大橋訥菴先生に學ぶ。六  『責難録』 四 

 昨日は午前中から福島縣の役所に所用あり。あちらこちらへ電話を廻され、遂に半日を費やしてしまつた。
 と云つて勘違ひされても困る。頭の惡い所謂るクレーマーとは違ひ、ま、これも勉強のやうなものだ。しかし役所に對する手續きの面倒臭いことには閉口した・・・・。
 やはり野生はコツヽヽ抄録してゐる方が、性に合ふ。


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承前。

●大橋訥菴先生、『責難録』前編卷之一に曰く、
○『人君は治國安民の職任なれば、其職の筋にだに明なれば、其他の技藝は拙くとも、絶て恥とすべきには非ず。古へ宋の徽宗帝は、書畫に清妙なりしかとも、終に其國祚を蹙められ、我朝の足利義政は、茶の湯の譽れ高しと云へども、天下を亂壞したるを以て人君の技藝に勘能なるは、少しも取るには足らざるを見るべし。且や瑣末なる技藝を好て、精神をそれに注ぎ玉へば、本業當務の治國の筋には、必ず粗略なる者ゆゑ、知らざるが知れるに優れることにて、人君の技藝に不巧者なるは、反て巧者と云ふ者なり』と。

 藩主の任務は治國安民にある可し。技藝に秀でなくとも可。逆言して、如何に技藝に秀でても、その職を完うすることあらずんばこれ、主として取るに足らざる者と謂つ可し矣。足利義政を引き合ひに出したところなども決して理由なきものとしない。
 みなこれ訥菴先生の名分を正さんとしたものだ。又たそれ、ひとり藩主にのみ言ひ得ることゝ思ふこと勿れ。
 眞に 皇國の中興を志す者、求學求道に精進するを以て諒なるも、あれこれ技藝を欲し、他界の事情通となり、見當違ひに心注ぎたればこれ、盲目者といさゝかも變はらず。他のことがらや事情に暗く、無力なるも、ひたすら道に順じ驀らたる者をまことの晴眼者と申す可し。


『尤も劍槍射騎の如きは、知らざれば叶はぬ藝にして、頗る緊要の事にはあれども、是も大■(上「既」+下「木」)を心得たまはゞ、其餘奧儀の處などは、一藩の諸士の任せられて、一々究め玉ふには及ばず。そは本と臣下と云ふ者は、君の手足股肱なれば、一人に敵する業は、君自から善くせられずとも、手足の臣下を勵まして、各々其性の近き所を得せしめ、多く武藝者を作り玉へば、それが即ち君の藝にて、國家の爪牙となればなり。獨り國を安んずる道に於ては、君一人の專業として、其道を知る方法と云へば、只學問に限れることゆゑ、學問は臣下に任かせ置て、それにてすむべき事には非ず。人君自から心志を苦しめ、聖經歴史を玩味せられて、古聖賢の跡を慕ひ、修身齋家の理を窮め、治國平天下の道を求めて、治亂の源頭を知りてこそ、始て職任を盡すことを得べく、國務を隆盛ならしむるにも至るべし。此々が古より明君賢主は、何事を指置ても、學を講じ道を聞くことを、先務とし玉へる所以んなり』

 茶の湯は扠措き、劍槍射騎などを修めるは國家として肝要なことである。さりながら臣下は元來、君の手足股肱であるから、諸士に任せることも出來るのだ。藩主は藩主の役目を完全ならしめる可きだ。それが治國平天下であり、大義名分だ。この職務と名分を能く知る爲めにも、學問が不可缺であるといふこと。
 昨日記した、『學問と云ふ物は、何の爲にかするぞと云ふに、暗昧昏懦の病を去りて、聰明にならんが爲に非ずや』と併はせ讀む可し。


然るに後世の俗吏の論には、學問と政事は別なる物にて、縱ひ學問をせずと云ふとも、政事の筋だに心得れば、國は治むべしと言ふ者あり。是は甚しき謬見にて、人君を昧ます邪説なれば、痛く辨ぜずんばあるべからず

