『靖国神社の真実』 

 當日乘でも度々御發言を投じられる備中處士樣が、一兵士こと泉水隆一翁の遺稿を鋭意編輯され、今度び、芽出度く、洛風書房より『靖國神社の眞實 ― 靖國神社正統護持のために― 』と題した御本を上梓された。

 泉水隆一翁は映畫「凛として愛」の監督として知られる。
 以謂、泉水翁は「凛として愛」を通じて、靖國神社に對する近年の謬れる國民認識を江湖に匡し、返す刀で戰後史觀を成敗せんとの志であつたのであらう。何となれば、スクリーンの映像のみならず、隨所での御發言、而、インターネツトまでをも活用し「一兵士」の名もて保守系の掲示板に登場し、螳螂の斧を揮はれたことからも、翁の衷情と素志を拜察することが出來るのである。

 有體に云へば、日本の現状は解剖分析に盡されたと思うてゐる。戰後も幾星霜經過したと思ふか。戰後に欠落したるもの、乃至は缺陷したるものに就て、これ以上、詮議するの時間が果たして必要なのであらうか。極言すれば、戰後日本の惡因究明にはひとつの達成をみたと云うても過言にあるまい。
 日教組史觀が日本の將來にとつて益あるなぞと、組合員以外に誰れが信じてゐるのか。否、組合員の激減に齒止めが掛けられないことからも、當該者すら益無きことを認めてゐるのであらう。固より自身の益なきことが主なる原因であるにせよ。
 朝日新聞が偏向報道を行つてゐることも萬承知だ。占領憲法が平和憲法であるのか否かの議論はもう飽食氣味だ。結果は明瞭なのである。民主黨がよいのか、自民黨の方が良かつたのかなどといふディスカツシヨンにも興味がない。東京裁判が裁判に名を假りた日本民族の去勢であつたことは、我れらの先輩が風雨の街頭に立ち、或いは獄中からも發信して國民に訴へ續けてきた。先輩からバトンを託された我々は、その次の工程に著手してこそ後進だ。これからは一轉、これまでの分析に費やしてゐた時間を、囘復の爲め、修正の爲めに積極的に有用することが求められてゐる。
 泉水翁は、屹度、この國民的大自覺に立つ先知者の一人として、日々、御發言を繰り返されてゐたのであらう。それあまりにも翁が先頭に過ぎて、悲しむ可きことに、一部の保守派と稱する後知者達から批判され、甚だしきことゝしては某掲示板で罵詈雜言の集中豪雨が浴びせられた。
 滑稽であるは、批判者の側だ。「凛として愛」と「泉水隆一監督」を絶讚し、その同じ口で「一兵士」を散々批判したのであるから、どうにも保守と自稱する者の中には、妖しむべき者らが雜じつてゐるやうだ。畢竟、本質を見拔く眼力に乏しく、權威に擦り寄ることを好むと云はむばかりだ。そは全くの亂視である。
 その中にあつて、備中處士樣、ほか極く小數の有識者は、その他大勢より睨まれ連累することを承知で、「一兵士」なる人の御發言と志操を終始一貫師事してをられた。そこで誕生したものが『九段塾』であらう。

 泉水翁は既に顯界の住人ではない。されど、今後び刊行された御本を拜讀するに、野生は頁をめくる度び恰も紙上に翁の聲ある心地がするのである。

 巷に保守を自稱する書籍や雜誌が増えてゐる。あれが惡い、これが怪しからん、と、さすがに能く調べてあつて、感心することも少くない。
 しかし、それら憂事や惡事の陸續出來せる因由を突き詰めて、その原因を修復することに務めねば、土龍叩きゲームのそれと何ら變はることはない。野生はくづれた化粧を嘆き、怒り、而して直す、之を以て世直しとは思はない。化粧せなくとも美しき表情になる、これぞ眞の世直しと思ふものである。
 泉水翁の言や、將さに日本人の皮相を修正せんとするものに非ず、血肉骨髓を清淨せんとするもの。
 乞ふ、有志諸賢の御一讀を。
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◆◆九段塾藏版『泉水隆一監督遺文――靖国神社の真実――靖國神社正統護持のために――』頒布。
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1509
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●「靖国神社の真実」著者‐泉水隆一、編輯‐玄月書屋主人 有安弘吉、發行‐洛風書房
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by sousiu | 2012-02-26 16:27 | 良書紹介

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