贈從三位 賀茂眞淵大人 その十三。 『國意考』その十一 

 昨夜から今朝に掛けて實家へ歸つた。母は七十三歳になる。まだ元氣だが、野生の少年期の頃にあつた迫力は既に無い。(野生は怒られてばかりであつた。汗)
 野生、十年ほど前からか、遲まきながら親孝行を考へてくるやうになつた。
 前々囘だつたと思ふが「歌道講座」で眞由美先生から、「本當の親孝行とは肩たゝきをしたり、お金を渡したりするものでなくて、親が我が子を誇れるやうな人になること」と教はつた。

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承前。
●賀茂眞淵大人、『國意考』に曰く、
○唐國の學びは、其(その)始(はじめ)人の心もて、作れるものなれば、氣々に(※「勤王文庫」では「聞くに」と記される。果して如何)たばかり有(あり)て、心得安し。われすべら御國の、古への道は、天地のまにゝゝ丸く平らかにして、人の心詞に、いひつくしがたければ、後の人、知えがたし(知り得難し)。されば古への道、皆絶(たえ)たるにやといふべけれど、天地の絶ぬ限りは、たゆることなし。其はかり(計り)やすき、唐の道によりて、かく成れるばかりぞや。天地の長きよりおもへば、五百年千年、またゝき(瞬)の數にもた(足)らぬことなり。ことせばく(事狹く)、人のいひしことを、あふぐ(仰ぐ)てふ類には侍らず。凡(およそ)天地のまにゝゝ、日月を初(はじめ)て、おのづから有(ある)物は、皆丸し。是を草の上の露にたとふ。その露くま(曲阿)ある葉に置(おく)時は、したがひてことなる(異なる)形となれど、又平らかなる上にかへ(返)して置(おく)は、もとの丸きがごとし。されば世を治めたまふも、此丸きを、もとゝしてこそ治(おさま)るべけれ。けたにこと(事)せり(競り)がましきは、治らぬと、唐の世をみて知べし。かくて天地の心なれば、さるべき時には、もと(本)にかへし(返し)たま(玉)ふべし。いや(賤)しくせば(狹)き、人の心もていそぐは、かへ(返)りてみだれ(亂)となれゝ。唐人は上なる人は、威をしめし、貴をしめすといへど、おろそけなるをしめすはよし。尊きをしめすは、みだ(亂)るゝはし(端)なり。其威をしめす、ものゝふの道の外なし。是をわすれずして、行ふべし。ことに、我すべら御國は、此道もて立たるをみよ。又おろそげなるをしめすのよ(善)きは、上のおろそげなるをみて、かたじけなきおもひをおこし、おのがじしも、夫にしたがひて、こと少に成ぬ。事の少ければ、ふ(好)み少し、ふみ少ければ、心易し、心易ければ、平らかなり。貴をしめすのわろきことなり。先(まづ)宮殿衣服をはじめて、宮女衣をかざり、宮人あや(綾)をまとひ(纏)するを見て、誠に貴とみて、心よりあがむる人は、貴をしめさずとも、事もあらじ。夫(そ)が中に、天地に心いたれるを、ますらをとして、かくてあらむこそ本意なれ。い(最)とせばき命かは、天に任せて、行はんなど、おもふものも、たまゝゝ有て、うばゝむ謀をなすめり。又さのみ勢(いきおひ)及ばぬまゝに、おもひしひてあるも、心のねたみ、いかばかりならむや。いでや我こそあれ、いか成(なる)所よりか、亂(みだれ)よかし。ついで(序で)にの(乘)りて、さるべく謀らんと、おもふ心は、宜(よろしき)者は皆侍るべし』と。

