贈從三位 賀茂眞淵大人 その十五。 『國意考』その十三 

 今日(四日)は、時對協の定例會が行なはれた。宮城縣から、自他共に認める病人、・・・でなく、變人(あまり違はんか)坂田昌己君が參加した。野生は竊かに、彼れは何かに憑依されてゐると見てゐる。が、このことに就て深く穿鑿すると、彼れに呪ひ殺されるかもわからんので、これ以上の推測は無用だ。いづれにせよ時對協は、一風變はつた漢の集まりだ。
 又た今度びは新らしく、福田議長に伴はれて、國學院大學の學生も參加した。
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承前。
●賀茂眞淵大人、『國意考』に曰く、
○世の中の生(いけ)るものを、人のみ貴しとおもふはおろか(愚か)成ことなり。天地の父母の目よりは、人も獸も鳥も虫も同じこと成べし。夫(それ)が中に、人ばかりさとき(聰き)はな(無)し。其さときがよきかとおもへば、天が下に、一人二人さとくば、よきことも有べきを、人皆さとければ、かたみ(互)に其さときをかま(構)ふるにつけて、よりゝゝに、よこしまのおこれるなり。夫もおのづから、こと少き世には、思ひよもにはせ、たゞまのあたりのみにして、ことをなす故に、さとさも少し。よりてちひさき事はあれど、大なることなし。たとへば、犬の其里に、多く他の里の犬の來る時は、是をふせぎ、其友の中にては、くひもの、女の道につきては爭へども、たゞ一わたりの怒にして、深くかまふることなきがことし。唐にては、事を人にしらせず、上なるものゝみ知て、おこなふぞよきとて、萬の事を、をぐらく(小暗く)、たとへば、堯舜を佛家の云、あみだ(阿彌陀)釋迦のごとく立て、其次の夏殷周を證據とするなり。堯舜も、夏殷周も、いひ傳ふるごとくはあらで、いとわろきことの多かりけむを、さては教にならずとして、かくして本ををぐらく(小暗く)して、人をまどはしむるなり。是を傳へて、此國にも、のちゝゝは、さることをいひおもへど、今おもふにさては天が下の人、よく心得ず、上つ代の事をも、何もみな少しも僞らずいひ開て、天が下にものなきことをしらせて、後に然はあれど、かく後の世と成りては、とも有べしかくすべしと、よきほどに、教を立べきものなり。物(※「勤王文庫」では「扨」と記される)少(すこし)も物學びたる人は、人を教へ、國を經濟とやらむをいふよ。かれが本とする孔子のをしへすら、用ひたる世々、かしこ(彼處)にもなきを、こゝ(此處)にもて來て、いかで何の益にかた(立)ゝむ。人は教にしたがふ物と思へるは、天地の心を悟らぬゆゑなり。をしへねど、犬も鳥も、其心はうつゝゝ(※「勤王文庫」では「かつゞゝ」と記される)有(あれ)ば、必(かならず)四時の行はるゝが如し。同姓をめとらずといふを、よしとのみ思ひて、此國は兄弟相通(つうじ)たり。獸に同じといへり。天の心にいつか鳥獸にことな(異)りといへるや。生(いき)とし生(いけ)るものは、皆同じことなり。暫く制を立るは人なれば、其制も國により、地により、こと成るべきことは、草木鳥獸もこと(異)成が如し。然れば其國の宜(よろしき)に隨て、出來る制は、天地の父母の教なり。此國のいにしへのはらから(同胞)を、兄弟とし、異母をば兄弟とせず、よりて、古へは人情の直ければ、はらから通ぜしことはなくて、異母兄弟の通ぜしは常に多し。たまゝゝはらからの通ぜしをおもき(重き)つみ(罪)とせしなり。物の本をいへば、兄弟姉妹相逢て、人は出來べきことなり。然れども、人の世と成りて、おのづから、はらからの制は有しぞかし。其獸にわか(分)たむとして、同姓をめとらずてふ國の古へは、母を姧(左上「女」+左下「女」+干=おか)したることさへ見ゆる。たまゝゝ文に書出たるをおもへば、隱しては、いかなること(事)かせしならむ。ふと一度制を立れば、必(かならず)天が下の人、後の世迄守るものとおもふは、おろかなるわざなり。