柳子新論抄  「得一第二」 

●山縣大貳先生、『柳子新論』「得一第二」に曰く、
柳子曰く、夫れ天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧(やす)く、王侯は一を得て以て天下の貞と爲るといへり。豈に特(ひとり)天地と王侯をにも然りと爲さんや。丈夫も一を得るに非らずんば、則はち、以て其の家を治むべからず。士も一を得るに非らずんば、則はち、以て其の妻孥を養ふべからず。庶人も一を得るに非らずんば、則はち、以て其の身を安んずべからず。父も以て其の子を教ふべからず、子も以て其の父に事(つか)ふべからず。故に、天に二日無く、民に二王無し。忠臣は二君に事へず。烈女は二夫を更(あらた)めず、と』、

 ○内容の解説に曰く、
『一といふことを貴び、天地より萬物に至るまで、一を得ることによつて、はじめて成立し、その本然の面目を保つ事ができるとするもの。こゝに一とは、一元論的な道の謂であり、從つて、得一とは名分を嚴正にすることを意味する』、




●大貳先生の曰く、仝、
弟子請うて曰く、願はくは其の詳を聞かん、と。曰く、今かの衰亂の國は、君臣其の志を二にし、祿位其の本を二にす。故に名を好む者は彼れに從ひ、利を好む者は此れに從ふ。名利相屬せずして、情欲分る。即はち、我が徒、將さに安(いづ)くにか依らんとする。富を頒(わか)つ者は貴からず、貴を賣る者は富まず、富貴相得ずして、威權分る。即はち我が徒、亦た將さに安くに依らんとする。 ~云々』、

 ○内容の解説に曰く、
『一切のことを通じて、得一が根本問題であるとなし、一貫せる原理の必要を力説した後をうけて、この段に於ては、現實に眼を轉じ、江戸時代が政治的に二元制なるを忌憚なく指摘し、そこに釀成される社會の亂離を描いてゐる』、

 ○『衰亂の國~』の意。
 皇國のこと。明言を避けたのである。

 ○『君臣其の志を二にし、祿位其の本を二にす』の意。
 朝廷と幕府に分れて相對し、朝廷は名譽の源泉として位を授け玉ふが、經濟的には全く無力であり、人々の俸祿は幕府によつて給與される。即はち祿位が一を得てゐない。故に名を好む者は、朝廷に從ひ、利を好む者は幕府に從ふ有樣である。

 ○『我が徒、亦た將さに安くに依らんとする』の意。
 朝廷と幕府、そのいづれかにつかんとするのであるか、といふ意。これは岐路に立つて出處進退に迷ふ者の嘆息ではなく、躊躇を許さゞる實踐への決斷を迫る意である。本文、以下、同じ意。
 當時、正名を論じ、尊皇思想を懷く者は少くなかつたが、公武一和を基調とし、國民に對して我が國體の本源を認識し、皇室の尊ぶ可きを教へるにとゞまり、幕府の存在に就ては、その發生の史的事實より、これを必然的なものとして肯定するか、或は全然この問題に觸れなかつた。それを大貳先生は、こゝに於て敢然として取り上げたのである。倒幕の志は、正名第一に見た以上に明らかであらう。




●大貳先生の曰く、仝、
夫れ、獸に比肩あり、鳥に比翼あり。兩々相依りて、飛走始めて得る。若し其れ、相離るれば則はち病(※止む、乎)む。是れ其の性たるなり。奚(いづくん)ぞ、かの燕雀と犬羊とに若かんや。且つ人、此の二物を見ば、必ず怪しみて曰はん、支離(しり)なりと矣。人にして此の如くんば、將さに之を何と謂はんとするや。今かの二物の如きは、支離なるは、則はち固よりなり。~中略~ 上に事(つか)ふるに貳(「二」の意)なれば、則はち不義、先王常刑有り。下を使ふに貳なれば、則はち不仁、兆民從ふことを肯んぜず。且つや今の人、婦に二心有りと聞かば、則はち、必ず曰はん、淫なり、と。臣にして二心有らば、其れ之れを如何せむ。夫れ誠に此の如くならんか。婦にして貞なる者は則はち多し。士にして忠なる者は、吾れ其の必ず有ること無からんを知るなり。~云々』、

