柳子新論抄  「人文第三」 

●山縣大貳先生、『柳子新論』「人文第三」に曰く、
『柳子曰く、人生まれて裸なるは、天の性なり。貴となく、賤となく、蠢々として唯だ食をのみ之を求め、唯だ欲をのみ之を遂げ、禽獸と以て異なること無し。惟だ、鳥と獸とは、飛走を以て其の能を異にし、羽毛を以て其の文を殊にし、大小を以て其の類を分かつ。乃はち鱗介諸蟲に至りても、亦た各々其の文あり。譬へば草木の區にして以て別たるゝが如し。人は則はち然らず。飛走の異なる無く、羽毛の殊なる無く、鼻口其の體を同じうし、手足其の形を同じうし、言語其の文を同じうし、聲色其の欲を同じうす。夫れ然らば則はち等無く差無し。貴賤何ぞ別たれん。故に強は弱を凌ぎ、剛は柔を侮り、相害なひ、相傷つけ、相虐げ、相殺し、攘奪劫掠、固より親疎を之れ論ぜず。亦た何ぞ少長を之れ問はん。是れを以て穴居草處、禽獸と共に死し、草木と竝び朽ちる者、鴻荒の時は乃はち爾り。
 惟だ人は萬物の靈。靈なれば則はち神なり。群衆の中、必ず傑然たる者有り、能く自ら其の生を遂げて、以て人の生に及ぼし、能く自ら其の身を養ひて、以て人の身に及ぼし、食を作りて之れに食はしめ、衣を作りて之を衣しめ、之に稼穡を教へ、之に紡織を教へ、利用厚生、至らざる所なければ、則はち人の之れに歸すること衆星の北辰に拱するが如し。亦た猶ほ蚩々として唯だ食をのみ之れを分かち、君臣と爲し、父子と爲し、夫婦と爲し、長幼と爲す。才以て之を分かち、智愚と爲し、賢不肖と爲す。業以て之を分かち、農工商賈と爲す。 而して後、強は弱を凌がず、剛は柔を侮らずして、而して後、相害ひ、相傷つけ、相虐げ、相殺し、攘奪劫略するの俗已めり』、(改行は便宜上として、野生による)

 上記は、國家の發生に際して、即はち殆ど禽獸と異なることなき時代から、人が人倫の道を確立したことを説かれたもの。
 固よりこの御説には異論のある方もをられよう。



●大貳先生の曰く、
『因りて、其の禮を制し、差等分る。因りて其の職を命じ、官制立つ。因りて其の服を作り、衣冠成る。之を作る者之を聖と謂ひ、之を述ぶる者之を賢と謂ひ、之を率ゐる者之を 君と謂ひ、之に從ふ者之を公卿大夫と謂ひ、之に由る者之を士と謂ひ、之に化する者之を民と謂ふ。故に、上は、天子より下は庶人に至るまで、冠有らざるはなく、衣有らざるはなく、而して鳥獸と群を爲さず。是れ其の天性分かるゝ所有ることなくして夫の制者を待つこと有るなり』、

 段々と大貳先生の云ふ國家の發生が成つて來た。されど、この文章には留意す可き點を要する。以下に、例によつて解説文を記する。
○内容の解説に曰く、
『こゝに見えたる國家社會發生の理論は、全く支那思想、特に「孟子」の倫理成立に關する説の祖述であり、わが古典に表はれたる國民的信念、即ち、國土民人が 天祖によつて創生せられた太初より、わが君臣關係は嚴として定まり、國祖と國民の父子的關係が成立したとなすものと、顯著な違ひがある』と。
 この點に就て、解説者は斯く分析する。
『大貳先生は、恐らくは十八歳頃まで、所謂、崎門三傑、三宅尚齋門下に在りて出色と稱せられた加賀美櫻塢に業を受け、後、江戸に出てからも、櫻塢との交誼は永くつゞいたが、又、太宰春臺の高足五味釜川の指導下に入つて、蘐(草冠+下左「言」+下右「爰」)園の流を汲み、益友を以て稱せられた。三宅尚齋が崎門の三傑とたたへられつゝも、遂に師説の蘊奧を理解することができず、谷秦山先生によつて完膚なきまでに反駁せられたのは、「秦山手簡」に明らかであるが、加賀美櫻塢も亦、少しく歌道國學を學んだとは云へ、熱烈なる朱子の崇拜者であつたこと、尚齋と變りはない。五味釜川は、安民を以て其の學、即ち「先王の道」の眼目となし、「革命者」であつたころの古聖人の道を、我が江戸時代に再制作せんとしたかの徂徠の流を汲むもの。その主張に、日本人としての眞の自覺が見られなかつたのは周知の事實である。然して大貳先生の思想はその間に育まれたのである。この章に限らず柳子新論の瑕瑾と思はるゝものは、職としてかゝる理由にもとづく』と。

