大橋訥菴先生に學ぶ。五  『責難録』 三 

 昨日は、紀元節奉祝式典實行委員會による「紀元節奉祝式典」が千代田區永田「星陵會館」で行はれ、これに參加。
 福永武兄が齋主となり、嚴かに紀元節祭が執り行なはれた。
 記念講演は、京都産業大學名譽教授のヴルピツタ・ロマノ氏、演題は「日本とローマ - 二つの紀元節」。

 この日、以前に木川兄から御紹介を受けた皇學館大學の學生某君が上京。
 「星陵會館」を後にして、木川兄と某君とで新橋の「天狗」へ。
 人に知られては困るので他言は御無用に願ひたいが、この「天狗」こそ、時對協の祕密のアジトなのだ。
 某君は木川兄を慕ふだけあつて能く勉強をしてゐる。專ら、崎門の學と平田國學を學んでゐるといふ。古神道にも興味があるらしい。
 彼れからおみやげに、と、近藤啓吾先生著『若林強齋先生』(拾穗書屋藏版)、皇學館大學神道研究所發行『垂加神道未公刊資料集一』をいたゞいた。
 人の縁とは不思議なもので、惡縁が惡縁を重ねてゆくやうに、良縁もまた良縁に結ばれてゆくものだ。最近の若者には教はることが頗る多い。話題は、崎門、鈴屋、氣吹廼舍から饑饉に就てまで、幅廣きに亙つた。
 紀元節の佳き日に相應しき一日を過ごすことが出來た。感謝、である。


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 さて。訥菴先生に話しを戻さねばなるまい。


●大橋訥菴先生、『責難録』前編卷之一に曰く、
○『醫師の職にありて、治療の道を知ずんば、是を醫師と云ふべからず。御人(うまのり)の職に居て、馭馬の術に昧くんば、是を御人と云ふべからず。然らば人君の位に居て、治國安民の道を知ざる者も、亦只君の名ある迄にて、眞の人君とは云ひ難し。早く治安の道を知り得て、天職を盡し玉はずんばあるべからず。扠、其治安の道を知るには、別に方法と云ふ者あることなく、只學問に限れること故、學は人君第一の急務と云ふべく、他の技藝の類などゝ、同日に論ずべきには非ず』

 これまた、例を擧げて説明したもの。幼君のみならず、野生のやうな無知暗昧にも解し易し。


『されども後世の學問には、正學俗學の差別ありて、均しく皆學問と稱すれば、能く其路徑を辨擇して、入る所を愼まずんば、却て大害となること有らん。是れ又吟味すべきことなり。今其差別を辨ぜんとするに、そは一言にも説き難けれども、姑く大畧を撮て言はゞ、後世の學問する者には、詩文などを作り覺ゑて、汲々として懈ることなく、それ等の技藝に巧妙なれば、學問は畢ると思へる者あり。或は讀書を事とするも、字義文義を穿鑿して、是れはかゝる意味の字なり。此々はかく説かねば合はぬと、言語のことのみに貧著して、そを終身の事業となして、學は成れりと思へる者あり。或は歴史のみを讀て、許多の故事を記するを務、古人の履歴を話柄(はなしくさ)に供して、そを學問となす者あり。或は稗官野史とも云はず、手當り任せに書を讀て、種々樣々の事を記憶し、星貨舖(ほしみせ)の如くに陳列して、それを學問となす者あり是れ等が何れも俗學にて、畢竟大道に眞志のなき者、人に博識才子と喚(よば)れ、己れが鼻を高くして、利祿を釣んと欲する所の、名聞の心より爲すこと多く、縱ひ或は然らざるも、生涯道には通ずることなく、一個の藝者となる迄にて、人倫治道に益なきことは、香花茶の湯に類せる物なり。草莽微賤の士なりとも、眞實大志ある者の、事となすべき學にあらねば、況て國家に君たる者をや。而るに人君それ等の學を、眞の學問と思ひ違へて、一たび蹈こみ玉はんには、先入やがて主となりて、終身道を知ること難く、或は少しく才氣ありて、驕慢し易き君などは、反てそれが病を長じて、人品を傷るにも至るべければ、嚴に戒め愼て、決して近より玉ふべからず

