柳子新論抄  「天民第六」 

山縣大貳先生、『柳子新論』「天民第六」に曰く、
『柳子曰く、古昔に所謂る天民なるもの、其の數、四あり。曰く士。曰く農。曰く工。曰く商
士は善く官制に服して、以て天下の義を勸め、農は善く稼穡に務めて、以て天下の食を足し、工は善く器物を制して、以て天下の用を濟し、商は善く貿易を爲して、以て天下の財を通ず。此の四者は(※下記參照)、上は天職を奉じ、下は人事を濟し、相愛し相養ひ、相輔(たす)け相成し、以て一日も相無かる可からざるものなり
先王の民を視ること、其の子を視るが如く、民の先王を視ること、其の父母を視るが如し。父母は善く子を教へ、子は善く父母を養ひて、道は其の中に存せり。是れを以て上下和睦して、怨惡あること無く、國以て治まり、人以て安かりしに、猶ほ且つ憂慮する所有り。官を立て、職を命じ、禮樂以て之を導き、號令以て之を教へ、秩祿以て之を富まし、爵位以て之を貴くし、衣冠以て之を文(かざ)り、干戈以て之を威(をど)し、之が才を量りて以て之が事を命じ、之を率ゐるに義を以てし、之を使ふに時を以てし、賞罰信あり、黜陟(ちゆつちよく)典あり。而して後に兆民之に懷(なづ)き、四國(※外國のこと)之に化しき』、(※改行は、野生による。下記も然り)

 ○内容の解説に曰く、
『江戸時代の身分をあらはす語として、從來一般に士、農、工、商なる語が用ゐられてゐるが、この段は、その由來について述べた』、

 ※ 『此の四者は、云々』。
 士農工商は、一般に身分間に存する上下の差別、本末關係を示すものと考へられてきたが、後述で理解出來るやうに、大貳先生は、四民は階級ではなく、共存の考を有してゐた、と理解することが出來る。

 以下は、大貳先生、それゞゝの職分を明らかにせんとするものだ。





●大貳先生の曰く、仝、
『是の故に士は、四民に長として、天職を共にする者なり。
士は君命を奉じて、天下に令する者なり。士は仁義を行ひて、庶政を輔(たす)くる者なり。士は忠信を體して、徳教を布く者なり
今の時に當りて、士氣大に衰へ、内には羞恥の心無く、外には匡救の功無し。上は天職を廢し、下は人事を誤り、蚩々として商賈と利を爭ひ、農を妨げ、工を傷り、殘害して以て威と稱し、飽食煖衣、逸居して以て徳と稱し、日に其の粟(ぞく)を食ひ、日に其の器を用ひて、之に報ゆる所以を知らず。驕奢俗を成し、身貧しく家乏しく、秩祿贍(た)らずして給を商賈に取り、假りて還さず、爭論並び起る。賈豎の利に黠(さと)きは、少成故の如く、習慣自然の如く、先づ勝つ可からざるを爲して、而して敵の勝つ可きを待ち、唇を彈き下を鼓し、智巧百出し、烏獲も之が爲めに怯み、莫耶も之が爲めに鈍る。況んや彼は固より是れにして、此は固より非、克たんと欲すと雖も、其れ得可けんや。且つ大商の富に於けるや、居貨萬をもつて計へ、奴婢千をもつて數ふ。居蘆、器用、錦繍珠玉、皆我が足らざる所にして、彼は則はち餘り有り。是れを以て封君も首を俛(た)れ、敬ふこと父兄の如し。先王の命ずる所の爵位安くに在りや。徳義の教輟(や)みぬ。是れ它(た)無し。官に其の制無ければなり』、

