三百年前の日本は如何なる哉。  

 凡そ二百七十年續いた徳川幕府に於て、その初期たる家康、二代目將軍秀忠の當時は開國時代である。
 而、三代目將軍家光の時代から鎖國時代が開始せられ、徳川幕府の末期となると再び開國の時代に戻つた。つまり一囘轉したのだ。
 この中間時代に於て、諸外國との對外交際は唯一の例外國を除き、斷絶された。而、その例外國とは他ならぬ、朝鮮半島であつた。
 その朝鮮すらも、將軍の代替はりの際、來聘の使節が一囘づゝ來日する程度に過ぎなかつた。

 從來、日本と武で對して悉く負けたる朝鮮は、文事を以て日本を侮辱し、其の優勢を試みんとせんか、ともかく鬱憤を晴らした。固より榮螺が蓋を閉めるのと同樣、外界との交流を遮斷した日本だ。家光以來二百年もの間、何人にも何物にも妨碍されず、爲めに精神文化が純々然として發達したことは必ずしも無益ならざるとするも、そは、結果論として暫く措き。中間時代に於ける唯一の外交相手であつた朝鮮人からみれば、蜻蛉州に籠城したる日本人の無學をいつの日か、侮る可き素材として認め、勢ひ、彼れらの威信と自信とを増大せしめるに至つた。

 三百年前。六代目將軍として家宣があつた。この時代に、新井白石なる者が登場した。
 朝鮮國信使一向の鼻柱を折るべく白石は、正徳元年、朝鮮信使來聘に就て、之を擔當した。
 白石は日本、朝鮮との儀式的國交に對して、對人的國交に對して、文書的國交に對して、之を挽囘せんと幕府に建議を行ひ、舊例を改めさせ、日本が無學の徒ならぬことを相手國に承知させんと力めた。
 新井白石に就て、蘇峰徳富猪一郎翁はかう評してゐる。
 曰く、『彼は學者としては、徳川時代を通じて、殆んど比類少き一人だ。其の詩の如きは、專門の大家も、彼には一著を輸(ゆづ)る程の作手であつた。されど彼の本色は、寧ろ支那學問の知識を以て、日本の學問を開拓したるものであらう。彼は日本の歴史、日本の言語、日本の制度、日本の典禮、日本の軍器、日本の經濟等、あらゆる方面に向つて、其の手を著けた。而して彼の研究は、何れの方面に向つても、必ず多少の效果なきはなかつた。彼は單純なる考證家でなく、亦た説明家であつた。單純なる説明家でなく、亦た創見家であつた』(『近世日本國民史 元祿享保中間時代』)と。

 さて。正徳元年朝鮮信使來聘に挑まむとする白石の意氣込みとは。
●新井白石『折たく柴の記』(享保元年?發行)に曰く、
『遠く和漢の故事引くまでもなし。近く山本道鬼と聞こえしものは、甲斐の武田が家の軍師也。武田越後の上杉と、信濃の國川中島といふ所に戰ひし時に、みかたの軍破れぬと見えしかば、かの山本まつさきに討死してける。少しく恥ある事をしらんものは、かくこそありけれ。我、もし、此たび議し申せし事の一つも仰下されし事の如くならざらんには、たとひ仰下さるゝ御事こそなからめ、我何の面目ありてか、再び見え參らする事のあるべき。されば此事仰かうぶりし始より、我身はなきものとこそ思ひ定めたれ。かく思ひ定めたりつるは、我國中の事はいかにもありなん。此事もし過つ所あらんに、我國の耻を殘すべきなりと思ひしがゆゑ也』と。
 かの意氣込みをして、その意氣込みを天晴れと申すべし。然も白石を、斯くなる決意にまで及ぼしめた當時の朝鮮來聘一團の増上慢が思ひ遣らるゝではないか。ともあれ、今日の外交官は白石に見習ふところ大とせねばならぬ。況んや朝鮮半島に監禁さるる日本人救出外交の擔當官に於てをや。

 さて、白石の外交は成果を收めた。所謂る儀式上に於て、或いは掛合ひに於て、學問に於て、文筆に於ても、對手國の正使通政大夫・趙泰億、副使通訓大夫・任守幹、從事通訓大夫・李邦彦を相手に一歩も引かざるどころか、數歩を自ら進み、一方、彼れらは下らざるを得ずして歩を下らしめた。

 この一事を以て、徳富猪一郎翁は、斯く感想する。
 曰く、『幕府は朝鮮の聘使を迎ふるに、一方ならぬ緊張味を示した。吾人は白石が此事に就て、殆ど有らん限りの力瘤を出したのを見て、必ずしも之を怪しまぬ。彼は只だ日本國の國威、國光と云ふ一點に心を用ひて、斯く取り計らうたのだ~中略~
 若し白石をして、嘉永安政の時代にあらしめば、彼は必ず相應の働らきを、日本開國史上に於て、留めたであらう。但だ相手が、眇乎たる朝鮮であり、その爲めに折角白石の入れたる力瘤も、今日から見れば、鷄を割くに牛刀を用ふるの類として、聊か仰山過ぎる感を免れぬは、彼の爲めにも、日本の爲めにも、遺憾であつた』(仝)と。

 これから出掛けねばならぬので、・・・續く。
 斷わつておくが、野生は新井白石を評價し彼れを宣傳する積もりではない。
 前半は前半の意あり。後半には後半の意あり。たゞ歴史は繰り返すといふ言葉に頷き、三百年前を想起するある而已。吾人が學ぶ可きは歴史なのだ。而、戒む可きは將來だ。
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by sousiu | 2012-03-30 07:26 | 日々所感

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