 だがしかし、大貳先生の眼目と「柳子新論」に見る可き要點はこゝに非ず。あくまでも徹底したる名分論である。何處まで行つても、名分の一點張りのところにある。即はち、正名が、主、だ。




●大貳先生の曰く、仝、
『故に服は身の章(あや)なり、冠は首の飾なり。身に章なく首に飾なき、之を蠻夷の俗と謂ひ、以て聖人の民と別つ。今夫れ日月の照らす所、舟車の通ずる所、斯くの人有らざるはなし。而も唯だ其の風化の及ぶ所のみ、斯の文を同じうし、斯の章を同じうし、而して後、能く其の制を承け、能く其の徳を被るなり。故に衣冠は、特(ひと)り其の寒を拒ぐのみにあらず、裸且つ跣、禽獸と別つことなきを恥づるが爲めなり。冠を制しては、以て其の首を掩ひ、衣を制しては、以て其の身を掩ひ、裳しては、以て其の脛を掩ひ、履しては、以て其の足を掩ふ。禮に之れ有り、曰く、渉らざれば掲げず、敬事有るに非ずんば敢て袒裼せず、君子は死しても其の冠を免ぜず、と。豈に皆、其の醜を恥づるが爲めに非ずや。且つ夫れ衣冠は、豈に特り其の醜を恥づるが爲めのみならんや。亦た豈に特り身首を文(かざ)るのみならんや。位官職事此に由りて分たれ、禮樂刑罰此に由りて行はれ、風俗此に由りて移り、政令此に由りて布かれ、國家此に由りて治まり、四夷此に由りて服す。~云々』、

 ○内容の解説に曰く、
衣冠の制の意義について述べ、それが單なる裝飾或は實用に止まらずして、正教と關連あるを云ふ』、

 ○『日月の照らす所、舟車の通ずる所』の意。
 全世界のこと。

 ○『位官』
 官位に同じ。官とは、朝廷の諸職をいひ、位は朝廷より親王諸臣に賜ふ位階を云ふ。即はち、大臣以下書吏を官、一品以下初位以上を位と云ふ。




●大貳先生の曰く、仝、
『若し夫れ、無道の君は則はち然らず。衣冠を以て桎梏と爲し、禮樂を以て虚文と爲す。是を以て其の政を爲すや、唯だ刑と法とに之れ任じ、遂に亂階を結構す。豈に亦た異ならずや。或は衰亂の後を承けて、古を稽(かんが)ふるに及ばざれば、則はち服は之を存すと雖も、制は其の制に非ず、文は其の文に非ず、貴賤等無く、尊卑分無く、唯だ其の有無に之れ由るのみ。 ~中略~ 若し乃はち士庶人の服する所も、亦た唯だ有無に之れ由れば、則はち富者は帛を以てし、貧者は布を以てす。富者は常に美にして、貧者は常に惡(みにく)し。貴賤是に於てか亂る。 ~中略~ 禦侮の意、競ひて其の美ならむことを求め、驕者是れに於てか長ず。豈に徒だに然りと爲すのみならんや。貴賤其の等を失なひ、而して禮俗攘る。士民其の貧を患へ、而して徳義廢る。驕奢其の欲を縱(ほしいまゝ)にし、而して禍亂興る。凡そ此の如きの類、其の害、勝(あ)げて計るべからず。是れ皆、衣冠、制無くして、文物足らざるが故のみ』、

 この一段は、衣冠の制の無視輕視が、社會に於ける種々の混亂、墮落を惹起するを説く。即はち名分の正しからざる弊害避け難きを説くものだ。
 二百五十年の時を隔てゝ尚ほ、現代に一聽可きことがらでもある。