 上記の大貳先生の見は、士が士たる天職を忘却し、結局、商人の擡頭と相俟つて、當時に於ける正名が爲されてゐないことを云うたもの。當時を前後して、士と商の關係が如何なる状態であつた乎。
 因みに、其の一端を窺ふに足る可き文章として下記に付す。
◎三上卓先生、『高山彦九郎』(昭和十五年八月十七日「平凡社」發行)に曰く、
『「賤のをだ卷」に記載する次の事態は、寛政改革後また弛緩して昔に戻つた文化文政頃の状態を述べたもので、改革以前の驕奢豪遊振が、ほゞ之に依て想像される。
   「かれ等の寄合と稱する會合は、出入の料理屋を以て其場所に充て、必ずニ組も三組も贔屓
  の藝者を呼んで杯盤の間を斡旋させる。それが毎日のやうに續き、時には一日の中に二ケ所も
  三ケ所も重なる。二汁五菜には山海の珍味を選み景物や引物には此上も無い贅澤を極め、そ
  れにさへ飽いて家の者さへ餘り喜ばず、其儘腐らせてしまふ始末、芝居も交際には必要である
  と、場所も十間も十五間も廣々と打拔き、酌取には例の藝者を呼んで、明けても暮れても酒宴
  遊興、四季を通じて二日醉、其費用は一切主人持ち・・・。」
かうした留守居の腐敗、特に御用達との醜關係は、一藩を擧げての士氣民風の頽廢奢侈と相俟つて、各藩の財政を極度に逼迫させた。こゝに到つて藏本札差等と諸藩の關係は、經濟的には主客顛倒してしまつた。 ~中略~
前掲「賤のをだ卷」に、
  「さて三味線の流行りたる事、おびたゞしきことにて、歴々の子供惣領より初め次男三男、三味
  線を引かざるはなし。野も山も朝より晩迄音の絶える間はなし。此の上句、下方と云ふ者にな
  りて、歌舞伎の芝居の鳴物の拍子を、素人が寄りたかりて打つなり。其弊止みがたくて素人狂
  言を企て、所々の屋敷々々に催はしたり。歴々の御旗本、河原者の眞似をして女形になり、立
  役敵役にて立騷ぐ戲れなり」
これが三河以來直屬の將兵として幕府が其精鋭を誇つた旗下八萬騎の現状である』と。
 士官の弛緩、以て知る可し矣。(←駄洒落ぢやないよ)


 さて、次は農だ。





●大貳先生の曰く、仝、
夫れ農は能く百穀を播き、春耕し、秋穫り、草に處り、露に宿り、手足胼胝( ※ひび、あかぎれのこと)、作役以て上に奉じ、餘力以て父母及び妻子を養ひ、亹々(びゞ※つとめてやまざる貌のこと)として怠らざる者なり
 夫れ人は食なければ則はち生きず。貴は王侯たり、富は四海を有(たも)つ、而も其の司命たる者は農に非ずや故に先王は司農の食を命じて、男に稼穡を勸め、女に紡績を教へ、税斂を薄くして以て之を富まし、力役を省きて以て之を安んじ、之を親み之を愛し、嬛(左「女」+右「環」の右側)寡も咸(ことごと)く其の徳を被れり。後世は則はち然らず。~中略~
故に民の閭巷に在るや、善く鬻ぐ者は富み、善く耕す者は饑う。之を先王の典に視るに豈に異らずや。且つ其の吏たる者、不學無術にして、唯だ錢貨の貴ぶ可きのみを知り、利を見て義を廢すれば、則はち商賈の權は、上は王侯を侮り、下は朝土を凌ぎ、工を使ふこと奴隸の如く、農を視ること臧獲の如くにして、厚生の道亡びぬ。是れ它無し。官に其の制無ければなり』、

 商人の擡頭と、それを許した幕府の金銀崇拜熱と驕慢奢侈病の風潮は、結果として農家に「働けど働けど暮らし樂ならず」とした惡循環を瀰漫せしめた。
◎太宰春臺『經濟録』(享保十四年、序)に曰く、
『農業は至て艱難なることにて、終歳勞苦多くして利潤少く、嘉穀を食ふことも能はぬ故に、工商の勞苦輕くして利潤多きを羨み、農より工商に移る者多し』と。
加へて、農民には、天災が襲ふ。明和から、安永を挾んで、天明だ。天明の大饑饉も、既に眉端に迫りつゝある。