 いづれも、もの學びの心得にあらざるを云ひ、その誤ちに陷らざることを諭したもの。「技藝に巧妙なれば、學問は畢ると思へる者あり」のくだりは、二月に一囘行なはれ參加してゐる「不二歌道會」の「歌道講座」でも眞由美先生が口が酸つぱくなるくらゐ説くところと相合する。
 訥菴先生は廿歳のとき、佐藤一齋の門に入り愛日塾々生となつた。訥菴先生は寢食を惜しんで刻苦勉勵を重ね、忽ち同輩を凌ぎ、門下の偉才を以て目された。そのころ、當時の書生が頼山陽先生の學の流行に從ひ、その大義に關することは捨てゝ顧みず、徒らに詞章のみを模倣するに至つたことを堅く戒めたたといふ。曰く、
大丈夫道に志し、豪傑の士たらんと欲せば宜しく詞章を事とすべからず』と。(參考文獻:『大橋訥菴先生傳』昭和十一年十一月十日「至文堂」發行)
 誤り易きは人君ばかりでない。學を修め業を習ひ以て智能を啓發せむと志す吾人も然り。耳痛き保守派人士、おほくある可し矣。
 では、訥菴先生の説く正學とは一體、如何なるものぞ。


『さらば、眞の正學と云ふは、如何なる事をか爲すぞと云に、是れ亦容易にも説き難けれども、畢竟は道を求むることにて、道理と云ふ物をはきと知り拔き、聖賢とならんと心掛て、天地の心はかゝる物、人道の源頭はかゝる物、天下の立つは此々の處、治亂盛衰は此々より分れ、善惡邪正は此々より岐し、君子小人王霸義利は、此々の加減と云ふ類より禮樂刑政の主意に至るまで、白日に我が掌紋を視るが如く、明快に認(みとめ)んことをひたと願ふて、古聖賢の深旨奧義を、手に握らんと勉めて行くが、眞の正學と云ふ物にて、大人君子の從事すべきは、只此正學に限れることなり。~中略~、されば、人君たらん者、能く正俗の制を辨じて、心を正學に苦しめ玉ひ、久きを經て倦賢否正邪を誤ることなく、忠を喜て佞を惡み、言路は開け士氣は張りて、國脈の隆盛に至んことは、萬々疑ひのなきことなり。務め玉はずんばあるべからず』

 上記を以て正學の正學たらんことを説明する。
 訥菴先生は攘夷家としてだけではなく、いち早く王政復古を唱へた勤王家としても知られてゐる。さうした人物が學問の大事を説くところに、吾人は悟るところあらねばなるまい。


『但し俗學は骨折り少なくして、面白き意味を知ることは早く、正學は骨のみ折れて、面白き意味を知る迄には、俄に至り難ければ、艱苦に慣(なれ)たる書生すら、大率(おほむ)ね正學の難きに畏れて、俗學に走る者のみ多し。汎て人君は富貴に長して、我まゝ勝手の癖を著けられ、むつかしき事、苦しき事には、堪へ玉はぬが多き者ゆゑ、果して正學をせんとならば、豫め能く熟慮して、覺期(かくご)なくんばある可らずそは本と學問と云ふ物は、何の爲にかするぞと云ふに、暗昧昏懦の病を去りて、聰明にならんが爲に非ずやかくてむつかしく苦しき事をば、兔角に厭ひ嫌ふと云ふは、それが即ち病根にて、暗昧昏懦の種なれば、其病根を相ひ手にして、蹈み破らねば置まじと、烈しく進む勇ありてこそ、始て正學は成るべきことなり。~以下略』

 克己克苦を獎勵す。學問に對するこの姿勢がそのまゝ時を隔てゝ變はることなく、曩に記した「思誠塾生徒心得書」にも表れてゐるのである。だがこれ思誠塾のみにあらず。當時の尊王家は概ね、かうした姿勢を持し、見識を深めていつたのであると察する。『果して正學をせんとならば、豫め能く熟慮して、覺期なくんばある可らず』の一文を注視す可し。

 續いて、當時の儒者に對する批判を交へつゝ、師範とす可き人物乏しきを語り、その對策を述べてゐるが、こゝでは省略する。

 ・・・因みに野生は此度び『責難録』を、一項目づゝに分けて記事を更新してゐるのであるが、この書き方は大變だ。まだ半分にも達してゐない。
 目がしよぼしよぼするし、腱鞘炎になるやうな氣もするし、時間も掛かるし、眠くなるし・・・。おつと、克苦勉勵、克苦勉勵。
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by sousiu | 2013-02-12 09:24 | 先人顯彰

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