昭和十一年「二二六事件」 その二 

 事件發生から一年後、紫雲莊は又たしても新聞紙上に私見を發表した(昭和十二年三月「讀賣新聞」)。

 二二六事件における裁判は、陰險と苛酷を極めた。
 事件を報道する新聞記事は嚴重に檢閲せられ、聊かたりとも青年將校に同情めいた記事を載せようものは片つ端から發禁とされ、憲兵隊の取調べを受けた。
 青年將校達は「叛亂者」として處刑せられたのではなく、それよりも遙るかに重い「叛逆者」として扱はれ、處刑せられてゐる。
 統制派は徹底的に 皇軍精神の眞髓を去勢せんと努め、爰に軍部獨裁は成り立つたといつて過言ではない。

 以下はその後に於ける政界の有り樣と、これに對して紫雲莊が發表した論文である。
 多少當時の出來事を知る人でなければ、退屈に感ずるかもわからないが、只管ら承詔必謹に拘り、それを説かむとする姿勢は理解し得ると思ふ。
 尚ほ、當時は愈々獨裁政治の機運猛々しくある最中であり、檢閲や發禁の煩を避けむが爲め、批判するにも餘程言葉巧みにせねばならなかつた事情を考慮せねばならない。


●昭和十二年三月 『奉勅第一主義の徹底』
『一、天皇陛下が内外人の注視の中において、公式に降し賜はる内閣組織の大命は ―― に特に直接大權の發動にもとづく ―― 最も神聖なる詔勅である。
 それ故にこそ大命と申上げるのであるから、既にこの尊き詔勅が降つた以上は、苟も日本國民たる者は孰れも「詔を承けては必ず謹む」の精神をもつてこれを畏み、擧つてその御趣旨の徹底するやうに祈らなければならぬのはもちろんであつて、もし日本臣民中にその御趣旨の徹底を妨ぐる者、または之を輕んじ奉るがごとき者があれば、その者は直ちに違勅の大罪を犯すことになると信ずる。

二、ことに 天皇陛下の軍隊に職を奉ずる軍人たる者は、如何なる場合にも常に詔勅の御趣旨の徹底を第一に置くの點において、一般國民の模範とならねばならぬのはいふまでもないことであつて、萬一にもこの軍人の奉勅第一主義が、ある特殊の場合には例外が許されるなどと考へることが、絶對にあつてはならぬと思ふ。もし左樣な場合の例外が許されて、ある場合には奉勅第一主義でなくともよいやうなことがあるとすれば、その例外が先例となり、またはその例外がさらに他の例外を産んでわが國がいよいよ非常時に臨めば臨むほど、奉勅の筋道さへも不明となり、それが軈て世の亂れの始めともなつて、「再中世以降の如き失態」を繰返へすことの虞なきを保し難いのである。
 ここにおいてか、過般の宇垣内閣流産當時の陸軍當局の行動が、終始一貫この奉勅第一主義を貫いたものであるかどうかが非常の重大問題となる。

三、杉山陸相の議會における答辯によれば、當時の陸軍當局は決して宇垣内閣の出現を妨害したのではなく、ただ陸軍の三長官會議において銓衡したる數名の候補者が、孰れも陸相たることを肯んぜなかつたのであるといふ。しかしその何が故に數名の銓衡されたる候補者が、孰れも陸相たることを肯んぜなかつたのであるかといふことについては、他に特殊の事情があるが、「それはいはぬ方がよいと思ふ」といふことであるが、しかし左樣な答辯は ―― 第一、日本の軍隊はいふまでもなく、天皇陛下の軍隊であること。第二、したがつてその軍人は常に必ず奉勅第一主義に行動すべきものであること ―― 等を確信してゐる國民の前には到底辯解にならぬと考へるのである。

四、特に陸軍の三長官なる者は、最もよくその當時の陸軍部内の事情に精通してゐる者であるはずであるから、その三長官會議の結果、數名の陸相候補者を銓衡したといふことは、すなはちその孰れの候補者も、もし新首相たる人よりの指名あれば、直ちに陸相に就任し得る條件の備はつた人でなければならぬのであつて ―― またそれでなければ、眞に陸相候補者を銓衡したとはいへぬのであるから ―― 萬一その數名が數名共全部陸相就任を肯んぜなかつたことが事實であるとしたならば、それこそ ―― 故意か偶然か ―― 左樣な人物ばかりを陸相候補者に銓衡をした三長官らの重大失態であらねばならぬ。

五、もちろん組閣の大命を拜した者すら熟慮の結果、自分は到底その任に堪へずと考へて大命を排(拜、の誤字なる可し)辭することも稀にはあることであるから、當時の三長官の眼識に協うて陸相候補者に推された者のなかにも、萬々一、三長官の豫想に反し、自分は到底その任に非ずと考へて辭退する者があつても、必ずしも不思議ではないが、しかしその銓衡をしたところの數名の候補者が、全部揃つて辭退するに至り、なほその上に他に候補者を銓衡するも皆同樣に辭退するであらうと考へて、それで自分達の責任が濟んだと思ふやうな軍當局者は、全くその職責を辱かしめた者であつて、天皇陛下の軍隊の長官たるは足らぬ者であることを、自ら證明せるものではあるまいか。

