畏友との再會  

 九月十日月曜日は、數年振りに矢崎泰之兄と會つた。
 矢崎兄との交流は長く、彼れ是れ廿年になる。
 彼れは以前、大義党なる團體を主宰し、神奈川縣維新協議會に在籍。尊皇の志篤く、行動右翼の權化のやうな人で、過去、運動でも幾度か別莊住まひを餘儀なくされてゐる。
 彼れは今度びも別莊生活を送つてゐたのであるが、芽出度く歸宅したことから、久々の對面となつたのだ。
 矢崎兄とは廿代前半から、ビラ貼りで、或は機關紙で、お互ひ努力を競ひ合つたものだ。又た、自分でも今では信じられないが、矢崎兄とは週に少くとも二、三度は飮みに行つた。卅歳のころから、野生は殆どアルコールを口にしなくなつたが、あの頃はよく飮んで大言壯語したものだ(酒は兔も角、大言壯語は今も變はらぬが)。
 矢崎兄とは思ひ出咄をする丈で、おそらく三日は過ごせるだらう。何にせよ、久し振りの再會は嬉しいものであつた。


 因みに彼れは府中にある別莊で假住まひをしてゐたのであるが、野生との通信は一切、別莊地管理人の手により斷絶されてゐた。
 野生の知人で月形に假住まひをしてゐる人がゐるが、是れ又た管理人から書籍や手紙やらが差し止められる始末。
 當然、先方から野生への發信も不可である。
 別莊の管理組合に電話して尋ねると、いづれも「理由はお答へ出來ませぬ」とのこと。
 これは差別だ。解同に言ひ付けてやりたい。



 ところで、矢崎兄の「大義党」で思ひ出したので、序で乍ら「大義」に就て、興味深い一文を抄録しておきたい。
●猪狩又藏氏、昭和七年六月十五日、『日本皇室論』(「日本皇室論刊行會」發行)
君は君、臣は臣と、其の名分の定まつたところに大義が存するのである。大義名分は一つの熟語となつて、而かも現今は濫用せられることが多いから、茲に一言を付加して置きたい。世間普通の事柄に大義名分が、どうのかうのといふが、是れは不敬に亘る恐れがある。大義とは君臣の間のことに限るのである。昔は赤穗義士が仇討ちをしても、大義によつて云々とは言はない。たゞ義によつてといつてある。主君の仇でも主君は一諸侯であるから、斯くいつたのであらうと思ふ。それに近頃は何としたことか。一政黨員が政黨を脱するとか脱せぬとかいふ場合でも、大義名分云々と論議することが少くない。極めて僭上の沙汰である。言葉が濫用せられるといふことは、其の言葉のうちに含まれた意味が亂雜になるのである。我が國體上重大なる意義を有する言葉の濫用は、愼まなければならぬ』と。

 ・・・知らなかつた。
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by sousiu | 2012-09-12 00:47 | 報告

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