贈從三位 賀茂眞淵大人 そのニ 

○蘇峰 徳富猪一郎翁、『近世日本國民史 卷廿二 寶暦明和篇』(大正十五年九月十五日「民友社」發行)に曰く、
『賀茂眞淵は、復古學の一大家だ。荷田東滿が、學校を建立して、多くの人材を教育するよりも、寧ろ彼一人を教育し得たるを以て、其の一大收穫とせねばならぬ。凡そ世の中に、師として大なる成功は、己よりも偉大、優秀なる弟子を持つことだ。乃ちこの意味に於て、東滿は成功者と云ふ可きである』と。

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○吉田東伍先生、『倒叙日本史 第五卷 近世紀江戸中世編』(大正二年六月廿五日「早稻田大學出版部」發行)に曰く、
『古言の學は、眞淵に先だち僧契冲あり、萬葉集[奈良朝の和歌集]を註解し、又歌詞を善くす。復古の首唱たること、漢學に於ける伊藤仁齋なり[同じく元祿の人]。然れども、海内和學の大に興るは、眞淵が「いにしへぶり」を江戸に廣めしに由るといふ』と。

○國學院大學々長、紫雲 河野省三先生、『勤王文庫 第壹編 教訓集』(大正八年十月五日「大日本明道會」發行)に曰く、
國意考一卷は、國學の泰斗賀茂眞淵が、我が國の純樸なる古風、健實なる固有精神、大らかなる國民性を發揮して、煩瑣なる漢風を排斥したる書なり。その大膽なる言論は一世を驚倒し、儒學者側の反駁續出するに至れり。然れども國學の精神は明にこゝに其の曙光を發せるを見る』と。

○立命館大學助教授、淺尾一之助先生、『國體思想史概説』(昭和十七年九月五日「錦正社」發行)に曰く、
國學が文學運動から思想運動にまで發展し、一つの思想體系として完成したのは、賀茂眞淵に始まり、本居宣長に至つてゞある。
 賀茂眞淵は、その主勢力を萬葉集の研究に注ぎ、國學の語學的研究を開拓した人であるが、その多數の著述のうちで、「國意考」は彼の思想の最も圓熟した晩年の著述である。彼は此の書に於て、我が國の古について、

 我國のむかしのさまはしからず。只、天地に隨ひて、すべらぎは日月也、臣は星也。おみのほしとして日月を守れば、今もみるごと星の月日をおほふことなし。されば天つ日月星の古へより傳ふる如く、此すべら日月も、臣の星とむかしより傳へてかはらず、世の中平らかに治れり。

 といひ、唐國の學と我が國の古道とを比較して次の如く論じてゐる。

 唐國の學びは、其始人の心もて作れるものなれば、きくにたばかり有て心安し。我すべら御國の古への道は、天地のまにゝゝ丸く平らかにして人の心詞にいひつくしがたければ、後の人知りえがたし。されば古への道、皆絶たるにやといふべけれど、天地の絶ぬ限りはたゆることなし。

 彼は儒學がともすれば形式に墮して自然を忘るゝものがあるに對して、我が國の古道が自然であるとするのである。かくて彼は我が古道の最もよく行はれてゐた古代を理想とし、それに復歸せんとする熱烈な復古思想を懷いてゐたのであるが、彼は、また、我が國の動かぬ鮮かなる國のすがたを觀じて、

凡そ天が下はちひさき事はとてもかくても、世々すべらぎの傳りたまふこそよけれ。上傳れば下も傳れり。から人の云如く、ちりも動ぬ世の百年あらむよりは、少しのどには有とも千年治れるこそよけれ。此天地の久しきにむかへては千年も萬年も一瞬にもあらねば、よきほどによきもあしきも丸くてこそよけれ。方なることわりは益なし。

 と述べてゐる。これは正しく萬世一系の 天皇に統治せらるゝ我が國のすがたを以て最上とするものである』と。


 賀茂眞淵大人に就て、多くの識者が大人の著述『國意考』に就て觸れてゐる。
 どうやら大人を識る爲めに『國意考』を避けることは賢明でないやうだ。

 大人の著書に就て、最後に、久松潛一先生の言を抄録したい。
○久松潛一先生著『國學 -その成立と國文學との關係-』(昭和十六年三月卅日「至文堂」發行)に曰く、
『眞淵によつて國學が如何に發展したか、その國學の本質は何かといふ點を考へてみたいのであるが、第一に眞淵の學問として注意されることは春滿の立場を繼承した言語と文學と古道との關連の問題である。 ~中略~

 眞淵(愚案。「春滿」の誤り乎)の學問に於て古道を闡明するために古語を先づ研究するといふ所から言語の研究と古道もしくは古代日本精神の研究とが二の大きな領域になつて居るのであるが、同時に眞淵に於ては古語といふ點と古道といふ事との外に古文學といふ點が大きな位置を占めて居るのである。 ~中略~

 かくして眞淵の學問の領域に於て古典の上では萬葉集の研究に主力をそゝいだといふ事は言へるのであるが、然し萬葉集の研究を中心として、彼の考へる國學の領域に考察を進めて居ると言へるであらう。
 さうして彼の國學の領域といふ事を考へるに就て注意されるのは五意考である。即ち五意考といふのは、
   書意考
   語意考
   文意考
   歌意考
   國意考

 である
が、この中語意考には明和六年二月の序があつてその頃成つたと思はれるが、眞淵は同年十月に七十三歳で歿して居るのを見ても晩年の著である事が知られるのである。その他歌意考、國意考も明和のはじめになつたと思はれ、書意考と文意考とは未定稿であり、文意考には廣本と略本との二種の本があるが、何れも眞淵晩年の著であることは明らかである。そこにこの五意考によつて彼の國學の領域論が知られるのであるが、この中、書意考は書物、もしくは文獻といふべき意と、かゝれてある文字といふべき點とがとかれてあり、多少曖昧であるが古語を明らめる前に、古書、もしくは古文獻の問題をとかうとして居るのである。次に語意考は言語の問題を論じたのであつて、所謂眞淵のいふ古語の研究といふ領域をといて居るのである。文意考と歌意考とは古歌古文の學といふ方面であり、いはゞ文學の方面をといたのである。たゞ文意考はいまだ古文學、古文といふ點にまで進まず、古文に見える「にきび」「をたけび」「まつり」「かなしび」誓等の語を説明するに止まつて居るが、同時にとりあげた語を通して古文のみならず、古道に通ずるものを含んで居るのである。さうして國意考に於ていはゞ古道をといて居るのである。眞淵もこの國意考に中心をおいて居り、彼の學説の中心をなして居るのである。
 かく見る時、この五意考を通して言語、文學、古道の三の方面に關する見解をとくとともにその基礎としての文獻、もしくは書籍、文字についてもといて居るのであつて、これによつて眞淵のいふ國學の領域が示されて居ると見られるのである』と。

 固より大人は萬葉集の研究にも專心された。だがしかし、野生の卑見ではそこまで幅を擴げることは出來ないので、それは將來の課題とする。
 こゝでは三月一日記「國學に就て」の流れに從ひ、先覺を通じて國學の足跡を辿るのみに止まる。

 先日、勞働基準法に抵觸する日雇ひ勞働から歸つてくると、備中處士樣から、縣居大人は、贈正四位に非らず、贈從三位なり、との御指摘があつた。幾重にも御禮申上げます。百拜千拜
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by sousiu | 2013-03-13 23:54 | 先人顯彰

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