大橋訥菴先生に學ぶ。二  

 え~と。またゝゝ間が空いてしまつた。
 最早、氣紛れのやうに更新する日乘であるが、それでも見捨てず覗いてくれる御仁がをられるので有難いと思うてゐる。
 ま、それが「更新しよう」と思へる元氣の本でもあるし、同時に「更新せなば」と焦躁する因でもある。苦笑。

 更新が遲れてしまつたので、些か拍子拔けするけれども、一應、前囘に連動させなければならない。
 「坂下門外義擧」を記したのであれば、訥菴居士 大橋正順先生を紹介せねば、備中處士樣よりお叱りを蒙りさうだからだ。

 坂下門外義擧と訥菴先生の關係に就ては、以前にも當日乘に記したので、こゝでは省く。
   ◎從四位 大橋訥菴先生に學ぶ → http://sousiu.exblog.jp/16722972/
 又た、備中處士樣も筆意雄健、平成混迷の今日に再び訥菴先生の金言及び功勞を世に弘布せむと力めてをられる。
   ◎忘れられたる大橋訥菴先生。 → http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t6/18
   ◎師道、其れ嚴なる哉。 → http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t6/8

 此度び淺慮乍ら野生も又た、之に連ねるを試みる可し。
 訥菴先生の思誠塾は日本橋橘甼三丁目(後に村松甼に轉居するも安政地震で崩壞し、それからは幕府の嚴重なる監視下から逃れる爲め向島小梅甼へ)に在つた。こゝに青少年はあつまり、尊王攘夷の志操を追及、涵養していつたのだ。

 訥菴先生は坂下門外義擧の三日前(文久二年一月十二日)、南町奉行によつて逮捕され、翌日、思誠塾は幕吏によつて徹底的に捜査されることゝなる。
 訥菴先生、傳馬町の獄舍に幽閉され、その後宇都宮藩の赦免運動により半年後の七月出獄するも、旬日を經ずして同月十二日を以て、四十七歳の生涯は幕を閉ぢた。
 一方、思誠塾は訥菴先生の養子である大橋陶庵翁(御一新後は大學教授となる)、これを繼ぎ、翁明治十四年十二月廿三日、五十八歳で天壽を迎へた。

 こゝで思誠塾の氣風を識る爲めにも試みに「思誠塾生徒心得書」を拜讀してみよう。
 思誠塾に就ては、インターネツトなどでも調べることが出來るが、「心得書」は見當らない。
 よつて長文となるが參考資料として爰に原文を全て掲げるものとする。
 「訥菴先生に學ぶ」と題したことから、思誠塾の生徒となつたつもりで一讀す可し矣。
 尚ほ、原文(黒太字)は白文混じりの片假名書きであるので讀み難く、よつてこれを平假名にて變換、譯す(灰細字)。句讀點及び括弧も野生による。請ふ、變換に誤りあらば御指摘下さることを。


●思誠塾『思誠塾生徒心得書』
一、朋友ハ謙遜辭讓信義ヲ以テ可交事勿論ニ候。學業爵録年長之類ヲ挾ミ儕輩ヲ輕侮致候樣ナル事ハ堅相愼可申候。乍去忠告善導ハ朋友之道ニ候得共萬一心附候事有之候節ハ無憚幾度モ物靜ニ可被申諭候。陽ニハ棄置候而陰ニハ謗議輕慢致候樣ナル儀ハ深ク戒可申事。
   少年ハ能ク和順ニ長者之言ニ從ヒ可申候。少モ妄慢致差出ケ間敷候樣之事堅相愼可申。長者ハ少年ニよく目ヲ挂成丈過失なき樣心附可被申事。


(一、朋友は謙遜、辭讓、信義を以て交はる可き事は勿論に候。學業、爵録(※祿、乎)、年長の類を挾み、儕輩を輕侮致し候樣なる事は、堅く相愼み申すべく候。さりながら忠告、善導は朋友の道に候えども、萬一、心附き候の事これ有り候節は、憚りなく幾度も物靜かに申し諭さるべく候。陽には棄て置き候て、陰には謗議輕慢致し候樣なる儀は、深く戒め申すべきこと。
   少年はよく和順に長者の言に從ひ申すべく候。少しも妄慢致し、差し出がましき候樣の事堅く相愼しみ申すべし。長者は少年によく目を挂(か)け、成る丈過失なき樣心附け、申さるべきこと)




