柳子新論抄  「富彊第十三」 

 やうやく最終章に辿り著いた。
 頑張つて毎日、更新し續けたものゝ、殘念乍ら昨日は一日外出、無念、先週中には終へることが出來なかつた。


●山縣大貳先生、『柳子新論』「富強第十三」(原文は「富彊」也)に曰く、
『柳子曰く、食足る之を富と謂ひ、兵足る之を彊(※「強」の意。以下然り)と謂ふ。
富且つ彊なるは天下の大利なり。食既に足る。兵既に彊し。而る後に國は以て虞れ無かる可きなり。
是れを以て先王は、珠玉を貴ばずして稻梁を貴び、姫妾を愛せずして黎庶を愛す。無益を以て有益を害せざるなり。故に磐石千里、富と謂ふ可からざるなり。衆人百萬、彊と謂ふ可からざるなり。
磐石は粟を生ぜず、衆人は敵を防がざればなり。地廣くして食に乏しく、民衆くして使はざれば、奚ぞ以て磐石と衆人とに異らんや。是れ特(ひと)り天下をのみ然りと爲すにあらず。諸侯の國に於ける、大夫の家に於ける、士の妻孥に於ける、皆、然らざるは無きなり。~云々』、(※改行は、野生による。下記然り)


 ○内容の解説に曰く、
『天下の大利として、富、強を掲げて説明し、聖王の治がこれを得んと努力するに對し、闇君庸主は、務めてその國を弱め、その民を貧しくし、禍亂の因を釀成するを述べた』



●大貳先生の曰く、
『古に稱すらく、國に九年の蓄(たくはへ)無きを貧と曰ひ、六年の蓄無きを窮と曰ひ、三年の蓄無きを、國其の國に非ずと曰ふなり、と。夫れ其の蓄積は、豈に特り自ら養ふが爲めのみならんや。亦た將さに以て其の民を救ひ、其の難に備へんとするなり。
後世の國を保つ者、或は一年の食無く、甚しきは數歳の入を逆折するも(※下記參照)、尚ほ且つ足らずして之を大夫に取り、大夫足らずして之を士に取り、士足らずして之を妻孥に取る。豈に啻に國、其の國に非ざるのみならんや。一旦之が爵を奪ひ、其れをして盡く其の債を償はしめんか。子を易(か)へ骨を折くと雖も、吾、一飯をだも給する能はざるを知るなり。夫れ此の如くんば、則はち何を以てか能く王室に藩屏として其の封疆を固めんや。是れを以て其の士、日に窮し、其の民、日に叛き、忿怨激發して自ら陵犯の心無きこと能はず。
然れども國固より貧しく、兵固より弱く、屈彊自ら奮ふ能はず、屏息之を避くれば、則はち天下は實に慮を容るゝもの無きに似たり。闇愚の主は、乃はち以爲へらく、彼れは貧しくして我れは富み、彼れは卑しくして我れは尊ければ、則はち磐石の固きを以て、泰山の安きに居り、治平の術以て尚(くは)ふる莫し、と。
姦臣賊吏、聚斂附益して以て其の心を悦こばしめ、阿諛逢迎して以て其の言に順(したが)ひ、甚しきは則はち之を唐虞三代の治に比し、雅を爲(つく)り、頌を爲り、曾て箴規の言有ること無く、而して其れをして自ら其の智に誇り、自ら其の徳に伐り、事情を知る無く、時勢を知る無からしむれば、則はち闇き者は益々闇く、愚なる者は益々愚にして、亡びんこと旦夕に在りて、而して自ら之を知らざるなり』、


 ○内容の解説に曰く、
『翻つて、當代社會を解剖し、その富、強二つながら得る能はず、まさに存亡の危機に際會して居るにかゝはらず、爲政者の無知なる、未だそれを意識せずして、泰平を謳歌してゐるのを慨歎した』

