昭和十一年「二二六事件」 その一 

 本日は昭和十一年、所謂る二二六事件が生じた日である。
 二二六事件に就ては、既に御存じのことであらうからして、こゝでは、紫雲莊主幹・橋本徹馬氏『天皇と叛乱将校』(昭和廿九年五月十日「日本週報社」發行)に收録される、紫雲莊の聲明文を抄録し、これにとゞめるものとする。
 二二六事件を前後して、國内は如何であつたか。それに對して、何のやうな意見があつたのか。日本に軍備の必要とする世論が高まりつゝある今日(國軍創設に關して野生なりの私見あるもこゝでは差し控へる)、それらを知るのも決して無駄ではあるまい。

 先づ、昭和九年二月、新聞紙上に掲載された記事を全文、下記したい。
 昭和九年は、事件の二年前だ。
 長文ではあるが、當時の軍部と國政に就て知るに、一讀の價値ありとすべし。

●『青年將校と政治問題』
『第六十五議會において軍民離間の聲明書問題が端緒となり、軍人と政治の問題が盛んに論議されたことはいちおう喜ぶべき事柄である。蓋し國に爭臣なくんばその國危しとの古人の金言に照すも、このさい敢然として質すべきを質す議員の存在は大いに慶すべく、また軍の首腦部としても、幸に事の眞相を傳うるの好機會を得たるを賀すべきであるからである。
 さりながら問者餘りに無智識無穿鑿にして問題の要點を知らず。答者あまりに消極的にして事の眞相を云はずんば、せつかくの機會もかへつて世人の疑惑を深からしめる所以となるのみならず、肝心の 皇軍全體に與へる影響も、決してよろしくはないと信ぜらるがゆゑに、左にわれら一個のこの問題に關する所見を述べておきたいと思ふのである。

 そもそも軍人ことに青年將校らが國政に對し、多大の關心を抱くに至りたる主なる原因は、共産黨事件の續出より始まる。およそ日本國民にして忠誠の念ある者、一人として赤化思想の蔓延を憂へざるはないのですが、特に軍人は 大元帥陛下の股肱たるの關係上、一入この問題に關心を持ち、常人以上に國體否認の惡思想の蔓延を憂へるはもちろんのことである
 しかしてこの赤化問題は數年以前よりますます政治上の重大問題となり、その時々の爲政者いづれも主義者の檢擧に努め、かつしばしば拔本塞源を口にすれども、いまだ忠誠なる國民をして、その意を安んぜしめるに足るほどの效果を見るには至つてをらないのみならず、近年の新入營者の中には、かかる惡思想の影響を受けたる者も、相當にゐるのである。これ青年將校らが相集まる毎に 皇國のために憂へかつ憤ると共に、自己に直接關係ある軍事教育の上よりも、かかる惡思想の瀰漫する原因如何、あるいはこれが對策如何等に關して論議を鬪はし、往々その聲の外間に洩るる所以である。

 次には對外問題、ことにロンドン條約に關連せる統帥權問題、あるいは滿洲における往年の日本の權威失墜などが、これまた軍人の政治に對する關心を深からしめるに至りたる主要原因の一つをなしてゐる。ただしこれらの問題については世上の論議すでに盡きたりと信ずるがゆゑにここには省略をする。

 最近において特に青年將校らの間に、最も重大問題となつてゐるのは、國民生活の不安である
 世人あるいは言はん、國民の生活問題のごときは、その時々の政府當局において、できうるかぎりの努力をなしつつある次第なれば、敢へて青年將校らの憂慮を要せずと。こはまつたく軍隊内の事情を理解せざる者の妄言である。
 なんとなれば實際軍隊内にあつて、直接兵士の教育に任じつつある青年將校らよりすれば、兵士の家庭の窮迫は決して小なる問題ではなく、また決して對岸の火災視すべき問題でもないからである。
 いつかの新聞紙上にも、偶々日曜の休暇を與へられたる兵士が、街頭に紙屑を拾うて家計の手助けを爲せる記事が掲載せられて、世の人々の胸を打つたやうであるが、現在教育を受けつつある兵士の中には、これに類する程度の窮迫せる家庭より入營せる者が、決して尠くはないのである
 例へば東京の第一師團管下において、家庭の窮状甚だしきがために、僅かなる陸軍の救護手當を受けつつある者さへ四十餘家族を數へ、第二師團管下においては、その種の者がほとんど全兵士の三割にも當るといふ有樣である。しかして兵士の中の大體七割以上は農村および漁村の出身であつて、またその家庭的事情より見れば、いはゆる無産階級の子弟がその大部分であることを思へば、たとへ救護手當を受けるほどではなくとも、近年の世上の不景氣を顧み、相當窮迫せる家庭より入營せる者が、いかに多いかといふことも自ら察せられる次第である。
 かかる家庭より入營せつ兵士が、その私服を脱いで軍服を着たる瞬間より、まつたく自己を忘れ家庭を棄てて軍務に精勵するはもちろん、一朝有事のさいには君國のために、命を鴻毛の輕きに比して戰場に死力を盡すのであるから、平生直接教育の任に當りつつある青年將校らが、これら兵士の任務の重大と家庭の窮迫とを思ひ合せて、かつは 皇軍の士氣のため、かつは軍隊の團結上、なほさらに人情の上よりして、せめてはこの重大任務に服する兵士らをして、後顧の憂へなからしめたしと念ずるのは當然ではあるまいか。ことに青年將校の中には乏しき自己の給料を幾分か割いて、最も窮迫せる部下の兵士の家庭に月々竊かに送金しつつある者が、近年頗る多いことを記憶しなければならぬ。
 しかしてその結果は政治の成行きに關し、非常なる關心を持つのみならず、政府の財政經濟政策もしくは言存の經濟機構等に關してまでも、その是非を考ふるの風、やうやく將校間に盛んとなるに至つてゐるのである。

