克苦啓蒙 

 野生は和本マニアだ。
 和本は、洋書と違ひ、紙は和紙で柔らかく、表紙の「平」と呼ばれる頁も厚くなく、更に「和綴ぢ」と云つて絲で止めてある丈なので、立てゝ保管することが困難なのである。
 おまけに本の「背」の部分がないので、積み重ねてしまふと探して出すのも一苦勞となる。
 (因みに鈴屋刊行本は表紙の色に青若しくは水色が多く、氣吹廼舍は濃紺、水戸學系は黄或は紺、とそれゞゝ獨自の愛用する色があるのか、大凡區別されてあるので分り易い)
  ※本の部分の名稱→http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/osaka/book_bui.html
 扱ひも愼重にせねばならず、亂雜にすれば紙は破れ(既に蟲が喰つて破れ易くなつてゐるものも珍しくない)、絲が切れ、悔しい思ひをせねばならない。
 だが、それでも、和本の魅力は、強ひられる面倒を倍して猶ほ餘りあるものがある。

 今でこそ、印刷技術や紙の製造は發達し、人家に普及されてゐるが、當時は大變貴重なものであつた。
 現在は出版が安價であるとは云はないが、嘗て書を刊行するといふことは、それこそ難儀至極であつたのである。

 當時は紙が貴重であつたことに加へ、印刷も木版印刷で、所謂る版木といふものを彫つてこれに用ひた。ま、判子みたいなものだ。
 見ていたゞきたい。下記寫眞のやうに、一頁一頁木を彫刻するのである。これは今日より見れば、實に大がかりなものだ。加へて印刷も又た、もちろん一枚一枚が手作業だ。↓↓↓
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↓↓↓これが版木だ。相當細かく彫つてある。
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↓↓↓この版木で印刷すると、                      ↓↓↓かうなるわけだ。
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 であるから、いゝ加減な心構へや淺薄な學問では、書籍を刊行するに値ひしなかつた。
 刊行に係はる資金繰りは當時の國學者達の、絶えず附いて廻る苦惱であつた。今日のやうに「言論の自由」などといふものを謳歌し、又た、手輕に發言を書き込むことが出來なかつたのである。
 翻つて、かうした條件下にあつたからこそ、思想學問は自づと洗煉され、一書は人の心を動かしたのではあるまいかと思ふ。尤も需要者たる讀者も、今日の如く情報が溢れ、主義主張も馬に喰はせるほど餘りある環境で無かつたらうから、やうやく購入した一書を後生大切にし、幾度も幾度も拜讀したに違ひない。
 以爲らく、發信者も受信者も、すぐに抗議、抗議と口角泡を飛ばして自己滿足に浸りたくとも浸れぬがゆゑ、生まれるものがあつたのであらう。

 その苦勞人たる發信者の一人に、六無齋 林子平翁がある。
●子平翁、自著「海國兵談」の刻成りたる年(?・・・年號が記載されてゐないので不確かである)つまり寛政三年五月二日、藤塚式部氏に送るの書翰にて曰く、
『~略~ 海國兵談も、初め九百日と見詰懸り候處、其九百日の待遠さ中々日夜心惡く存じ罷在候得共、無力一日々々と相送候内、九百日疾く相過漸く千六十日めに相成候。先々是にて一安堵は致候得共、今迄とちがひ一度に五兩も十兩もなければ摺事難叶候。此おもひが今迄の思ひより又々ひどく相成候。依而一首あり。
小刀を起しては、速やかに彫終らん事を思ひ、既に彫終りては、又紙の足らざるを恨めりと書きて
   紙なきの今日の恨みにくらぶれば
       昔はものをおもはざりけり
』と。
 支拂ひの目處を立て、彫刻の仕上がるまでに九百日を要すると云はれた翁は、その日を一日千秋の思ひで待ち、遂に一千六十日目にして版木は刻され(正味三年だ)。すると今度は紙不足に惱まされ。これを購入するお金無きに苦惱してゐることを訴へてゐる。その悲心、他者に推量し難し。
 翁は文末に金子の無心を藤塚氏に懇願する。曰く、
『~略~ 可相成者、當歳まで金十切借用被仰付被下度奉存候。此度此方にて仕立候處わづか三十八部出來申候。此三十四人の入銀の人々へ三十四部は贈り物に仕候。左候へばあとの三四部はなんの役にも立不申候。役に立ねば當暮まで摺可申儀無御座候仍而せめて又々三十部もすり立候而うりに遣申度候得共此方にて小子に金子などかす者は無御座候。可相成は十切恩借被仰付被下度、偏に奉願候。またも勝手千萬ながら此人に御かし被下候得ば猶以て銘肺腑奉存候。萬一十切不相成候はゞ其内にても不苦候得共、餘り内にては摺立の用に立不申、殘念に奉存候。何卒、何卒、十切か三兩恩借被下度偏に々ゝ奉願候。大晦日限りか元朝までに必以て返上仕る事に御座候。~中略~
   五月二日
       藤塚知明樣足下
尚以て皆々樣へ被仰達可被下候。恩借願は何卒々々御叶可被下候。奉頼候。以上』と。

 これを河原流に譯せば、
『相成る可くは、今年まで金十切の借用を仰付け下さりたく存じます。此の度び、當方にて仕立てたところ、僅か卅八部出來ました。この三十四人のスポンサーへ卅四部を贈り物しなければなりません。さすれば殘りは三、四部だけで、何の役にも立ちませぬ。それでは暮れまでに摺るといふことは出來ません。よつて、せめてもう卅部を印刷し、賣りたく存じますが、既に私にお金を貸してくれる者は御座いませぬ。相成る可くは、十切ほど恩借仰付け下さりたく、偏へに御願ひします。また勝手ながら、(郷黨の)人も御貸し下されば、猶ほ以て有難いことです。萬一十切借り入れ出來なければ、印刷する能はず、殘念に存じます。どうか十切か、さなくは三兩を恩借下されたく、どうか御願ひします。大晦日か元旦の朝までには必ずお返し致します。~中略~
   五月二日
       藤塚知明樣
なほ、皆さんへも仰せ下さいますことを。願はくは恩借のどうか叶ふことを。御願ひします』

 翁の辛苦悲情、書面にて想ふ可し。
 餘談ながら、郷の人はこれを狂人視し。金など貸す者もなく。翁、彫刻だけでも覺束なきところ、紙など買ふ金もなく、印刷する金もなく。更らに如何なる貧乏神に好まれたか、翁は、『海國兵談』を上梓した直後、『寛政の改革』の影響を受け、版木を沒收されてしまつた。今日、稀本として世にわづかに傳はる『海國兵談』の古書は、祕かに隱し持つてゐた副本によるものだ。
 謹愼を申し渡された翁、放吟して曰く、
     親もく妻く子く板木
             金もけれど死にたくも
 これが號となつた六無齋の所以だ。

 大壑平田篤胤先生も、出版には苦心したといふ。名著『靈能眞柱』の版木が質屋に入つたといふ逸話も殘つてゐる。

 主義主張を手輕に發せられる環境から何も生まれることはない、とは云はない。
 環境はあくまでも環境であつて、環境の所爲にばかりしてはいけないだらう。いづれも言を發するのは人であるからだ。
 但し、人その者が手輕に言を發する能ふ環境に甘んじてしまつては、そこからは生まれ出でるものは期待薄しであらうと思ふ。溺れたくなるほど自由が與へられてゐる現在にあつて、自ら謹愼の心得を忘却せず、勉學し、探求し、發言することは、決して容易なことではないのである。
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by sousiu | 2012-10-18 00:37 | 日々所感

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