 ※『後世の國を保つ者、或は一年の食無く、甚しきは數歳の入を逆折するも』(原文「後世有國家。或無一年之食。甚者逆析數歳之入」)
 後世とは暗に大貳先生の生を享けし當時をさすものであらう。
 幕府の財政は、三代家光の頃までは餘裕綽々たるものがあつた。家康は慶長十年十月駿府に移るに際して、從來西城に貯蓄して居た黄金三萬枚、銀子一萬三千貫を秀忠に與へたが、その隱居十年間に、金銀凡そ二百萬兩を貯へた。この二百萬兩の遺産をすべて他に讓つて一文もとらなかつた秀忠は、所謂守成の士であり、財用は依然として潤澤であつた。青山延光が、野史纂略に「前將軍秀忠、東照公の遺訓に隨ひ、崇尚節儉、故に當時の國用、二十年前の租入を用ふるに至り、府庫の富、古今罕(まれ)に有り」(原漢文)と云つたのも、さまで誇張とは思はれない。家光は約三十年に及ぶ治世の間に、島原の亂、日光廟の改築、その他の土木工事、旗本の加増、賑恤等財を散ずる事多かつたが、その財政はなほ微動だにしなかつた。然るに、この三代の蓄積も、四代家綱に至つて、明暦の大火によつて大打撃を蒙り、漸く收支均衡を失つたが、元祿時代に入り、遂に破綻を暴露し、享保、寛政の立直しの努力にもかゝはらず、次第に惡化した。諸藩の窮乏は、幕府よりも早く來た。山崎闇齋先生の談を筆録したと傳へられる「去徹問答」にも、「いつとはなく國用足らず」なつたことが指摘せられ、熊澤蕃山は「大學或問」に「諸大名諸家中身上不相應の借金にてすべきやうなければ、つよきと思ひながらも、民に取ること年々多し、」と云つてゐる。かゝる窮乏を打開するための財政策が、こゝに緊急の問題となつたのは云ふまでもない。鑛山の收入、貨幣改鑄益金の捻出、大都市の商人への御用金等の財源を有する幕府は、流石に年貢の増徴に依頼することは比較的に少なかつたが、それでも年貢加重の傾向は避けられなかつた。



●大貳先生の曰く、
『夫れ大木の折るゝや、必ず蠢を通ずるに由り、大堤の壞るゝや、必ず隙(げき)を通ずるに由る
而して之に加ふるに、疾風暴雨を以てせざれば、則はち折れず、壞れず。
然れども風雨無きを以て、其の蠢隙を危ぶまざる者は愚の至なり。且つ夫れ馬を渇せしめて之を馭するは、眞に之を馭するに非ざるなり。水草を得ば、則はち逸らん。
虎を饑ゑしめて之を伏するは、眞に之を伏するに非ざるなり。肥肉を見ば、則はち益々猛らん。是れ特(ひと)り馬と虎とのみにあらざるなり。鳥窮すれば則はち啄(ついば)み、獸窮すれば則はち攫む。尺蠖の屈するは、以て伸びんことを求むるなり。龍蛇の蟄するは、以て身を存せんとするなり

 これは、現實が表面的平靜の裡に至危を藏せることを、比喩的擧例を以て説明したもの。



●大貳先生の曰く、
『是の時に當りてや、英雄豪傑、或は身を殺して仁を成し、或は民を率ゐて義を徇へ、忠信智勇の士、誘掖贊導して以て天下を煽動せば、則はち饑者の食に就き、渇者の飲に就くが如く、奮然として起ち、靡然として從ひ、勢自ら禦ぐ可かざるもの有らん。冤を洗ひ、耻を雪ぐの心、恩に感じ報を圖るの志、勇を奮ひ義を勵まさば、則はち放伐の易き(※下記參照)、蠧を通ずるの木、隙を通ずるの堤、之に加ふるに疾風暴雨を以てするものと謂ひつ可し。此に至りて始めて嚮(さき)の所謂る泰山の安きは、特り幕燕の危ふきのみにあらざるを知るなり。是れ其の損益する所以の理、蓋し見る可くして、存亡の機は此に關せり。故に國家を有つ者、無益を以て有益を害せざれば、則はち人君の事、畢(をは)る。 ~云々』、


