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閑話休題。 贈正五位、奧八兵衞大人。  

●吉田松陰先生、門人入江子遠氏に與ふる書『學習院興隆ニ關スル意見書』に曰く、
『・・・然レバ學習院ノ基ニ依リ今一層致興隆候バ、何樣ニモ出來可申。扨、學問ノ節目ヲ糺シ候事ガ、誠ニ肝要ニテ、朱子學ジヤノ陽明學ジヤノト、一偏ノ事ニテハ何ノ役ニモ立不申、尊皇攘夷ノ四字ヲ眼目トシテ何人ノ書ニテモ何人ノ學問ニテモ其長所ヲ取ル樣ニスベシ。本居學ト水戸學トハ、頗ル不同アレドモ、尊攘ノ二字ハイヅレモ同ジ。平田(篤胤先生)ハ又、本居ト違ヒ、癖ナル所モ多ケレドモ、出定笑語、玉襷等ハ好書ナリ。 ~中略~ 高山(彦九郎先生)、蒲生(君平先生)、對馬ノ雨森伯陽、魚屋ノ八兵衞ノ類ハ、實ニ大功ノ人ナリ』と。※括弧は野生による。

 高山彦九郎先生に就ては、こゝ數日間、備中處士樣が御自身の掲示板で、殊に力を籠められ、筆意御雄健、文章御奉皇に努められてゐる。
  ■■嗚呼、囘天創業の首倡者・高山赤城先生。■■ほか。↓↓↓↓
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 蒲生君平先生に就ては、當日乘でも、少しく觸れたところがある。
  ■■山陵志■■↓↓↓↓
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 對馬ノ雨森伯陽公とは、雨森芳洲公のこと。はからずも先日、白石氏を叱責したことに就て記すところがあつた。
  ■■新井白石公 番外 王號考■■↓↓↓↓
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 さて。魚屋ノ八兵衞大人に就ても、嘗て、當日乘で觸れたことがあつた。
  ■■平成の奇特な人たち■■↓↓↓↓
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  ■■山陵志と今書■■↓↓↓↓
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 魚屋ノ八兵衞とは、京都の魚屋河内屋の人、奧八兵衞大人、尊皇の人なり。
 奧八兵衞、後光明天皇の御宇に於て、御火葬あそばされることを哭き、ひたすら哀求、やがて雲上人に達し、朝儀に於て土葬の古に復された。明治四十年、贈正五位。


●『前王廟陵記』(卷の上)に曰く、
天子火葬の始は 持統天皇に起る』と。

●仝、「淳和天皇」項に曰く、
抑も火葬は天竺の俗なり。皇子の時、佛法、未だ我國に入らず。何の骨を散ずることこれに有らん。道昭和尚創めて宇治橋を造る、火葬は此の僧よりして始まれり。詳に續日本紀に見えたり』と。



●蒲生君平先生、『山陵志』 卷之一(享和元年正月)に曰く、
『夫れ、古の俗、其の鬼神に狎れて、齋盟を■(三水+賣)し、福を冥寞の間に求むる所以、固より民性蒙昧の爲、而、佛教の行に逮ぶ。是れに據りて衆志を■(手偏+覺)り、國權を獲、喪祭の紀を擧げて咸(みな)、之れが亂す所と爲らざるは無し。而、持統の喪より始めて火葬を行なふ。其の弊たるや、世に以て甚し。列子に、楚の南に炎人の國有り、其の親戚死す。その肉を朽して棄て、然る後、其の骨を埋む。乃ち孝子たりと成す。秦の國に儀渠の國有り、その親戚死す。紫を聚め薪を積みて之れを焚く、燻すれば則はち、煙上る、之れを登遐と云ふ。然る後孝子たりと成す。此に上以て政を爲し、下以て俗を爲す。而も未だ異と爲すに足らざるなり。夫れ然り。則はち夷蠻の喪固に是の如き者有り。而して佛の生るゝ所、身毒國或は儀渠と俗を同じうす。故に亦た火葬を行ふなり。後世、浮屠氏曾て之れを識らず。奉じて以て典章と爲す者、乃ち深く思はざるの過なり。持統帝の時、宇治の僧道昭、其の死して始めて火行を行ふ。然れども彼れは方外の士、固より怪しむに足らず。今、其の之れを大喪に用ふるに至る。亦た悲しからずや』と。



 

 恐れながら、火葬の御事に就き、先達碩學の御見識を拜記した次第であるが、關連して、もう一つ、記したいことがある。そは吾人が八兵衞先生をみて、自己を省察するところありとせねばならぬことだ。兔角、こゝ數十年か、「尊皇」てふ大旆を掲げる、所謂る運動家は、八兵衞先生に教はるところ大ではあるまいか。

 士農工商の時代にあつて、一介の商人に過ぎぬ「魚屋八兵衞」にして、尊皇の赤誠、かくの如し。
 八兵衞大人は、運動家を自稱した人ではない。國學者でもない。神道家でもない。今日の運動家と共通するところは殆ど、無い。所謂る、單なる市井の魚屋さんだ。態々他者から、尊皇家と稱されることさへ、おそらく望んでゐなかつたであらう。
 當たり前だが、ハンドマイクもない。スピーカーもアンプも、街宣車もない。キーボードもない。インターネツトだつてない。訴へる方法も手段も、共通するところ殆ど無し、と云うて宜い。
 だが、一つ、大きく共通するところがある。皇國の民であるといふことだ。もう一つ、志と情熱だつてさうだ。固より現代の 皇國民だつて、竊かに八兵衞先生に劣らぬ丈の素志を有してゐる士が存してゐると、野生は信じてこれを疑はない。

 大正デモクラシーから端を發する今日の運動を、野生は、殊更らに全面否定するものではない。
 されど、大正デモクラシー以前と以後の、所謂る「運動」概念が、大きく變化してしまつた事實も決して看過忘却してはならぬことだ。
 やればやるほど、熱心なればなるほど、失意を感じる今日の現状に於て、失意の原因は本當に「日本」にあるのだらうか。さなくば「時代」の所爲にす可きであるの乎。否、轉じて見遣れば、西洋から輸入された「運動」形態及び概念に問題があるのではあるまいか。
 一向に治療の見込みがないのであれば、そは、治療される可き側に問題があるのではなく、す可き側そのものに問題があるのか、さらずんば、す可き側の施術に問題があるのか、將た又た、す可き側の病巣の觀測に誤りがあるのだと認めねばなるまい。
 少なくとも、治療される可き側に問題なきことは、云ふまでもないからだ。何故なら、治療(坂本龍馬風に「洗濯」と云うても宜いが)される可き側とは、永遠不滅の、皇國であるのだから。

by sousiu | 2012-04-26 21:14 | 先人顯彰

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