其同姓おかさぬ教も守るほどならば、君を弑し、父をころす制は破(やぶれ)て、同姓めとらぬをてがら(手柄)とおもへるは、如何なる愚昧にや。凡(およそ)天が下は、ちひさき事は、とてもかくても、世々すべらきの傳りたまふこそよけれ。上傳れば下も傳れり。から(唐)人の云(いふ)如く、ちりも動(うごか)ぬ世の、百年あらむよりは、少しのど(閑)には有とも、千年治れるこそよけれ。此天地の久しきにむかへては、千年も萬年も、一瞬にあらねば、よきほどに、よきもあしきも、丸くてこそよけれ。方(かと)なることわりは益なし』と。


 世の中の生きとし生けるもものゝ中に於て、人間のみが貴いと思ふことは寔に愚ろかなことである。
 天地と云ふ親の目からみれば、人も獸も鳥も虫も、生あるものは皆、同じものである。その中に於て、人間だけが知惠に就ては大いに勝れてゐる。その知惠有ることが素晴しいことであるかといふと、天下に一人や二人の者だけ知惠があつて、その知惠を振うて多勢を纏めれば、それは世も治まり易く素晴しいことであらうけれども、人が皆知惠を有せば、互ひに其の知惠を降り囘して優劣を競うたり、素直に意見を聞入れなかつたりするやうになるから、爭ひが甚しくなつて、邪な事ばかり多くなるのである。
 尤も昔から、我が儘な者が居つたには居つたが、昔は人間が直く事が少ない世であつたから、その我が儘をするといふことも只目の當たりのことのみに止まつてゐたので世の中全體からみれば本當に小さい出來事で濟んだのであつた。よつて小事はあつたが大事は無し。
 例へば犬がゐる里へ、他の里から多くの犬が來たとする。その里の犬は侵入する犬を禦いで入れないやうにするのだ。それであるから同じ里の犬同志は洵に仲が良く、偶には食ひ物の事とか女の事に就て爭ふことくらゐはあるであらうが、それも一通り怒つて吠えたりしてゐる内に濟んでしまふので、いつまでも深い確執にはならず、又た仲よくなるものなのである。
 ところが支那では、地位のある人らは頻りに知惠を振ひ、成る可く物事を人には相談しないで一部の地位のある者同志で萬事を計畫し、法律や命令を澤山作つて、人々には之を突然實行させたりするので、上下に隔りが生じてしまふのである。後世に傳はつたところを見ると、昔の堯とか舜とかいふ王は非常に優れた人で、佛教で云ふ阿彌陀とか釋迦とかと同じやうに考へられた。その次の夏(禹)や殷(湯王)や周(文王、武王)とかいふやうな聖人が出たといひ、これらを證據として優れた國であることを誇つてゐる。しかし實際は彼れら支那人が聖人と見做してゐる堯舜も、夏殷周の君主にしても、傳へられるほど優れたものであつたかと云へばさうではなく、惡いことも少なくはなかつたやうだ。しかしさういふことを全て包み隱さず傳へてしまふと、教へにはならなくなつてしまふから、儒教ではさういつた事實は成る可く匿せるだけ匿し、取り繕へるだけ取り繕ひ、善いことばかりを教へて人を惑はしてゐるのである。
 このやうな嘘僞はりの教へが日本にやつて來て、之を手本としてしまふから、兔角支那のやうに治まり難く、長期間且つ大規模に亂れてしまふのも、或は已むを得ないのである。
 それなので早く日本の本來の面目を取り戻して、昔はお互ひが直き心を持つて接し合つてゐた、僞はりも少なく、世の中は能く治つてゐた、といふことを皆に知らせたいと思ふのである。尤も、世の中が進んでしまつてゐるので、後になつて來れば、全く昔の通りにはならないと思ふ。でも、しつかりと以前の日本人や日本國はかうであつたと教へ傳へていくことは大事なことなのである。
