贈從三位 賀茂眞淵大人 その六。 『國意考』その四 

◎遺佚軒 戸田茂睡翁『梨本書』(元祿七年)に曰く、
睡が又とふ、その人道といはるゝはいかやう(如何樣)の事ぞや、茂がいはく、人の道といふは常の作法也、仁義禮智の五常をたつるは儒の道也、人の心にまことすくなく成りて、人道にそむくゆへに、此おしへをたてたり、大道すたつて仁義を(起)こると云は此ゆへ也、此人道と云は、主君親のありがたき恩徳をふかく心にこめて、わたくしの心なく、かた時もわすれざるを云也』(大正四年四月廿五日「國書刊行會」發行『戸田茂睡全集 全』所收)※括弧及び括弧内は野生による。

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 承前。
●縣居 賀茂眞淵大人、『國意考』に曰く、
○こゝの國は、天地の心のまにゝゝ治めたまひて、さるちひさき、理りめきたることのなきまゝ、俄かに、げにと覺ることどもの渡りつれば、まことなりとおもふむかし人の、なほきより、傳へひろめて侍(はべる)に、いにしへより、あまたの御代々々、やゝさかえまし給ふを、此儒のこと、わたりつるほどに成て、天武の御時、大なる亂出來て、夫よりならの宮のうちも、衣冠調度など、唐めきて、萬うはべのみ、みやびかになりつゝ、よこしまの心とも多くなりぬ。凡(およそ)儒は人の心のさがしく成行ば、君をばあがむるやうにて、尊きに過ぎしめて、天が下は、臣の心になりつ』と。

 云ふまでもあるまいが、日本は人代の以前には神代あり。神武天皇建國以後は人代となるのであるが、神代と人代とが繼續を成し、途切れる可からざりしことの説明は要しない。
 然るに建國の折には、天地の心の儘に國が治まつてゐたのである。能く々ゝ考へてみれば、昔は儒教も佛教も無かつたが、皇室があり、皇室を尊崇する人心を國民が有し、これに依つて日本は段々と榮えてきた。人の道といふものは眞に天地の道と一致してをり、そのやうなお國振りであるから、儒教のやうな細かい理窟などといふものが教へられず、亦た、研究もされてゐなかつた。
 そこへ支那から儒教が輸入されてくると、成程、と思ふ人らが出でた。
 往古の日本人は正直で、寔に純粹であつたからこれが一般に信ぜられ、亦た研究もされた。するとこれが注目せられて廣まつたのである。

 それで人はそれゞゝ理窟を覺えて押し竝べ、徐々に世の中が噪がしくなり、遂に 天武天皇の御宇に大きな亂れが起こつたのである。

 それから後はまた更らに支那の學問が盛んとなり、奈良朝の御代には、衣冠そのほかの朝廷の禮儀、日々の調度までもが唐國の宮中に傚うて、表面だけみると如何にも華やかで雅やかとなつたが、一方で人心は邪まな心持ちを懷いた人が増えたのである。
 このやうに人の心が小賢しくなると、兔に角理窟で納得するやうになり、外面ばかり取り繕ふことに巧みとなり、臣下は私を圖るといふことを主とするものなのである。よつて言葉や對面では 天皇を崇めてゐるやうであるけれども、それはたゞ尊き御方であるとし、成る可く遠ざけ、さうして多くの事はみな、臣下の者たちの心持ちで取り計らふといふやうになつてきたのである。


 と、かういふことである。
 今囘はあまりにも短か過ぎるので、もう一項。


●仝、曰く、
○夫よりのち、終(つひ)にかたじけなくも、すべらぎを島へはふらしたることく成ぬ。是みな、かのからことのわたりてより、なすことなり。或人は佛のことをわろしといへど、ひとの心のおろかになり行なれば、君は天が下の人の、おろかにならねば、さかえたまはぬものにて侍り。さらば佛のことは、大なるわざはひは侍らぬなり』と。

 以上のやうな事情から、儒教が盛んとなるにつれ、臣下の者は私を圖るやうになり、結果、寔に畏れ多いことであるが、天皇はどこか遠くの島にお遷りになられたやうになつてしまつた。
 曾ての日本の状態を考へれば、かういふ事のある可き筈は無かつたのに、上を重んずるといふことよりも私に忙しくなる餘り、勢ひ臣下が勝手なことをするやうになつてしまつた。
 これは支那からおかしな學問が輸入せられたからである。

 或る人は佛教のことを惡しといふ。けれども理窟ばかりで人が小賢しくなつたが爲めに世は荒廢したのであるから、天下の人々がもう少し愚ろかにならねば本當に世が治まり榮えていらつしやるといふことは出來ないのである。儒教を重んずる者は、佛教を學べば心が眩んで正しい分別が付かなくなるといふが、儒教のやうな細かい理窟をこねるよりはマシである。


 と、かういふことだ。
 上記も隨分極端な云ひではあるが、これは決して愚民化を訴へるものなのではない。
 老子なども、聖人が國を治めるのは人を賢くするのではなく、愚ろかにするのだといふことを申してゐる。
◎老子曰く、『古之善爲道者、非以明民、將以愚之。民之難治、以其智多。故以智治國、國之賊。不以智治國、國之福』(第六十五章)と。
※「古への善く道を爲す者は、以て民を明らかにするに非ず、將さに以て之を愚ろかにせんとす。民の治め難きは、その智の多きを以てなり。故に智を以て國を治むるは、國の賊なり。智を以て國を治めざるは、國の福なり

 山本さんてふ方のブログに、老子のこの一節が委しく記されてゐる。↓↓↓(勝手に紹介して御免なさい)
                    http://blog.valley.ne.jp/home/yamamura/?itemid=28695



 ・・・・ん?「國意考」の解説で老子の引用は、ちと説得力が無かつたか。吁。
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by sousiu | 2013-03-23 14:59 | 先哲寶文

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