一、課業之儀ハ大畧半日經書半日歴史と定置候而其間ニ古今之戴籍モ博渉可致候。成丈ケ力ヲ用ひ精讀之上日々幾度モ無遠慮質問可被致候事。

(一、課業の儀は、大略、半日は經書、半日は歴史と定め置き候て、其の間に古今の載籍も博く渉り致す可く候。成る丈力を用ひ精讀の上、日々幾度も遠慮なく質問致さるべく候こと)



一、無用之雜談及諧謔之話堅相愼可申相互ニ學術文字ニ關リ候有用之話ヲ心懸可申事。

(一、無用の雜談及び諧謔(洒落や冗談のこと)の話は堅く相愼み申す可く、相互に學術文字に關はり候、有用の話を心懸け申すべきこと)



一、灑掃應對進退坐作等ハ精々氣ヲ付丁寧ニ致候樣心挂可申候。少年ハ勿論長者と雖モ此等之事ニ粗漏ニ致候ハ皆失徳之一ニシテ心術之害ニなる事忘べからざる事。
   坐敷書齋及玄關等番ヲ定置灑掃可被致候事。


(一、灑掃、應對、進退、坐作等はせいゞゝ氣を付けて丁寧に致し候樣、心がけ申すべく候。少年は勿論、年長者といへどもこれらの事に粗漏に致し候は、皆、失徳の一にして、心術の害になる事忘るべかざるのこと。
   坐敷、書齋及び玄關などの番を定め置きて、灑掃致さるべく候こと)




一、飮食ハ人之大欲存する物故可成丈質素節儉ニ致し奢侈鄙吝ニ渉らぬ樣可致事。
   飮酒之類堅ク制禁ニ候。從合他行致候節無據家ニ而被勸候共成丈相愼言行二粗忽無之樣可致事。


(一、飮食は人の大欲の存するものゆゑ、なるべくだけ質素節儉に致し、奢侈鄙吝に渉らぬやう致すべきこと。
   飮酒の類は堅く制禁に候。合しより他行致し候の節は、據なく家にて勸められ候とも、成るだけ相愼み言行に粗忽これ無き樣致すべきこと)



一、司謁之儀ハ一人宛番ヲ定置候而晝夜玄關ニ出張相勤候樣可致。若來客多人數手廻リ兼候節ハ相互ニ助ケ候樣可致事。
拙者他行致候節來客有之候ハヾ歸宅之上早速其趣無遺忘可致申聞候。
門及玄關開闔之儀ハ其日司謁之者司るべき事。


(一、司謁の儀は一人宛て番を定め置き候て、晝夜玄關に出張を相勤め候樣致すべし。もし來客、人數多く手廻り兼ね候の節は、相互に助け候樣、致す可きこと。
   拙者が他行致し候の節、來客これ有り候はゞ、歸宅の上は早速、其の趣き、遺忘なく申し聞かせ致すべく候。
   門及び玄關開闔の儀は、その日の司謁の者、司るべきのこと)




一、圍棋象棋之類制禁之事。
   但正月從元日七日迄五節句夏之土用中午後の八時迄
   右之節ハ被扱候而も不苦候事。


(一、圍棋・象棋の類は制禁の事。
   但し、正月の元日より七日まで、五節句夏の土用中、午後の八時まで、
   右の節は扱はれ候ても苦しからず候こと)




一、詩竝國歌等高吟致し又ハ謠曲之類ハあしき事ニハ無之候得共學問修業之急務ニ無之且他人讀書潛思ヲ妨候故晝之内ハ相愼申ヘシ晩餐後等ハ不苦候事。
   但路上詩歌微吟聊幽情ヲ寄候ハ格別之事ニ候得共放歌亂舞流俗ニ傚ひ候儀堅ク相愼可申事。


(一、詩ならびに國歌など高吟致し、又たは謠曲の類は、惡しき事にはこれ無く候えども、學問修業の急務にこれ無く、且つ他人の讀書潛思を妨げ候ゆゑ、晝の内は相愼しみ申すべし。晩餐の後などは苦しからず候こと。
   但し、路上で詩歌を微吟するはいさゝか幽情を寄せ候は格別の事に候えども、放歌、亂舞、流俗に傚ひ候儀は堅く相愼み申すべくこと)




一、外行之節ハ一々其趣可被申達候。近隣ニ而結髮入湯其他三度食用辨じ候外不告し而他出嚴禁ニ候。若違犯之者ハ事宜ニより輕重も有之候故其罰三等ヲ設如左。
   放逐
   禁足一月或ハ廿日
   當直五日或ハ三日


