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柳子新論抄  「勸士第八」 

●山縣大貳先生、『柳子新論』「勸士第八」に曰く、
『柳子曰く、農工商賈、之を民の良と謂ふ。所謂る、良なる者は、用を利し、生を厚くし、相輔け相養ひて、以て國家に益ある者なり。故に先王は師を立てゝ以て之を教へ、官を立てゝ以て之を治め、之を愛し之を親しみ、之を視ること子の如く、編伍に制有り、使役に法有り、推して以て士と相齒して之を四民と謂ふ。良たる所以なり。
若し夫れ、倡優戯子(※倡優は役者の意。倡は女、優は男。戯子は俳優のこと)は則はち人の利に由り、人の財を受け、以て人の耳目を悦ばし、徒(いたづら)に其の口腹を養ふのみにして、人の衣食を爲(つく)る能はず。之を存するも國家に益無く、存せざるも國家に害無し。故に先王、之を斥けて四民と伍せしめず、戸籍相別ち、婚姻通ぜず。是れ其の民を視ること、愛に等あり、親に差あり、類分群聚、之をして各々其の業を專らにして、以て其の生を遂げしむるもの、仁の道在り』、(※改行は、野生による。下記も然り)

 上記は、俳優や役者に就て云ふ。
 前半は、所謂る士農工商に就て、繰り返し述べたもの。※「天民第六」參照↓↓↓
       http://sousiu.exblog.jp/17499454/

 後半「若し夫れ、倡優戯子、云々」は、今日でいふ役者や俳優が、當時、穢多非人たるを免れた賤民として蔑視された理由を述べたるもの。

 因みに、當時の役者は、所謂る「河原乞食」(野生ぢやない)なるの呼稱を甘受せねばならなかつた。
 


●大貳先生の曰く、
『後世は則はち然らず。薫蕕器を同じくし(※原文「薫蕕同器」、善惡混在の意)、淄(三水+右上「巛」+右下「田」=し)澠(三水+「黽」=ぜう)流を一にし((※原文「淄澠一流」=區別される可きが混亂せるの意)、良雜相混じ、戚族分無く、編戸の法壞れて、先王の政、歇(や)みぬ。甚しきは則はち、倡優にして或は士祿を受け、功無くして富み、徳無くして貴く、卒に其の業を變じて、立ちて官政に服する者有るに至る。其の由る所を原(たづ)ぬるに、侫幸(※口舌を以て寵愛を得る者。「史記」に「侫幸傳」あり)嬖寵(※君主の御氣に入りの意)の輩に非ざるは無し。汲々乎として之を求め、戚々乎として之を去る。故に其の行なふや、私智を逞しくして以て王公を欺き、利欲を縱(ほしいまゝ)にして以て庶民を虐げ、讒慝諂諛、暴戻誣罔、適夫(たまゝゝ)の良家の子を賊(そこな)ふ。豈に悲しまざる可けんや』、

 後世、身分制の動搖期に於ける俳優が、官吏へ轉身する害を憂ひて述べてゐる。
 状況や背景は異なると雖も、蓮舫とかいふ、癡人の出自も似たやうなものだ。
 而、民主黨そのものが、癡人の造成所と云はずんば、受け容れ先だ。





●大貳先生の曰く、仝、
『且つ士の輕薄なる者は、毎(つね)に倡優の徒と居り、數々(しばゝゞ)雜戯の場に入り、日に其の冶容(※なまめかしく裝ひ飾ること)を見、而して其の婉言(※やさしく、美しい言葉)を聞けば、則はち人材は彼の若きもの無しと謂ひて、歆(「音」+「欠」=きん)羨歎慕、遂に廉恥の心を失し、便佞口給(※辯舌のみ巧みで誠信を缺く者の言葉)、唯だ優にのみ之れ倣ひ、壯強なる者は此老を爲し、幼弱なる者は燕支(※紅色をとる草の名。婦女の顏色に粧ふに用ひる)を爲し、久しくして之に化すれば、則はち士氣之が爲めに萎薾(草冠+爾=じ)し、鄙俚猥雜にして、以て宣淫の俗を釀成す。況んや、優伎の音を操ることは、淫哇に非ずんば則はち殺伐にして、人の心志を奪ひ、人の情性を盪(とろか)し、其の中和の徳を傷(やぶ)ること、特に鴆と斧斤とのみならざるをや。即はち今の士大夫も亦た徒(た)だ其の音を聽き、其の容を視るのみならず、動もすれば其の伎を學び、其の曲を習ひ、甚しきは、郊廟朝廷の祭祀典禮に至るまで、之を用ゐて以て韶舞に易(か)ふる有り。 ~中略~ 亦た唯だ上の好む所は、下必ずこれよりも甚しきもの有れば、則はち其の風を移し俗を易ふるは、置郵して命を傳ふるよりも疾し。諸の此の如きの類、恥づ可くして愧ぢず、惡む可くして憎まず。士氣の衰、窮まれり』、

