである。何れも大體に於て國學者の列傳的な扱ひをして居るのである。明治以後に於ける國學史の考察も大體この國學者の列傳的な扱ひ方をして居ると見られる。これにも二つの傾向があつて、一は國學者のあらゆる人物を網羅的に列傳する態度で大川茂雄・南茂樹兩氏の國學者傳記集成(明治三十七年)はその最も著しい業績である。一は國學者の中その代表者とすべき春滿・眞淵・宣長・篤胤等を中心として考察し、その他をそれらの代表者の門流として一括して、考察する態度であるが、國學史の扱方としては後者が最も多く行はれて居るのである。芳賀博士の國學史概論(明治三十三年刊)野村八良博士の國學全史等にしても主としてこの態度をとつて居られるのである。しかし進んで國學者の系統を追うて、研究する態度に對して、國學を横斷的に扱つた研究も見られるのである。河野博士の國學の研究(昭和七年五月)や芳賀博士の「日本文獻學」の如きは國學を體系的に扱つて居られるのである。この列傳的と體系的との考察はむしろ國學史概論と國學概論との相違と見るべきであらう。

 更にかういふ列傳的と體系的との兩者を通じて、更に別の觀點から見る時、種々の扱方の相違が見られるのである。即ち一は神道學的な立場からする國學史の研究であつて、河野博士の國學の研究や、清原貞雄博士の國學發達史(昭和二年)の如きは、かういふ立場にたつて居ると見られる。こゝでは國學史は復古神道史といふ如き形相を示して居るのである。一は國史もしくは日本文化史的な立場にたつ扱方である。竹岡勝也氏の「近世史の發展と國學者の運動」(昭和二年九月)の如きはその著しきものであり、伊東多三郎氏の「國學の史的考察」(昭和七年二月)の如きもさういふ立場にたつて居るのである。一は國文學研究史もしくは國文學研究法的な扱方であつて、芳賀博士の國學史概論もさういふ傾向が著しく見られたのであるが特に「日本文獻學」(明治四十年講義・昭和三年刊)は國文學研究法の立場から國學を日本文獻學として理解されて居るのである。この傾向は芳賀博士が明治三十五年頃獨逸から歸られてから獨逸の文獻學との比較の上から「國學とは何ぞや」といふ論文を書かれて以來、芳賀博士の一貫した態度であつたのである。(この點は一人の國學者の研究ではあるが村岡典嗣氏の本居宣長」も大體さういふ態度をとられて居るのである)藤岡博士の國學史や野村博士の國學全史は國文學研究史としての性質を有して居るが一面には文化史的研究の一面をも備へて居るのである。

 以上は國學史が神道學や國史學や國文學の各分野から扱はれて居るために、それゞゝの立場からの色彩が濃厚となつて來るのであるが、また國學史が是等の種々の分野を學問的領域の中に併せ有して居るためでもあると見られるのである』と。




 いやあ、頑張つた・・・。「腱鞘炎知らず」に感謝せねばなるまい。

 書いた野生も大變であつたが、こゝまでお付き合ひくださつた方も大變であつたと思ふ。
 若しも、關心があり、何の本を讀まうか、とお惱みの方があつたならば、折角の河原の苦勞を水に流さない爲めにも、上記(緑色にしたよ)書籍を購入してみるのも、一興と思ふ次第である。
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by sousiu | 2012-02-14 02:04 | 良書紹介

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