(一、外へ行くの節は、一々其の趣き、申達さるべく候。近隣に髮を結ひ、湯に入り、其の他三度食用辨じ候ほか告げずして他出するは嚴禁に候。若し違反の者は事宜により輕重もこれ有り候ゆゑ、其の罰三等を設くること左の如し。
   放逐
   禁足一月或ハ廿日
   當直五日或ハ三日)




一、外行之節初より一宿ヲ乞候儀ハ其子細一々相通し許可ヲ得而然後宿スベシ。萬一出先ニ而用事有之一宿ヲ乞候事ハ必其者紹介之者或ハ其藩重役之者より後證ニ相成候一書ヲ拙者手元迄急送し其子細委曲告らるべき樣取計可申事。
   但不告し而宿スル者禁足十日之上名牌五枚ヲ差出し可申事[十五日以前ハ其月之名牌差出以後ハ後  月之分を差出可申事以下傚之]
   過門限者ハ禁足七日之上名牌三枚差出可申事。
   他出之上一宿ヲ乞之書夜四時ヲ過候時ハ過門限者ニ準シ候得共不得已之事モ有之候故禁足七日而已之罰ヲ受べき事。


(一、外へ行くの節、はじめより一宿を乞ひ候の儀は、其の子細一々相通し許可を得て、然るのち宿すべし。萬一出先にて用事これ有り一宿を乞ひ候のことは、必ず其の者紹介の者、或は其の藩重役の者より後證に相成り候一書を、拙者の手元まで急送し、其の子細委曲告げらるべき樣、取り計らひ申すべきこと。
   但し、告げずして宿する者は、禁足十日の上、名ふだ五枚を差出し申すべきこと。[十五日以前はその月の名ふだを差出し、以後は後月の分を差出し申すべきこと。以下これに傚ふ]。
   門限を過ぎたる者は禁足七日の上、名ふだ三枚、差出し申すべきこと。
   他出の上、一宿を乞ふの書、夜四時を過ぎし候時は、門限を過ぎたる者に準じ候えども、やむを得ざるのこともこれ有り候ゆゑ、禁足七日のみの罰を受くべきこと)




一、疾病事故ニより下宿一月ヲ踰候者ハ其席一席ヲ逆退し後ニ讓リ可申事。

(一、疾病、事故により、下宿一月を踰え候者は、その席一席を逆退し後に讓り申すべくこと)



一、生徒歸省之節其席近國之者ハ廿日或ハ一ケ月遠國之者ハ一月半より二ケ月迄ハ空しく除き置其歸るを待可申事。
   但月ニ滿候得者後より順々其席の繰上ケ不苦候事。


(一、生徒歸省の節、その席、近國の者は廿日或は一ケ月、遠國の者は一月半より二ケ月迄は空しく除き置き、その歸へるを待ち申すべきこと。
   但し、月に滿たし候えば、後より順々に其の席の繰り上げも苦しからず候のこと)




一、講筵輪講ハ病ヲ除ク外鬮ヲ脱し竝闕席兩度ニ及ひ候者ハ當直一日ヲ以而其罪ヲ償べき事。

(一、講筵輪講は病ひを除くほか、鬮を脱し竝びに闕席兩度に及び候者は、當直一日を以てその罪を償ふべきこと)



一、連月他出名牌十枚ヲ盡シ候ハヾ其事故ニより至當之罸可申付候事。

(一、連月他出の名ふだ十枚を盡くし候はゞ、其の事故により至當の罸を申し付くべく候こと)



右之數條無忘失樣能々御心得可被成候。
明治四年辛未二月                      陶庵


(右の數條、亡失無き樣、よくゝゝ御心得成さるべく候。
明治四年辛未二月                      陶庵)




 思誠塾の氣風、以て識る可し矣。野生の如きなぞ、即時放逐、さらずんば禁足の罰を被るであらうが、も少し若く、若しもかういふ塾があつたなら、一度は入塾して學んでみたいものだ。
 時代の違ひもあると、何でもかでも時代、時代と云うて今日の自分を過保護としては駄目なのだ。維新前は少年から青年まで、みな、斯くの如き嚴しき環境に自ら志望して投じ、勉學と精神の向上に日々努めてゐたのだ。河原、穴があつたら入りたし。とほゝ。
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by sousiu | 2013-02-06 11:31 | 先人顯彰

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