○内容の解説に曰く、
『當代に於ける士氣頽廢の原因を求めて、漸く社會的勢力を占めた俳優との交會に着眼し、特に倡優の冶容、婉言及び操音の影響を擧げてゐる』、

 江戸初期に於て、大名、旗本等が若衆を招いて酒席の間を周旋せしめることは一種の流行であつた。
 やがて野卑放縱に流れた演劇の影響が顯著になるに及んで、幕府當局の眼は光らざるを得なくなつたのであるが、不健全な美色に恍惚とする爲めに劇場に訪れる者は年々増加した。
 官吏の遊興甚しく、その影響頗る大にして、だのに何うして下々がそれに傚はぬ道理があらうか、といふ大貳先生の悲嘆だ。
 上にあつて士氣の衰へは、即、下々の勤勞の風を侵す。豈に偶然ならんや。





●大貳先生の曰く、仝、
夫れ士は忠信に非ざれば、以て政に與(あづ)かる可からず。廉恥に非ざれば、以て事に處す可からず。
此の四者は、志以て之を固くし、氣以て之を達す。若し、志氣兩(ふたつ)ながら衰ふれば、則はち皮の存せざる毛、將た何(いづ)くにか屬(つ)かん。果して此の如くならんか
(※下記參照)。
假りに其れをして才あり藝あり、文(かざ)るに衣冠を以てせしむるも、唯だ是れ優孟なるのみ。何を以てか君子と爲さん。何を以てか士大夫と爲さん。是れ豈に編伍に法無くして、猾良を雜(まじ)ふるの弊に非らずや

 ○内容の解説に曰く、
『勸士の消極策として、士氣衰頽の原因の除去、即はち倡優の禁壓を示唆せるもの』、


※「則はち皮の存せざる毛~云々」(※原文「則皮之不存、毛將何屬、果如此耶」)
 毛は皮に附著す可きものであるのに、皮が存在しなければ毛の附く可き所はない。即はち根本が失はれたれば、枝葉のことは論ずるに足らぬとの意(左傳)。こゝでは、志氣既に衰へたれば、士の本質たる忠信廉恥の四者は到底、望まれぬと云ふ意。





●大貳先生の曰く、仝、
唯だ巫醫百工と藝苑衆技の流との如きは、則はちこれに異なるあり。何となれば則はち其の國家の用を爲すを以てなり。夫れ人の技藝に於けるや、好惡あれば斯(こゝ)に能不能あり。其の好みて能くすれば、則はち妙年にして或は奇異と稱せられ、好みて能くせざれば、則はち童習白紛たり。奚ぞ以て誣ふ可けんや。 ~云々』、

 巫醫百工、藝苑衆伎の流は、「國家の用を爲す」點に於て、前述の「國家に益無」き『倡優戯子』とは區別される可きことを述べてゐる。





●大貳先生の曰く、仝、
『見る可し。賢を好むの至驗は、影響よりも疾きことを。今の時と雖も、苟も能く之を好むこと燕王の如き者有らば、士も亦た豈に其の門に造(いた)ることを願はざらんや。唯だ夫れ科擧の法無くして、能者をして屈して伸びず、不能者をして強ひて欲せざるの事を爲さしめ、而も責むるに其の人無きを以てするは何ぞや。是れ特(ひと)り國家に益無きを揚げて、天下に用有る者を抑ふるのみ。曷(いづく)んぞ以て士を勸むるの道と爲さむ。亦た曷んぞ以て民を安んずるの道と爲さむや』(「勸士第八」完)と。


 江戸時代に於ける社會の固定化が、所謂る官家、師家の無能腐敗、布衣在野の士の鬱屈を釀成してゐることを指摘し、前段とは反對に、勸士の積極策として、人材登用を主張して本章を結んでゐる。

 現代人の我々では、何とも、當時の世俗が如何に弊害を齎せたるか理解に難い。
 況んや、士農工商、穢多非人、河原乞食なる身分制度が布されしたるに於てをや。

 吾人は歴史家ではない。
 されど復古を念願し、實際の運動を試みんとする者は、わが歴史、換言すれば 皇國史と沒交渉ではいけない。
 吾人が著眼す可きは、夫々の時代に於ける、夫々の先人の見識と思考、併せて運動であらねばならぬ。それを基礎として、現代に應用す。皇國史と齊しく、尊皇大道も亦た、斷絶される可きではないのである。

by sousiu | 2012-05-07 20:39 | 良書紹介

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