皇都での一日 

 本日は、「正かなづかひの會」平成廿四年度總會及び講演會に參加(千代田區麹町)。
 野生は一昨年からか、この會に入會してゐるが、總會に出席したのは今囘が始めてだ。

 中村信一郎先生、川畑賢一先生ほか諸先輩に御挨拶を申上げる。

 講演會の講師である川畑先生の御高話は、頗る感じるところがあつた。
 口語體は時代によつて千變萬化するものであり、然るにこれのみで馴れてしまつては、古典をはじめ、歴史的文獻を讀み解くことは出來なくなつてしまふ―、といふ件りは、全くその通りであると思うた。かうして考へると、國語表記は單なる學問的一分野の問題に止まらないのである。而して、現代假名遣ひは文語體に用ゐるも難し。穴あき五十音の矛盾を放置せぬ爲めにも、小學校で正假名づかひを學ばせる可きであることを力説された。
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 この會は啻に、趣味的同好者の集りではなく、目的意識と計畫性を持つて躍動してゐる。
 野生はあまりにも非力な爲め、今は只管ら螳螂の斧を揮ふことで精一杯であるが、おほいに發展していたゞきたいと願ふものである。


 歸りはひとり、皇城へ赴く。遙拜する野生を指してツアーかと思はれる支那人の一團が大聲で何か語り掛けてゐた。
 まア、支那人らは、皇國に對する羨望が半分、畏怖が半分といつたところでなからうかと思ふので(どの道、何を云うてゐるのか、さつぱり分らぬし)氣にもならないのであるが、問題は日本人だ。
 皇居前廣場に休む人達も、もう少し場所と振る舞ひを辨へた方が良い。どこかの團地内の公園とでも思うてゐるのだらうか。日本人が自らこれであるから、宮城を訪れる外國人らの姿勢も正されぬのである。
 已んぬるかな、場所が場所だけに、さうした無知蒙昧な人らを如何樣にす可きか思案も浮ばず、仕方ない、歸路、一首を詠みつゝ忿懣を慰めるほか無かつたのである。
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  宮城の 尊き知らぬ 國民(くにたみ)も
       道教へざる 世の生みしもの
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by sousiu | 2012-07-29 01:14 | 報告

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