 案ずるに、上記は説明を要すまい。讀んで文の如く、全く以て、その通りである。返す言葉が見當らない。




●大貳先生の曰く、仝、
國の爲めに計らば、亦た惟だ官制を復して、以て其の名を正し、禮樂を興して、以て其の實を示すに如かず。君臣貳無く、權勢一に歸し、令すれば行はれ、禁ずれば止み、而る後、君子位に在り、小人歸する所あるなり。是れを之れ得一の道と謂ふ』と。(「得一第二」完)

 ○内容の解説に曰く、
『上述の如き、皇國の亂脈に對する匡正策、即はち「得一之道」を述べて、本章の結語となす』と。

 ○『惟だ官制を復して、~』の意。
 征夷大將軍は、その本來の面目に歸して、夷狄を攘ふ武官となし、政治の大權は、これを 天皇に奉還す可きである、との意



 愚案。
 徐々に、大貳先生の本旨が見え出して來たつた。「大政奉還」「皇政復古」だ。
 「柳氏新論」の脱稿より凡そ百年後は、長州藩士を主として、一部(百年後とて、未だ一部、だ)過激な志士達によつて、倒幕の狼煙が揚げられた。「禁門の變」は百五年後に當たる。
 その頃であれば、「柳氏新論」は、既に「新論」と名付けられる可き内容ではなかつたかも知れぬ。
 況して「言論の自由」によつて思想を失なひつゝある現代人にとつてみれば、寧ろ、滑稽な論として一笑に附されるかもしれない。

 案ずるに、倒幕運動の大旗が掲げられたる百年前にあつて、大貳先生の見識は、少なくとも百年先にあつたと看做して宜い。
 大貳先生の、敬意に價す可きは、見識だけではない。死の避ける可からざるを知りながら、その殉教者に齊しき決意はどうだ。

 「柳子新論」を拜讀し、平成の今日に於ても、壓倒されるの感がある。紙上に於て斯くの如きであるのだから、大貳先生その人に門人の多數があつたことは疑ふまでもない。
 今日、保守派陣營から、馬に喰はせるほどの「國家改造論」が叫ばれ、之れが安賣りされてゐるが、思想と呼べるほど高尚なものがあるを殘念乍ら野生は識らない。云ふまでもないが、「批判」はそれ丈では決して「思想」たり得ないのだ。

 戰前戰後を通じて、皇國は幾多の紆餘曲折を經て、今日を迎へた。
 天皇機關説は跋扈し、次いで社會主義思想は潮の如くとなり、次いで黄金萬能思想に毒せられ、やがてこれ等の思想では現状維持の力すら無きを思ひ知つた。後悔と反省は、猶ほも民主主義思想の發展飛躍といふ、正しからぬ方向を選擇した。ゆとり教育、人權尊重、平等主義など唱へ子供達まで捲き込んだ。國家よりも國民を第一とする民主黨が、民の絶大なる期待を集めて政權を獲得したことを以て見ても、如何に國家國民が毒され、今日をこそ見れ將來の見据ゑる能力が欠落してゐるか容易に察することが出來る。
 當然たる結果として、秩序の維持に困難が生じて來た。西歐的民主主義の副産物である個人主義思想とは、畢竟、反社會思想と同じなのである。極言すれば、秩序崩壞思想だ。これを金科玉條としつゝ秩序を維持せんとするならば、法力と權力に委ねるほか處置あるまい。
 以謂く、戰後史觀ではなく、維新後史觀からの脱却があらぬ限り、いかに藻掻かんとするも、暗中模索の延長に過ぎぬ。

 明治維新後は、功利を手にせず、維新を更らに完全ならしめむと戰つた先人達があつた。
 さうした先人の意志は、勿論維新前に培はれたものだ。この志を繼續する爲めにも、維新前の先達を再び、平成の御宇に於て學ぶことに、野生は決して意義なきものとしないのである。明治維新百五十年は、もう間近であるのだ。
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by sousiu | 2012-04-28 23:45 | 良書紹介

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