 「農は國家の大本なり」。農事を輕んじる政策や風潮はいけない。

 而して次は、工だ。





●大貳先生の曰く、仝、
『若し夫れ、工は、能く器物を製して、以て天下の用を制する者なり
而るに亦た皆、商賈と利を爭ひ、錐刀( ※わづかな利益)を是れ競へば、則はち材は皆、麁惡。器は皆、窪窳(上「穴」+下左右「爪」=ゆ、窪窳=わゆ、器に傷があるを窪と云ひ、形正しからざるを窳と云ふ)、日ならずして成り、時ならずして毀(こぼ)つ。唯だ其の售(う)り易からんことを欲して、其の堅緻を欲せず。要は爲す能はざるに非ざるなり。此を爲せば則はち富み、彼を爲せば則はち貧しきが故なり。 ~中略~
故に今の百工は即はち商賈の庸奴のみ。何ぞ以て巧拙を論ずるに足らんや。利用の道は壞れぬ。是れ它無し。官に其の制無ければなり』、

 金銀崇拜熱は、各々の道の道たる所以を亡失せしめんとしてゐる。工も是れ亦た免れる可きに非ず。
 これも、名分正しからぬが故に出でたる弊害である。
 では、これらを惹起せしめたる、一因は何ぞ。
 大貳先生は、都度、官の『其の制』にあると論じてゐる。





●大貳先生の曰く、仝、
故に今の民は、身日に勞して、財日に空し。是れを以て斷然として乃はち謂へらく、耕は食に益するなく、織は衣に益するなし、と。士も亦た曰く、學は身に益する無く、業は家に益する無し、と。乃はち其の事を廢して奇邪之れ從ひ、譸(言偏+壽=ちゆう、譸張=いつはり、たぶらかしの意)張之れ務む。於乎(あゝ)、世の末を逐ふ者、何ぞ其の多くして、本を務むる者、何ぞ其の寡(すくな)きや。古に言へるあり。曰く、上の好む所は、下これよりも甚しきものあり、と。先王は其の此の如きを察す。故に徳を貴びて貨を賤しみ、以て民の邪慝を禁じたり。教令上に明にして、風俗下に美なりし所以なり。今且つ須らく官を置き、職を立て、末を抑へ本を復し、商賈の權を奪ひ、農工の業を興す可し。然る後に士氣漸く復す。各々其の生を爲す所を樂まば、則はち四民其の處を得て、天下、安きに居らん』と。(「天民第六」完)



 本章では、士農工商の身分的特質が、次第に衰へてゆく現状を憂へ、整へむと試みたるものだ。同時に、商人の抑壓を主張する。
 江戸期の商人擡頭は、今で云ふ財界が權を專らとする状態に齊しい。
 ことに、恥ぢも外聞もなく、曾ては企業がマネーゲームに狂奔し、民草も亦た、黄金崇拜熱、享樂生活病に冒されてゐた。否、過去形ではなく、現在も未だ完治する能はざる状態と看做して宜い。

 脱線するので、多くは書かないが、既に少し觸れたやうに、寶暦時代のこの後には、所謂る「田沼時代」が到來する。
 幕府、役所は賄賂の問屋となり、役人天下の時代だ。特權階級の奢侈、享樂は進行し、而、期せずして天變地異は發生する。天明の大饑饉だ。次は寛政だ。高山彦九郎先生に就ては、紹介と抄録の達人・備中處士樣の掲示板に詳しいので、野生の稚拙な文章は既に無用の長物ならぬ長文だ。

 さても、興味の盡きなくあるは歴史だ。事實は小説よりも奇なり、と云ふが、歴史の全てが然りである。
 畢竟、時代の推移を眺める能ふるは、後人の特權だ。
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by sousiu | 2012-05-04 01:23 | 良書紹介

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