發送報國  

 備中處士さんから御惠投賜はつた『靖国神社の真実』を二百册、本日を以てほゞ、發送し終はつた。
 一册一册が手作りの封筒だ。これは別に深い意味はなく、啻に紙を捨てることが出來ない性質から、溜まるに溜まつた紙を再利用しただけ。
 氣付けば弊社の分の御本も送つてしまひ無くなつてしまつた。まア、度量の廣い備中處士さんのこと。困つたものだと思ひつゝも數册、改めて御惠送くださるに違ひない。

 以前にも申上げたかと思ふが、野生は街宣車を持たなくなつて久しい。
 街宣車の維持費は馬鹿にならず、野生の體力では到底何臺も維持すること困難となつた。
 されど、その分の費用を、發送費や印刷費(機關紙は現在、止まつてゐるが・・・汗顏)に有用してゐる。
 從つて、誰れから感謝される謂はれもないのである。街宣車で演説を行ひ、抗議をする人も、誰れかから感謝されたくて續けてゐるわけではない。野生の場合、ガソリン代が切手代に代はつただけなのである。
 だがその分の充實感は、ある。
 くだらない雜誌や所謂るビニ本を送る作業ではこの充實感は得られまい。
 これは發送報國の醍醐味だ。然るに、この充實感を與へてくれた泉水隆一翁と備中處士さんには感謝、感謝だ。

 さて、本日、平澤次郎翁より、封筒が屆いた。平澤先生による、發送報國だ。
 例によつて例の如く、裏返しされた封筒だ。野生の封筒の再生利用は、平澤次郎讓りだ。
 平澤先生も文章報國、出版報國、發送報國の御方。このへんも野生、平澤次郎讓りなのかも知れない。
 ・・・ちよつと、待てよ?何か書いてある。
 え~と。なにゝゝ、『◎郵便屋さん、料金が不足でしたら河原からふんだくって下さい。おねがい致します。平沢拝 ◎140円也


 「新約聖書」に曰く、『弟子は師にまさるものではない。しかし、だれでも十分に修行を積めば、その師のやうになれる』と。
 『ルカによる福音書』もまるであてにならぬ。少なくとも、『發送報國』の度量に於て、弟子は師を超えたとみて差し支へもあるまい。
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by sousiu | 2012-02-29 00:48 | 日々所感

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