君は百姓を以て本となす。 

●權中納言從三位 源光圀翁修『大日本史』卷之四「本紀第四」仁徳天皇項
『四年丙子、春、二月六日甲子。(仁徳帝)群臣に詔して曰く、朕、高臺に登りて以て遠くを望むに、烟氣、域中に起こらず。意(おも)ふに百姓既に貧しくして、家に炊ぐものなければならん。朕聞く、古、聖王の世には、人人(ひとゝゞ)詠徳の聲をなし、家家(いへゝゝ)康哉の歌ありき、と。今、朕、億兆に臨むこと、茲に三年なれども、頌聲作(おこ)らず、炊烟轉疎なり。即はち知りぬ、五穀登(みの)らず、百姓窮乏せることを。封畿の内、尚ほ給せざるものあり。況んや畿外の諸國に於いてをや、と。
三月二十一日己酉、詔して曰く、今より後、三戴悉く課役を除き、百姓の苦を息(やす)めん、と。是に於いて黼衣鞋履、弊盡せざれば更(あらた)め爲(つく)らず、温飯煖羹、酸餧せざれば之を易(か)へず、小心約志、以て事に無爲に從ふ。是の後、宮垣頽るれども造らず、茅茨壞(やぶ)るれども葺かず、風雨時に順(したが)ひ、五穀豐かに穰り、三年にして百姓殷富、歡聲路(みち)に盈(み)てり。
七年己卯、夏四月辛未の朔、天皇、臺(うてな)に登り、烟氣の多く起こるを見て、皇后に謂つて曰く、朕、既に富めり、復(また)何をか憂へん、と。皇后曰く、今、宮室朽壞して暴露を免れず、何をか富めりと謂ふ、と。天皇曰く、天の君を立つるは、本百姓の爲めなり。故に君は百姓を以て本となす。古昔の聖王は、一人饑寒するも、之を顧みて身を責めたり、百姓の貧しきは、則はち朕の貧しきなり。百姓の富めるは、則はち朕の富めるなり、未だ百姓富みて君貧しきものはあらざるなり、と

 前記の行き掛かり上、今日は 仁徳天皇に就て、「大日本史」から、農事に關することがらを抄録した。



 ところで話しは變はるが、野生はマスコミ流の所謂る『開かれた 皇室』に就て反對の意を唱へるものである。それ詳細を多く語るまでもあるまい。神罰を恐れぬか、甚しきはスリ師の目つきもて 皇室を見(觀察・・・と云ふ可きではなからうから)、更らにはパパラツチの如く如何はしき記事を掲載して省みることなき女性週刊誌もある。讀者の眼光又た然り。精確に云へばかくなる記事が、民の眼光の穢れることを助長してゐるのである。「報道の自由」「知る權利」の際限なき解釋と「賣らんかな主義」は、人をして神聖なるを涜さずにはをられぬものなのか。
 然れどもその一方で、恰も 天皇を「偉人」として宣傳し、啓發を試みる保守系團體もある。その氣持ちも分らぬでもないが、かやうな啓蒙には、同時に憂事が兼備されてゐることを識らねばならない。
 云はずもがな、天皇は我々地上を御照覽あそばれてをられ、世々常々吾人は忝くもその鴻恩を賜はつてゐる。
 けれども日本人は、天皇が「偉人」にあらせられるから拜してゐるのではない。觀念の誤りは、ともすれば、將來「偉人」たらねば拜することに遲疑する者を量産し難ねない。それを以てして、野生は「尊皇心の發露」と到底思へないのである。
 そして彼れらによる記述は、先帝に關することがらに集中する。先帝に對する畏敬と仰慕の念が濃厚たるゆゑのことであらうが、稍もすると「開かれた 皇室」の弊害を齎せかねない。
 今更ら乍ら、當時のあの政治體制、監視下にあつて登場した『大日本史』が如何に人心に影響を與へたか、その影響の至大を思ふとき、實に賞讚の念を禁じ得ないのである。
 然るに近年はその逆で、「言論の自由」「思想の自由」が何びとにも與へられてゐる。であるからこそ、啓蒙啓發にはこと愼重を持さねばならぬと考へる。 
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by sousiu | 2012-10-17 18:46 | 良書紹介

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