 支那の儒教などといふものは、人間が色々工夫して作り上げたものだから、一通り聞いてみると如何にも有難いやうに思へるが、その實行し難いといふことは已むを得ない。
 我れらの 皇御國は、昔から天地自然の理りに從ひ、神代より人代までこれが續いてゐるのである。それは恰度、支那では角ばつてゐるのに對して、日本の理りは丸く、平らかであるといふことだ。自然の儘であるから、それを理窟で言ひ表はさうとしても中々詞では言ひ盡くし難い。從つて、後の世に之を學ぶ人があつたが、甚だ學び知るのも難しくなるわけだ。だからと云つて、それは日本獨自にあつた古への道が絶えたかと云へば、決して絶えたわけではなく、天地が絶えない限り、天地自然の理りに即した日本の道も決して絶えないのである。
 ところが日本に支那の教へや考へ方が入つて來て、自然でなく人間の拵へた理窟を説いた爲めに、人心は狡猾になり、自然の儘に安らかに生きて行くといふ習慣が亂れ、現在のやうな面倒な世の中が現出したのだ。
 尤も、世の中が長く續く内には、亂れることもある。併しながら天地の間の非常に長い時間に比べれば、五百年や一千年とかいふ時間は瞬きする間と同じなのだ。
 抑も、天地の理りに隨つて、日月を初めとして、自然の儘のものは皆丸いものなのである。これを草の上の露に喩へてみたい。その露を四角いやうな木の葉の上に落ちてゆくと、この葉の形に順つて形を異ならせるものだけれども、それが平らかな地面の上に落ちると、再び元の通り丸いものとなるのである。
 それと同樣に、世の中を治めようとするならば、露が元の通り丸くなるやうに世も元の通りにして、キチンと治めることが出來るのである。それを角を立てゝ、これが仁だ、義だ、禮だ、智だといつてお互ひに爭ひ合へば決して丸くは治らないのである。その證據は支那の實際を見れば能く解るのである。聖人だの賢人だのの教へと云ひながら、結局彼れらの國は治つてゐない。
 斯う云ふわけであるから、若し人間が天地の心と一致してをれば、天地の力も自ら人間に加はつて、たとひ一時は亂れても、また元に復し人は安らかな生活を送ることが出來るであらう。これに反して天地の心を辨へず、勝手に賤しく狹い理窟などを以て人心を變へようと急げば、却つて亂れるばかりである。
 支那では、多くの人の上に立つ者は、威を示し貴きを示すのが必要であると考へ、家の建て方から儀式制度といふものが非常に喧しくあり、之によつて初めて君臣上下の別が立つのだと主張するけれども、上の人が正直に自分の心を打明け、誠心を以て下の者と接し、一體となる點に於て甚だ缺けてゐる。それであるから帝王などといふ位にある者は、非常に貴い者としてあるのみで、人民とは全く懸け隔てゝゐる。それを見て之を羨む人民らが、自分も之に取つて代はらうといふ考へを起こす者らが出來るのであるから、たゞ上の者が、私を尊べなどと示すといふことは、國の亂れを促す端初に過ぎないのである。本當に威を示すといふことは、國内に謀反を企む者が出るとか、外から攻められた時、自ら武士となりてそれらを撃退する勇氣があることなのである。それにしても、それは敵が出でた際已むを得ずのものであつて、平時に於て徒らに武威を見せ付けることではない。そこを能く考へねばならぬのである。日本では自然の理りに即した安らかな國であることを本とする。徒らに威を示すといふことを決して望むものではないのである。
 又た、上の人が安らかな心を以て正直に下の者に接するといふことであると、下の者も上からの信を得てゐることを實感して、忝なき思ひも起こり、自分達も正直に、誠心を以て上や下の人に接するやうになり、事が簡易に行なはれてゆくものなのである。事が少なければ人間に好みも少ない、つまり利慾も少なくなる。利慾が少なければ、爭ひも少なくて、常に御互ひ心は安らかとなるのである。皆の心が安らかであれば、世は平らかとなるのだ。
 貴きを示す、といふことは全く惡い事である。上の人が威嚴を立てゝばかりでは、人の心は離れて行く。そのやうなことをせずとも、それ程にせずとも、先づ御殿といふやうな造りや平生着てゐる着物でも、身分の高い人は一般の人とは自づと違ふのである。御殿に宮女といふ人が仕へてをれば、やはり淑やかな風をして 君に傅いてゐる。當然その他の宮中の者も皆身なりを整へてゐる。かういふ樣子を見れば誰だつて貴いと解り崇めるのであつて、これ以上やたらに威張つたり、武威を見せ付けたりする必要などはないのだ。いつも天地の心と同樣に、安らかな心持ちで君臣上下相ひ睦間敷くことが本當に國を建てゝいくといふことの意義と申さねばならぬ。
 支那では偏狹な考へ方から、天命を享けて王を稱する者が多いことから、自分も天の命を享けたなどと云ひ出す者らが出でて、王位を奪はむとする謀が多發する。又た、迚も自分では力不足ゆゑに王位を奪ふことが出來ないと思うて諦めてゐる者も多いが、これは要するに諦めによつて隨つてゐるだけであるから、今の地位に決して安んじてはをらず、其の心底には嫉みや憤りといふ念が如何程あるのか計り知れない。支那のやうな宜者とは乃ち知惠者で、彼れらはその知惠を發揮して少しでも高位に登らむと、その機會の到來を首を長くして待つてゐる。要するに平和な世に於てはそれを充分發揮し得ず、亂世こそ存分に自分が試せる好機と見做し、さうした時代が來れば宜いと願つてゐるものなのだ。これらの事を考慮すると、たゞ形を整へたり、言葉を飾つたり、威を示すといふことがどれほど弊害を多く生むかといふことを、皆は知つておかねばならないのである。
 
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by sousiu | 2013-04-02 23:51 | 先哲寶文

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