竹内式部先生と、『奉公心得書』 

●竹内式部先生、寶暦七年六月『奉公心得書』(全文)

夫れ 大君ハ、上古伊弉册尊天日を請受け、天照大神を生み給ひ、此國の君とし給ひしより、天地海山よく治まりて、民の衣食住不足なく、人の人たる道も明らかになれり。其後、代々の帝より今の 大君に至るまで、人間の種ならず、天照大神の御末なれば、直に神樣と拜し奉つり、御位に即かせ給ふも、天の日を繼ぐといふ事にて、天津日繼といひ、又宮つかへし給ふ人を雲のうへ人といひ、都を天といひて、四方の國、東國よりも西國よりも京へは登るといへり。譬へば今床の下に物の生ぜざるにて見れば、天日の光り及ばぬ處には、一向草木さへ生ぜぬ。然れハ凡萬物、天日の御蔭を蒙らざるものなけれハ、其御子孫の大君ハ君なり、父なり、天なり、地なれハ、此の國に生としいけるもの、人間ハ勿論、鳥獸草木に至るまで、皆此君をうやまひ尊び、各品物の才能を盡して御用に立て、二心なく奉公し奉ることなり
故に此の君に背くものあれハ、親兄弟たりといへども、則之を誅して君に歸ること、吾國の大義なる。況や官祿いたゞく人々ハ、世に云ふ三代相傳の主人などといふ類にあらず。神代より先祖代々の臣下にして、父母兄弟に至まで大恩を蒙むる人なれハ、其身ハ勿論、紙一枚絲一筋、みな 大君のたまものなり。あやまりて我が身のものと思ひ給ふべからず。わけて御側近く奉公し給ふ人々ハ、天照大神の冥加にかなひ、先祖神靈の御惠みに預かり給ふ御身なれハ、いよゝゝ敬まひかしつき奉る心しばらくも忘れ給ふべからず。
然れども只わざにのみ敬まひて、誠の心うすけれハ、君に諂らふに近うして、君を欺くにも至るべし。本心より二心なくうやまふを忠といへり。忠ハ己が心を盡すの名にして、如才なき本心をわざと共に盡す事なり。其御側近く事ふる身ハ、始めの程ハ恐れ愼むの心專らなれども、慣れてハ衰ふる物にや。古より、忠怠於宦成、病加於小愈、禍生於懈惰、孝衰於妻子といひ、又禮記にも、狎而敬之、畏而愛之といへり。わけて 君の御寵愛に預かる人ハ、幸ひに天地萬民の爲めに君を正しき道にいざなひ奉り、御前に進みてハ、道ある人を進め、善をのべ、邪なる人ハ勿論、はなしをもふせぎ、只善き道に導き奉り、共に天神地祇の冥助を永く蒙り給はん事をねがひ給ふべし。然らハ若き人のあまりいきすぎたるハ、憎ましきものなれハ、言葉を愼しみ、時をはかり給ふべし。此道を忘るれハ只恩になれ愛をたのみ、いつしか始めの愼みを忘れ、睦まじさのあまりより、口に道ならぬ戯れをいひ、人の善惡をまげて、君をくらまし、身に越えたる奢りを好むより、無禮不敬の事も起り、君をして淫がはしき御身となし、人に疎ましめ、遂に神明の御罰を蒙る事恐るべし
又、君に疎まるゝ人ハ、少しも 君を怨むる心など出たらば、勿體なき事と心得、只 天神につかふると心得、猶も身持を大切にして、奉公を勵み給ふべし。譬へば今大風、大雨、飢饉、流行病等ありても、天を怨むる人なし。吾君ハ眞に神といふ事返す々ゝも忘れ給ふべからず。然るを淺はかに心得、君を怨みねたむ人ハ、其身ハ勿論、父母兄弟の家の害となり。推してハ天下の亂にも及ぶ事、古今其例多し。愼むべし。楠正成の言葉に、君を怨むる心起らハ、天照大神の御名を唱ふべしとあるも。天照大神の御恩を思ひ出さハ、則、其御子孫の 大君たとひ如何なるくせ事を仰せ出さるゝも、始めより一命をさへ奉り置く身なれハ、いかで怨み奉る事あるべきや。まして至誠神明に通ずれハ、造化と功を同うすといひ、不能感人誠未至也ともいへハ、誠だに至らハ、などか君のかへりみ給ふ事なからんや。其誠に至るの道ハ、心に如才なきのみにてハ至り難し。すべて心を盡すハ、業にある事なれハ、平生身にする事の道にそむかざる樣に愼しみ、心一ぱいを身と共に盡す故、身心内外相そろひて誠に至る事なり。さハいへども、餘り恐れおのゝきてハ、離るゝと云ふ事あり。只我身を顧み、造にそむく事だにあらずんハ、云ふ事すべき事ハ、すべかりとしたまふべし。
皇后に奉公し給ふも同じ事なり。皇后ハ 大君と並び給ふ御方にて、天地陰陽日月とならび給ふ御方ゆゑ、君と同じく敬ひ給ふべし。
又女子は嫌(きらひ)をさくると云ふ道あり。風と男のうはさしてハ、不義の名を受くる事あり。故に古人も男女五十にならざれハ、同じ居間にて物語せずとも云ひ、又、既に嫁してハ、兄弟たりとも、男たるもの、同じ居間に居らずとも見えたり。心ハ潔くとも、不愼より不義の名を蒙りしハ免れがたく、故に女ハ夜行くに燭を以てすとて、くらき所へ行かざるも、嫌をさくる教へなり。
兔角本心の誠を盡して天命を待給ふべし。心の誠を盡すを仁といひ、言行此仁義の道にかなふ人を聖人賢人ともいひ、此道に背く人を禽獸同然の人と云へり。朝より夕まで、喜ぶにつきても、哀しむにつきても、仁義の造にそむかんかと恐れ慎しみ、奉公し給ふべし。

 寶暦七年丁丑六月 竹内敬持 謹述


※明治廿四年九月 香川敬三公の版による。
※句讀點、改行は野生による。振り假名は原文マヽ。
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 氣分も乘つたし、氣合ひも入つたので、、敢へて全文を掲載した。
 この玉書に就て、先人の御意見を添へて、更らに記事を充實させたく希望するが、本當に『芳論』を書かねばならぬ。いや、その前に、戰鬪的睡眠が必要・・・か。
 兔に角、それでは、また。

 ~續く・・・かも識れない。
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by sousiu | 2012-04-19 02:44 | 先哲寶文

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