六、就中最も問題とすべきは、當時三人の陸相候補者のなかに數へられてゐたと傳へられる杉山教育總監 ―― 現陸相の態度である。この人が先きの宇垣内閣には陸相たることを肯んぜざりしにかかはらず、後の林内閣には陸相たることを承諾したのは如何なる理由によるのであるか。
 もしその理由が宇垣内閣の場合においては、杉山陸相自身のいはゆる「ある特殊の事情」があつたがためといふならば、それこそ杉山大將は明らかに、ある特殊の事情のために、奉勅第一主義を捨てた譯であるから ―― たとへ左樣な意思が全然なかつたにもせよ ―― その結果においては畏くも大命を輕んじ奉つたといふことにならざるを得ないのであらう。もしまたさうではなくして先きにも後にも、常に奉勅第一主義で行動したといふのであれば、さきには陸相たることを承諾せず、後に陸相たることを承諾したる態度の相違を何んと説明するのであるか。
 特に他に方法の盡きたる時は、當時の三長官中ただ一人後任陸相に就任しうる事情のもとにあつたはずの杉山大將自身が、陸軍の奉勅第一主義を貫くがために、進んで陸相就任を承諾すべきであつたと思ふが、その態度に出でなかつた杉山大將は、果して奉勅第一主義に終始し、かつ當時の長官としての責任をも全うした人といへるであらうか。

七、打明けていへば、われらは當時の陸軍當局が、宇垣内閣の成立を喜ばなかつたいはゆる特殊の事情については相當に諒察し得るものである。
 さりながら、たとへそこに如何なる表面または裏面の特殊の事情ありとするも、すでに組閣の大命が降つた以上は、當然軍人は奉勅第一主義に行動しなければならぬのはもちろんのことであつていやしくも軍人の生命ともいふべきこの奉勅第一主義を捨てなければ、その「特殊の事情」に對處し得ないやうな軍人は、自ら 陛下の軍人たるの資格と光榮とを放棄せる者であるといはねばならぬ
 ことにそのいはゆる特殊の事情が、もし肅軍に關係のある事柄ならば、それこそなほさらに奉勅第一主義をまづ貫かずして肅軍のしようがあるまい。

八、したがつてあの當時において陸軍當局の採るべき態度の正しき順序は、第一には初めから宇垣氏に大命の降らざるやう、元老その他へ軍の特殊の事情を傳へることであつた。第二にはすでに第一の處置を採るべき時機を失し、宇垣氏に大命の降下があつた上は ―― しかして宇垣氏自身に大命拜辭の意思なきことが明白となつた以上は ―― 陸軍當局は速かに後任陸相を推薦して、陸軍軍人が常に奉勅第一主義に行動しつつあることを最も明確に、事實の上にしめさなければならぬのであつた。かくて第三には宇垣内閣成立の後において、もし斷然宇垣内閣を存續せしむべからずとなす陸軍當局の「特殊の事情」觀に變りがなくば、新陸相は宇垣首相と飽くまでその特殊の事情について爭ひ、首相陸相の意見不一致の理由により、内閣を總辭職せしめるか。或は陸相の單獨辭職かを見るべきはずであつたと思ふ。
 その場合においてもし陸軍當局の宇垣内閣を存續せしむべからずとなす見解が正しければ、その特殊の事情を委曲上奏のうへ陸相が辭職せば、宇垣内閣の瓦解はもちろんのはずであつて、もし當時の陸軍當局が初めから明白に、奉勅第一主義に徹底してゐたならば、當然以上のごとき筋道を蹈まねばならなかつたのである。

九、しかるに當時の陸軍當局の態度がそこに出でなかつたがために、今や全國民は非常の不安に襲はれてゐる。
 これを率直にいへば「今度のごとき惡例を造つた陸軍當局すら、結局何の咎めも受けずして濟むやうでは、今後の政變の際なども、一體どうなるのであらうか。若し今後とも、陸軍當局の氣に入らぬ者に組閣の大命が降下すれば、また特殊の事情の名において後任陸相を出さず、その内閣を流産せしめるといふがごときことが、將來幾度も起るのではあるまいか。しかして左樣なことが、決して世の亂れの本とはならぬといふことを一體何人が保證をしてくれるであらうか」と憂へてゐるのである

十、要するにあの際宇垣内閣が陸相後任難に苦しみ拔いた結果、遂に流産をしたといふことが事實である以上、當時の陸軍當局が他の特殊の事情を重しとして、奉勅第一主義に行動しなかつたといふこともまた到底否定すべからざる事實である。さればその軍人の生命であるところの奉勅第一主義を他の特殊の事情のために曲げたことの責任を明らかにするとともに、さらに將來絶對にかかる惡例を繰返へさぬための嚴然たる善後處置を採つておくことが、是非共必要であると信ずるが、當時および現在の陸軍當局は別段左樣な必要はないと考へてゐるのであらうか。

十一、もちろん過去よりも將來に惡例を絶對に殘さぬといふことが主眼であるから、その保證がつきさへすれば如何なる方法でも結構であるが、しかしその當時の陸軍當局としての責任者らが、ただの一人も引責の實を示さざる現状のままで果してその保證がつくかどうか。ことに宇垣氏の場合は例外中の例外であり、特別の事情中の特別であるからといふやうな辯解を千萬遍繰返されても、それで將來に惡例を殘さぬといふ保證には絶對にならぬのである。何となればある事が特別の事情に屬するか否かは、その時と人によりて判斷が違ふのみならず、たとへ如何なる事情ありとも奉勅第一主義は絶對に曲げぬといふことでなくして、皇軍精神の確立があるはずがないからである』と。
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by sousiu | 2013-02-26 23:49 | 今日は何の日

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