 今日、若しも“復古維新(世直しといふも可)と學問は無縁”と思ひ違へる御仁あらば、その者の能く一讀す可き文言なるべし。


『先づ能く心を靜にして、政事の根本主意と云ふは、如何なる物ぞと思ふて見るべし。其事(そのわざ)は樣々多端なれども、畢竟主意の約(つゞま)る處は、理非邪正を切り捌きて、國を錯置(あつかふ)することに非ずや。~中略~ 扠其理非と云ふ物が、學問をなさずして分るべきか。學問をなさずして理非を捌くは、譬へば尺度(ものさし)を持せずして、長短を度らんとするが如く、盲瞽(めくら)搜しと云ふ者なれば、誠に危ふきの至りと云ふべし。されなこそ俗吏の政事を爲すを觀るに、大率ね理非を顛倒して、肯綮(かなめのところ)を失へる事のみなれども、下位に在る識者は傍觀して、口を鉗(つぐみ)て居るを以て、俗吏は自からそれを知らず、政事に非なしと思へるのみ。若し識者をして俗吏に對し、一々其理非を問はしめば、俗吏は忽ち閉口して、一言半句の答もあらんや。さすれば俗吏の政事と云ふは、理非を切り分つことにはあらで、只其權柄權威を恃みて、推しすくめて置くと云ふ者なり。推しすくめて置くことを以て、治道などゝ思へばこそ、俗吏が政權を執れる國は、士風を弱まし、庶民を虐げ、君の國家を困窮せしめて、人心離叛の種を蒔(まき)つけ、飾る所は外見のみにて、只管ら町人を欺き賺(すか)し、金幣を借ることを專務として、一日凌ぎに等しき所の、拙き事(わざ)をなすに非ずや。かゝる拙き事(わざ)をなして、國は治まる物ならば、誰にても容易になし得る事にて、古聖賢の論せる所は、悉く虚妄と云ふべきのみ

 正しき學問によつて裏打ちされたる正しき見識無くんば、何事をも成し得ざることを説く。
 政治に於て、無學無見識の盲目者或は迷妄者の統治者でも治國平天下が成し遂げられるならば、如何なる愚人でも統治者たり得、まさに古への聖賢は悉く空しくあるのみ。
 今日の身近に置き換へ、いたづらに“敬神敬神”“尊皇尊皇”“忠義忠義”と口角沫を飛ばし、言靈の靈威を忽諸にし、いたづらに言葉を記號機械へと墮せしめ、それでも事足るといふならば、和氣公、菅公、楠公も悉く空しくあるのみ矣。


『然るに其拙きをば悟ることなく、揚々自得の色ありて、我れは學問をせずと云へども、あつはれ政事を爲すと言ひ、國を治むると思へるは、俸腹するにも堪へざることなり。若し又俗吏が政權を執りて、倫理を明らかにし、風俗を厚ふし、國を富し士氣を張りて、隆盛になしたる例(ためし)あらば、其説も立つべきことなれども、開闢以來今日まで、然る例(ためし)あることなければ、俗吏の説の妄たることは、章々乎として火を觀るが如し。人君一たび惑ひ玉はんには、次第に社稷の傾覆を招きて、竟には救濟し難きにも至るべし。懼れ戒めずんばあるべからず』と。


 訥菴先生が單なる血氣に逸つた攘夷の猪武者でなきことは既に理解出來ると思ふ。
 こゝでは『責難録』記載に集中せむが爲め、訥菴先生その人物や志操に就て記す可きではない。
 しかし申せばその思慮は遙るかに博く、深く、そして篤いものであつた。それが餘りにも博識、深慮であり、篤學篤信であつたが爲めに當時凡人の到底解する能はざるものであつたかも知れぬ。
 何は扠て措き、も少し『責難録』と付き合はねばなるまい。
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by sousiu | 2013-02-13 00:24 | 先人顯彰

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