遠方より來たるはまた奇人也。 

 昨日は、三重縣より皇學館大學の某君が來訪。
 彼れは木川君より紹介を受け、以來、交誼を重ねてゐる。

 こゝのところは、ほゞ毎日のやうに電話が掛かつてくる。一日空いたかと思へば、二日目には「御無沙汰してをります」と電話が掛かつてくる。一應、氣を使つてくれてゐるのか、大體掛かつてくる時間は手が空くころ、夜だ。一囘の電話の所要時間は平均一時間。最初は嫌がらせかとも疑つてみたが、必ずしもさうではないやうだ。

 勢ひ、今度びは泊まりに來た。
 彼れも立派な變人の一人だ。夜半、野生は何うしても書き上げねばならぬ原稿があつて、これに專念してゐると彼れ、古神道關係の書物を物色し、熟讀。メモ用紙を下さいといふので渡し、野生は野生で草稿してゐると、いつの間にやら彼れは本を數册持つて寢室へ行つてしまつた。
 野生も休憩しようと筆ならぬキーボードを休め、ふと、彼れの殘したメモ用紙を盜み見すると、不可解な文字で何やらビツシリ書かれてある。辛うじて解讀し得るキーワードは「神代」「神國」「佛教亡國」などだ。頗る異樣な、不氣味過ぎるメモだ。

 彼れは幼きころより樣々な思想に關心を抱き、小學生にして既に「尊皇」を口にしてゐたといふ頼母敷き學生だ。なるほど、よく勉強してをり、彼れの持ち出す話題は頗る眞に迫るものがある。往時の事蹟や人名のみならず、宗教觀、思想などに就ても感心するほど能く知悉してゐる。
 彼れはこれまで崎門の學を學び、次いで平田國學に就て研究してゐるといふ。目下、古神道や道教などにも興味があるといふ。以爲らく、同年代に友達はあまりゐなさうだ。苦笑。

 彼れは所謂る「ゆとり世代」だ。だが、「ゆとり」の産物として一般に指摘されるやうな問題ある若者でもない。(少なくとも現段階に於ては。笑)
 國家の大失策である「反日教育」「ゆとり教育」であるが、かういふ青年が逐次出でたることを考へれば、教育の荒廢などでは到底絶滅する能はざる神國思想が、今猶ほ脈を拍つてゐるのだ。
 それにしても木川選手も面白い青年を紹介してきたものだ。この陣營といふもの、如何に世間から疎んじられたり、或は一部から朝鮮人呼ばはりされたとしても、結局、かういふ青年が門戸を叩いて來るだけの何かがあるのだと思ふものである。
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by sousiu | 2013-03-18 21:36 | 報告

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