 ○内容の解説に曰く、
『前述の如き社會状勢は、よし爲政者が意識せざるにせよ、一觸即發の状態にあるもので、敢爲なる指導者の出現によつて直ちに且つ容易に動亂に導くことが可能であるとなし、政治の要諦について端的に述べた』

 ※『則はち放伐の易き云々』(原文「則放伐之易。云々)の説明
 鳥巣通明先生の曰く、
『こゝに謂ふところの放伐は、當代社會の改革、具體的には討幕を意味し、必ずしも直ちに國體に反するものと爲すことはできない。然しながら正名を重んずる著者にして、この語を濫用し、議論を曖昧にすることは、甚だ遺憾であると云ふべきであらう。彼の放伐是認論に就いては、すでに利害第十二の章に述べた。そして、現實社會の孕む矛盾剔抉に示された卓越せる手際、將來に對する適確なる見透し、改革を論ずるに當つての敢爲の精神にもかゝはらず、不幸にして、彼の立場が儒學思想を脱却して居なかつたことも、その折觸れて置いた』と。



●大貳先生の曰く、
『古の人は、目の見るに短なるが故に鏡を以て面を觀、智の自ら知るに短なるが故に道を以て己を正したりき。
人君の學は、身に六藝の文を修むるに在らず。口に百家の言を誦するに在らず。苟も道の信ず可きを知らば、斯れ足れり。道の信ず可きを知らば、則はち道を知る者至らん。至りて而して之を信ぜば、姦賊將さに何に自(よ)りて興らんとする。國に姦賊無くんば、則はち天下の難は已むなり、と』(本文、完。跋、略す)


 ○内容の解説に曰く、
『人君の事は、道を信ずるに在りと説いて、本章を結ぶ』

 大貳先生はこの最終章に於て、當然の如く、「柳子新論」を總括されてゐる。
 國民が食糧に不自由せぬ状態を富と云ひ、兵備の充足した状態を強と云ひ、當然のことではあるが、この富強が完備することは國家として最も利益の大なるものであると喝破してゐる。
 ところが現實はどうだらうか。幕府を始め、みな經濟的には汲々とし、家臣から、農民まで、生きること以外の目的を持つ能はざる毎日であり、民は無法を働き、或は愛兒を賣らねばならぬ始末である。畢竟、怨嗟の聲は高まり、これでは、富なく強なく、國家大安心には到底覺束ない状態である。
 あはれむ可き哉、しかし、爲政者はこゝに至つて建て直す方法を失し、夥しい負債と窮乏とに迫られるのみ。 刑と法は當を得てをらず、人心は亂麻の如くある。豈に憂ふ可からざるや。
 大貳先生の、上記、『大木の折るゝや、必ず蠢を通ずるに由り、大堤の壞るゝや、必ず隙を通ずる』とは、比喩的表現を以て、暗に討幕を主張してゐると解釋することが出來やしまいか。
 この意は後段に掛けられてゐる。曰く、『尺蠖の屈するは、以て伸びんことを求むるなり。龍蛇の蟄するは、以て身を存せんとするなり』と。こは、尺取蟲が身を屈するは、伸びんが爲めであり、龍と蛇が蟄伏するは、身を存して他日の昇天を期さんが爲めであるといふ意味だ。當時の人の世にあらぬかの如き世も、不幸を繪に書いたやうな毎日も、他日大に幸福ならんが爲めのものである、と。
 而して、大貳先生は、結論として、『苟も道の信ず可きを知らば、斯れ足れり。道の信ず可きを知らば、則はち道を知る者至らん』と述べてゐる。
 人に於ても、國に於ても、「道」なるもの踏み外す勿れ、との箴言だ。

 さて。今日の日本は如何。果して世界は如何。

 吾人は、大志を懷いて、國歩を正しき道へと善導し、只管ら修理固成を熱祷するある而已矣。
 暗澹たる世に於て吾人は、先人の國運挽囘の志と姿勢に學ぶところ多しとするものである。
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by sousiu | 2012-05-13 12:48 | 良書紹介

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