贈從三位 賀茂眞淵大人 その十四。 『國意考』その十二 

 相變はらず「道教」の本を讀んでゐる。「道教」を讀み續けてゐると、「國意考」が何處までだつたか、何の別の書物を引用しようとしてゐたか解らなくなつてしまふ。これは若年性(ん?若年・・・乎)アルツハイマーであるのか、それとも勉強の仕方が間違つてゐるのか。

 本日は早朝から病院が開くのを待ち、いそぎ病院へ。こゝ數日間、身體が痛痒くて滿足に寢ることも出來ず、遂にネを上げた。本來ならば今日、青梅の大東神社で執り行なはれる祭事に參加する豫定であつたが、已むを得ず、不參。
 醫師の診察ではアレルギーであるとか。藥をいたゞき一ト安心。これまでは數年に一度しか病院へ行かなかつた野生であるが、徐々に病院へ行く頻度が増えてゐる。身體維新したいものだ。
 
  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

承前。
●賀茂眞淵大人、『國意考』に曰く、
○たゞ其國の、天地のまにゝゝ、古へよりな(爲)し來るがごとく、板のやね(屋根)、土の垣、ゆふ(木綿)のあさ(麻)の衣、黒葛卷(つゞらまき)の太刀とやうにして、すべらき、御みづから、弓矢を携へて、獵(かり)したまふ程ならば、などかか(斯)くうつ(移)りゆかむ。人の心はうつくしきにつき、高ぶるを好むもの成(なる)に、唐人のさまを羨(うらやみ)てせし頃より、たゞ宮殿衣服をのみ、よろしく成て、上の身いと貴に過て、心はおろかに、女のごとくなりたまひ、かしこきにあまりて、上の位をしのぎ、まつりごと臣に取りたまへれば、上は御身のみ貴くて、御心はいと下れり。臣ぞ古への上のごとく成て、唐のごとく名をおかし、上を穢することはせぬども、上はあれとも、無が如く成ぬ。さらば臣は、夫にてとほるにやと見るに、其古、臣も後の臣にな(無)みせられ行て、其名の傳(つたは)るのみなり。是こゝの道を忘て、人の國に、ならひたるあやまちより、なれることなり。或人問(あるひととふ)、さらば、古へは皆あ(惡)しき人はな(無)きか、世は亂れざるかと。答(こたふ)。此問(このとひ)はまたよく直きてふ意をしらぬ故なり。凡(およそ)心の直ければ、萬に物少(すくな)し、もの少ければ、心にふか(深)くかま(構)ふることなし。さて直きにつきて、たまゝゝわろきことをなし、世を奪んとおもふ人も、まゝあれど、直き心より思ふことなれば、かくれ(隱れ)なし。かくれなければ、忽(たちまち)に取ひしがる(取り拉がる)、よりて大なる亂なし。直き時は、いさゝかのわろき事は常あれど、譬へば村里のをこ(嗚呼)のものゝ、ちからをあらそふがごとくにて、行ひしづめ(鎭め)やすきなり』と。


