大橋訥菴先生に學ぶ。八  『責難録』 六 

承前。

●大橋訥菴先生、『責難録』前編卷之一に曰く、
○『人君も萬民も、均しく是れ人にして。耳目鼻口、四肢百體絶て異なる所なければ、貴賤の差別はなき筈なり。然るに同じき人を分けて、人君は高位に居り、萬民は下位に居て、貴賤の懸(はるか)に異なるは、果して何如なることぞと云ふに、こは才徳の異なる故のみ。其才徳衆に秀でゝ、君たるに耐へたる器量あれば天より國家をそれに付託(あつけ)け、治安の職に任せしめ、萬民の撫育を命せられて、扠こそ貴賤は分れたるなり。されば國家に君として貴き位に居る者は、衆に超ゑたる才徳なくては、其職に叶はぬことなれども、後世の君は多くは然らず。才も徳も凡庸にて、臣民にも劣れる身を以て、高官高位に居らるゝは、全く祖先の餘澤にして、恐れ多きことと云ふべく、安心してはすまざる筈なり』と。

 人君(こゝでは藩主を云ふ)も萬民も均しくこれ人、と申す。つまり一君萬民だ。明治御一新の眞面目は、この一君萬民たる國體の明徴であつた。本稿では訥菴先生が鋭意藩主を説くものであるから、未だ討幕の主意を感じ取ることは出來ない。當時、時代はまだそこまで來てゐないのだ。されど訥菴先生の、かくの如く日本を熟知せる見識ありて、それはやがて時代の要求と共に後進に「討幕」の運動を釀成させることゝなる。


『然るにそれを何とも思はず、恬然として位に安んじ、我は貴き者ぞと自滿し、臣民を賤しめ輕んずるは、思はざるの至極と云ふべし。衆に超ゑたる才徳なくては、君位に居ても君位の實(せふみ)なく、唯其萬民に異なる所は、宮室衣冠の類なるのみ。そは外飾の附け物なれば、民に束帶衣冠をさせて、高堂大厦の上に坐せしめ、君に敝衣を穿たしめて、隴畝の間に立しむるも、誰れか其別を知ることを得ん。さすれば君と民との貴賤は、錦衣玉食、高堂大厦と敝衣糲飯の故にはあらで、才徳の有無に係れること、彰然として明白ならずや

 訥菴先生は繰り返し繰り返し、藩主を諭さんとする。暗昧昏愚の君は國(當時でいふ藩)の一大不幸であり、愈々ともなれば修正し難き大禍であるからだ。
 訥菴先生の生まれは文化十三年(西暦1816年)。廿歳で佐藤一齋の門に入りたることは既記した。つまり天保の時代だ。訥菴先生が廿歳のころは、江戸四大饑饉の一つ、「天保の大饑饉」が襲つた眞つ最中だ。將軍は徳川家齊。家齊の政策に就てはこゝでは省くが、失策失政の相次ぎたるころだ。如何に訥菴先生の憂ひが深かつたか、時代背景を無慮してはならない。


『さて凡庸不徳の君をも、臣民どもは尊崇して肅々として服事するは、是れ其君を慕ふには非ず。祖先の餘澤を感載して、離畔するには忍びぬ故なり。然るに君はそれを悟らず。我に才徳あればこそ、彼れ等は服從するよと思ひ、許多の臣民の其中には、才器徳量衆に秀でゝ賢者能者のあることをも知らず、傲然と自から高ぶりて妄りに臣民を虐使(つかひまはす)は、其愚、益々甚だしく天の譴罰を免るべからず。されども天の譴罰は、銖々寸寸に度(はか)ることなく、今日天職を忘却すれば、今日罰すと云ふほどに、嚴急苛察には非ざる者ゆゑ、人君兔角に油斷して、戒愼恐懼の心もなく、うかゝゝとして居らるゝは、萬民よりも不幸と云ふべし。萬民は賤しき者にて、今日耕稼の業に怠り、耒耜を捨てゝ手にせざれば、其産忽ちに衰へて、生活し難きのみならず、租税の逋負(みしん)に窮迫(ゆきつまり)て、郡守縣令より罪を獲るゆゑ、終歳それを憂ひ恐れて、雨をも風をも厭ふことなく、田畝に服して懈ることなし。是れ農民の家に生れて、稼穡の筋を知ざる者は、一人もなき所以なり。萬民の上に立て、君たる位に居りながら、治國の道を知ざる者は、農民の家に生れて、農事を知ざると同樣なれども、天より其罪を正さるゝは、唯今目前に來らざるゆゑ、多くは天職の重きことを思はず、天の明威を恐れずして、驕奢淫佚に流れ行くより、終には天に見離されて、祖先相承の社稷を失ひ、汚名を傳ふるにも至るののみ。豈恐れずして可ならんや。若し是れをしも恐れずんば、端章甫して大厦に坐するも、農民には劣れる人と云ふべし

 これも更らに戒めたるものだ。思ひ上り傲慢となり、人を使ひ囘す愚を説く。
 現代にも、亦た我れらの身近にも云へることなるべし。
 天の譴罰は必ずしも速やかなるものでない。氣付くも遲し、人や國の榮枯盛衰、その端緒は案外、小さな誤りから生じる。賢人、この不心得を過ちの小と認めて自省する能ふも、凡庸不徳の愚人にとつては決して小ならず、大なり。驕奢淫佚、増上慢は將さに毒藥と均しきなり。



 本日は早朝から、防共新聞社諸兄がこちらに襲撃に來るといふ。早起きして彼れらを迎へ撃たんと待ちつゝ、急ぎこの記事を書き上げた。粗略となつたが、御寛恕下されよ。
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by sousiu | 2013-02-15 06:31 | 先人顯彰

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