 加ふるに近年における疑獄事件の頻發その他により、軍人の現代政治家に對する信頼の念が、一般的に薄らぎたつてゐることも掩い難き事實である。
 もとより多數の青年將校の中には、あるいは事を好む者もあるべく、また必ずしも純眞ならざる者もあるかもしれない。いはんやたとへ純眞なる動機にもとづくとは云へ、驕激なる言動に出づる者を嚴重に取締まるべきはもちろんである。殊に五・一五事件のごとき不祥事の勃發をさへ見たる後であるから、斷じてその警戒に拔かりがあつてはならぬのである。
 さりながらもしも今日における軍人と政治の問題が、たまたまこの種の常規を逸する者に對する處分や暴壓をもつて、いつさい萬事解決するものであるかのごとくに考へるならば、それはあまりに淺薄皮相の見解である。
 なんとなれば問題の本質はすでに上述のごとく、實は忠誠 皇軍に奉じ、熱心に部下を愛育しつつあるほとんどすべての青年將校らが、國家非常時における 皇軍の責務の重大なるを思へば思ふほど、その軍人としての本分を全うするの上より、顧みて國内の情勢を憂へ、殊に兵士の搖籃であるところの農村や漁村の窮状を、なんとか早く救ふの途はないものであらうかと焦慮する處に存するがゆゑである。軍人への勅諭には、

抑々國家ヲ保護シ、國權ヲ維持スルハ兵力ニ在レハ、兵力ノ消長ハ是レ國運ノ盛衰ナルコトヲ辨ヘ、世論ニ惑ハス、政治ニ拘ラス、只々一途ニ己カ本分ノ忠節ヲ守リ  云々

 と仰せられてゐるが、その兵力の消長を直ちに國運の盛衰と見、その本分の忠節を守る點より、右のごとき焦慮と憂憤を抱きながら、しかも務めて軍紀を重んじ、あらゆる世上の俗論と戰ひつつ軍隊の士氣を鼓舞し、おのおのその所屬部隊を守護しつつある青年將校らが、果して一部の輕率なる人々の考ふるがごとく軍紀の紊亂者として、しかく簡單に處罰されて問題が解決するものであらうか。いな一層徹底的にこれをいへば、この青年將校らの國政の現状に對する憂憤こそ、實は一朝事ある際におけるその敵愾心ともなり戰鬪力ともなつて、この國を護る精神と同一なのであることを理解しえざる者は、共に國防を語るに足らないのである。

 われらの知る限りにおいては、軍首腦部のこれが對策はただ「政治上の事はすべて軍務大臣を通じてその希望の實現を期し、皇軍の統制を紊るなかれ」と諭しつつ、ひそかに國政の改革に努め、もつて青年將校らの憂憤の解消を期するにあつたやうである。
 荒木前陸相がその在職中しきりに内政問題に關して發言をなし、常に硬論を主張したる所以もここに存するのであるが、しかもわれらは荒木前陸相の彼の博辨と、彼の大車輪の活動とをもつてしても、なほこの問題の核心をつかんで、その根本的解決に一歩を進むるの上に、努力の足らざりしことを遺憾に感ぜざるをえないのである。これその病に仆れ、かつその遂に辭職の餘儀なきに至りし最大原因である。
 もしそれ齋藤首相以下の他の閣僚諸公に至りては、只管安價なる氣休めに淫して内閣の壽命を貪り、毫もかかる問題に直面して敢然その對策を講ずるの至誠なかりしことは、もつとも非常時内閣の名に反すること大なりといはねばならぬ。
 ここにおいてか第六十五議會に臨む軍部大臣たる者は、もはやいつさいの消極的態度を捨て、もとより掛引きを排し巧智を用ゐずして、極めて率直明瞭にこの情勢を打明け、ことに青年將校らの至當なる焦慮と憂憤を議會に語り、國民に傳へ、もつて全政治家一致の努力と全國民の理解との下に、一日も速かに軍部内におけるかかる風潮の由來せる、根本原因の解消を期せなければならなかつたはずである 同時にまた兩院議員諸君にして、もしかかる點に深く慮るところがあるならば、その議會における軍部大臣に對する質問なるものは、いたづらに見當違ひの言質を取りて自己の氣休めとなすことの代りに、かならずやこの要點にふれ、軍首腦部のかかる重大苦心の分擔と特に兩院議員の自己反省と、さらに進んで問題解決のためにする積極的協力との意味において、質問がなされなければならぬはずであつたと思ふ。しかるに議會の質問應答が共にはなはだ不徹底にして、せつかくの好機會を善用するに至らなかつたことは、惜しみても餘りある事といはねばならぬ。
 なほ軍民離間の聲明書に關する軍部兩大臣の答辯も、その實際に存する奇怪至極なる幾多の事實を擧げずして、あまりに穩便を希ひし結果、いかにも軍部の輕率を證明するがごときことに終つたのは、林陸相の就任早々なりしによるところあらんも、容易ならぬ兩大臣の失態である。

 われらの希ふところはただ一日も早く眞面目なる 皇軍の將士に安心を與へ、その内憂と後顧の憂へとを無からしめて、大元帥陛下の統帥の下に、あめが下のまつろはぬ者共を討ち平げる天業に專心ならしめるにある。しかしてこの一事こそ非常時に直面せる 皇國日本の急務中の急務であるから、政府も軍部も兩院の諸君も、よく事態の本質を究めて、その意味の努力に違算なきを期せられたしと祈るのである』と。
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by sousiu | 2013-02-26 21:29 | 今日は何の日

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