 而、大貳先生は、亦た反す刀で、當代の世相を斬らんとす。固より當時にあつては、自身の壽命と引き替へにしなければならない。
●大貳先生の曰く、仝、
『且つや今の卿大夫、祭祀天禮の時に當たりては、或は尚ほ能く其の冠を冠し、其の服を服す。しかも■(馬+芻=すう)從輿隸の屬、裳を■(かか)げ、衣を掲げ、臀腰掩はず、大に其の手を掉り、高く其の足を踏み、疾走して威を示し、狂乎して行を裝ひ、慣れて風を爲し、狃れて俗を爲す。我其の此の如きを見るや、夏畦も愧づるに足らざるなり。於乎(あゝ)、足利氏の天下に於けるや、末世已に斷髮の俗有りしも、亦た唯だ武人、戰士の徒の、僅々便に隨へるのみ。其の一たび變ずるに至りては、則はち官は公卿に任じ、職は將相に補するも、亦た皆斬髮頂露、方鬢(はうびん)月額(さかやき)、加ふるに無制の服を以てす。則はち所謂る、衣冠の風は、化して戎蠻の俗と成れり。醜も亦た甚しからずや。~云々』、

 ○内容の解説に曰く、
『衣冠の制の確立と國家の秩序の不可離の關係を一般的に述べた後をうけて、敢然として、當代に於ける我が衣冠の制を問題とした』、

 ○『今の卿大夫』の意。
 云ふまでもなく、江戸時代の大名のことである。

 ○『~狂乎して行を裝ひ』の意。
 時代劇などでみられる、「下~に~、下に~」のアレである。

○『夏畦も愧づるに足らざるなり』の意。
 夏畦、とは、夏月炎天に田畑を耕すを云ひ、甚だ苦勞にして下賤なるをさす。
 要するに、この前後の文章は、くだらぬ大名行列に加はるくらゐならば、下賤なる農夫になりたい、との意味だ。たとひ、『柳子』なる、在らぬ人物に假託した論文とは云へ、當時の支配下にあつて、この發言を以てして幕府から要注意人物と目されぬ方が、寧ろ不思議といふ可きものよ。
 されど大貳先生による反幕の氣焔は、やがてその身に迫るであらう後難を慮らぬばかりか、更らに止まる可きところすらをも知らない。啻に第一項に掲げたる、自己の正名論に隨ひ驀らに筆を進めるあるのみ而已矣。




●大貳先生の曰く、仝、
今の人を以て、今の服を著し、今の朝に立ちて、今の政を行なふ、其の威儀無きや固よりなり。亦た奚ぞ夫の天下の陶鑄するの道を知らんや。夫れ此の道の如くんば、寧ろ以て治平の術となさんか、將た以て衰亂の俗となさんか、寧ろ以て中國の教へと爲さんか、將た以て夷狄の風と爲さんか、吾、未だ其の何を以て之を處するかを知らざるなり。 ~中略~ 即はち、我邦の俗の如きは、縱令(たとひ)賢聖の君有りて、古禮を行ひ、古樂を奏し、官政舊に率(したが)ひ、衣冠再び擧がるも、亦た惟だ斷髮の俗、裸跣の習、馴致の久しきに非ずんば、奚ぞ能く中士の人に似んや。士は必ず桎梏に勝(た)へず、民は必ず鬱冒に勝へざらん。是れ其の之を如何ともすべからざるものなり。澆季の弊、一に此に至れるか。長歎無からんを欲すと雖も、得可からざるなり』(「人文第三」完)

 つまり、當時江戸時代の衣冠の制の紊亂を掲げて、夷狄の風なりと痛罵した後をうけ、支那の歴史に目を轉じ、その俗の洗禮を承けてしまつてゐるが爲め、一洗、復古せねばならぬ次第を述べるも、斯くの如き汚染の進むを顧慮すれば、矯正の容易ならざるを長歎されてゐるわけである。「澆季」とは、風俗の輕薄になる末の書のこと。


 日本が諸國より到來する習ひに敏感で、これに拒絶反應を示すことは強いが(當時に於ける耶蘇教など)、一ト度び、之れを受け容れると、忽ち感染するといふ害に陷る。これは古今にみられる通弊だ。


 果して現代は奈何。西歐文明の輸入から、西歐崇拜、昂じて西歐萬能の盲信病を患ひ、百數十年に垂んとしてゐる。
 時こそ異なれ、場合こそ同じからざれ、本質的には現代も、その通弊の例に漏れたるはなし。
 而、大貳先生は、如何にしてこの深刻なる病ひから、日本を治癒す可きと考ふるのであるか。『柳子新論』も漸く、三分の一に差し掛からうとしてゐる。


 ・・・・今更らであるが、この[良書紹介]の構成の仕方は失敗したな。しんどくてタマラン。
 「三日坊主」ならぬ「三篇坊主」の氣分になりつゝある。
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by sousiu | 2012-04-30 10:25 | 良書紹介

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