 日本は、萬事が簡易であつた。これは天地自然の理りに隨つて、古へより經營されてゐたからである。たとへば家の屋根も板であり、垣も土をもりあげて造り、服も麻の衣を着て、太刀なども黒絲で柄を捲いて差し、支那人のやうに袞龍の服なるものゝやうな、恐ろしく仰山な姿などしなかつたのである。それで 天皇おん自ら弓矢を携へて狩に御出でになり、國民はみな 天皇の御服裝や裝飾ではなく、ありのまゝの御姿を仰ぎ見て、心から有難く思ふのである。寔に君臣上下相睦じく、かふいふやうな昔の風が何時までも行なはれてゐるならば、後世のやうに時が移り行き物事が面倒になり、國内に爭ひが多いといふことも無かつた筈なのである。
 さても人は美しいものを好み、又た相當の地位が與へられゝば其の地位に驕り、多くの人の上に立つて威嚴を示したいといふやうになりがちである。やがて支那人を羨むやうになると、段々支那風を取入れて、高い地位にある者は立派な御殿に改築し、身なりも派手になつてゆき、上位の人と下々の民との格差が激しくなり、やがて心の觸れ合ひが疎遠となつていつた。高位の人達は奧深い所に引つ込んで、世の中仲睦じくするよりも貴賤を氣にするやうになつてしまつて、心は寔に愚ろかに、みな女のやうになつてしまつて、自ら貴きに過ぎるあまり世の中のことは家臣に任せるばかりで政治に就てはサツパリ解らなくなつてしまつた。上に立つ人は、身分や身なりこそ貴くなり續けるが心は下落していつたのである。
 さらば臣下は本當に臣としての務めを果して、上の人たちを補佐してゐるかといふと、これが又たさうではなく、自己保身から立身出世のことばかりを考へるやうになつてしまつて、自分の勢力をつくつて上を凌がうとする。さうなると、その者の臣下も又たそれを見て、自分も同じことを考へその者を凌がうとするわけで、結局人心が亂れて上下の別は名目のみであり、實態は無いと申す可きものである。かういふ譯であるから世の中に騷亂が絶えなくなつてしまつた。昔のやうに安らかに治まるといふことが少なくなつてしまつた根本を考へてみると、日本の古へに行なつて來た自然の道を忘れ、「人の道」つまり支那の人工的な眞似をしてしまつたことが原因だつたのである。
 かういふやうに日本の本來の姿に戻れ、といふと、ある人が疑問を投げ掛けてきた。それならば古へは皆正しい人ばかりであつたといふのか。支那の學問が入つてくる前には、世の中は少しも亂れてゐなかつたといふのか、と。
 眞淵大人答ふ。この問ひは、前述した「眞つ直ぐな心」といふ意味を能く理解してゐないからである、と。
 人間の心が直くある際には、世の中に大事や大變な出來事は少ない筈である。少なければ、色々理窟を捏ねて説明したり、自分の過ちを取り繕ふ爲めに僞善を裝つたりする必要もないのである。それであるから、若しも不覺に過ちを犯しても、或は故意に世を奪はうとする惡謀を計畫しても、元來素直で正直な風習であるから、巧みに隱し通すやうな考へは思ひ付くべくも無いのである。それ故に萬が一何か惡事を企てゝも、その計畫が直ぐに判明するから、周圍の人が皆用心して、大事に至る前にその惡い者は制裁を受けて矯正されるか、さなくば社會から排斥されてしまふのである。よつて大亂には及ぶべくもないのである。
 昔、人間の心が素直であつた時代には、時として世の中が亂れた時もあつたけれども、その亂が國家全體に累を及ぼすやうなことは無かつたのである。たとへばその國の亂れにせよ、そこらの村里に不心得者があつて、少し亂暴を働くくらゐなもので、直ぐにその亂暴者は周圍の者の爲めに取り押さへられてしまふから、その實害は大きくならないで濟んだのである。



 かうして見ると縣居大人は、自然の道を繰り返し唱へてゐる。
 野生の説明文では野生の讀解力、文章力不足が災ひして、よく判らないと思ふ。
 こゝまでのおさらひとして、又たしても清原貞雄博士の言を拜借せねばならない。
       ↓↓↓↓
    http://sousiu.exblog.jp/18847140/

 又た、
◎清原貞雄博士『國學發達史』(昭和二年十一月廿五日「大鐙閣」發行)に曰く、
或人は又我國の古代には仁義禮智と云ふ事が無かつたからそれに當る國語も無かつたと云つて居るのは一を知つて二を知らぬものである。支那に之等の教を立てそれに違ふを惡いとして居るが、凡そ天下に五常の道は自づから備はつて居る事、恰も四時がある樣なものである。春夏秋冬の名目は無くとも寒暖の移り變りは自然に存する如く、五常の目を立てずとも、五常の道は自然に人に備はる心である。それを支那にばかり道徳が備つて我國に缺けて居る樣に人が思ふのは何故であるかと云ふに、我國の古道は天地のまにゝゝ丸く平らかにして却て人の心詞に言ひ盡し難いから人が氣が附かないのである。此丸いと云ふ事、支那の教の如く稜々しくないと云ふ事が大切である。凡そ天地自然のものは、日月を初めとして皆丸い。恰も平らかなる草葉に置いた露が自然に丸みを帶びて居るやうなものである。故に世を治めるにも此丸きを本として治むべきである。あせつてはよくない。萬事自然のまゝがよい。斯く自然のまゝに任する時は或は好ましからぬ事もあるかも知れない。然し人間の心には自づから其所に格制があつて、極端に趨るものでは無い。支那の如く嚴重なる教を設くる時は、一時は治まる事が出來ても何時かは却て君を弑し父を殺すが如き甚しき亂倫の事が起るものである。塵も動かぬ世の百年あるよりは、多少の緩みはあつても大體治まつて居る事が千年續く方が望ましい。即ち到底實現せられない極端な理想を畫くよりは、却て大凡の所を保つて千萬年の無事を續くる方がよい。
 以上が其の國意考に見えた所の古道の大要である』と。

 ・・・う~ん、さすがに上手に纏め、且つ説明されてゐる。

 今日はこゝまでとしたい。
[PR]

by sousiu | 2013-04-03 11:04 | 先哲寶文

<< 贈從三位 賀茂眞淵大人 その十... 贈從三位 賀茂眞淵大人 その十... >>