 さて。少しでも支那の學問をした者は、人が生きていく爲めには「教へ」といふものがなくてはならぬ、又た國民が勠力協心して國を盛んにする所謂る「經濟」といふ理窟を頻りに云つてゐる。これは一應尤もな言ひ分であるが、實際やつてみるとこれが中々理窟通りにいくものではない。彼れらのその道の立て方は、專ら孔子の教へに基くものださうだが、その孔子の教へも實際にはその通り實行し得て、治國平天下の實現した成功例が、支那に於て殆ど見當らない。何事も理窟通りに上手に治まるものではないのである。
 人には自然の道と云ふものがある。先づこの自然の道に順ふを以て萬事を爲し、已むを得ない場合に於て教へとか戒めといふものも必要になるのであらうが、教へにさへ從へばそれで世の中が上手く治まり、人は皆滿足するものなのだと信じることは、天地自然の心を悟つてゐないが爲めである。
 犬も鳥も、何も教へられなくとも皆それぞれ上手に治まり生活してゐるところをみれば、自然界に春夏秋冬が必ず巡るやうなもので、人間も教へに頼らずとも天地自然の心と一致すれば、お互ひに亂れず治まることが出來る筈なのである。
 漢學をやる者は支那を崇拜し、儒教を本來の人の道と誤解してゐる。例へば同姓相ひ娶らず、と云つて直接の親戚でなくとも同じ姓の者同士は結婚をしないといふ定めがあるが、これこそ正しい教へであつて、日本では昔は兄弟姉妹も夫婦になつたことがあるので獸と同じであり人の道など存しなかつたと云ふ。併しながら彼れらの教へに則しないものを人の道に外れてゐると云ひ、獸と同じであると云ふが、獸を非常に賤しい生き物に考へてゐるがこれは抑も間違ひなのである。天地の間に生まれたものは、皆それゞゝ天地の力によつて生まれたものであつて、鳥獸にもやはり天地の心が通つてゐると考へるのが當然である。生きとし生けるものは人も鳥も獸も同じなのである。しかし人だけが知惠が勝れてゐるので、鳥や獸よりは複雜な生活をしてゐる。併し同じ人間であつてもそれゞゝ性質が違ふし環境も異なるので國により地域により法制も異同があつて當たり前である。草も木も鳥も獸も、それゞゝその形や種類が違へば生活の樣式も違ふのである。
 それであるから其の國々の宜しきのまにゝゝ、自然に生活の仕方や制度が異なつて出來てくるのが當たり前で、之が天地自然の道なのである。
 日本では昔から一切、兄弟が區別がないといふわけではない。たゞ母親が違ふと、母親の兄弟と同樣には考へないで、母親の違つた兄と妹が夫婦となつた例は度々ある。併し昔の人は正直であるから、さういふ慣はしがある以上は、母親が同じ兄と妹で結婚するやうなことは無かつた。異母兄妹同士が夫婦になつた例があるといふことだ。若しも同じ母親を持つ兄と妹が通じてしまつた場合、重罪に處せられ世の中から排斥され、殆ど人間社會の交際も出來なかつたほどである。
 固より初めを辿れば、兄弟姉妹といふものがあつて、その間から子孫が殖えたのであらうから、必ずしもさういふことを喧しく云ふには及ばなかつたのであらうけれども、併しながら社會が出來てくると自づと規律といふものが出來てくるので、そこで日本では母親が異なれば夫婦になることは宜しいけれども、母親の同じ者同士は夫婦となれぬ制度が自然に出來てきたのである。これは昔からの制度で、つまり日本國民の性質に適つたものであるから、それが久しく行なはれてゐたものであつて、それを支那の教へと異なると云つて人間の道に外れてゐる、獸の心である、支那の方が貴いなどといふことは間違つてゐるのである。
 支那では直ぐに、人間と獸との違ひはこれだ、などと云つて、同姓を娶らずといふことを非常に大切で尊貴なものゝやうに自負してゐるけれども、實際は書物に現はれた所だけ見ても、母子が通じてゐたなどといふ事實が度々見えるではないか。さういふ極端なことさへ書物に書かれてあることを思へば、おそらく世に傳はらない、つまり匿されたる歴史上の事實として、隨分見苦しいことが澤山あつたに違ひないのである。抑もこれほどまでの事實がある國である。昔に一度さういふ制度を立てた既成事實があるのだから後世に至る皆がそれを守つてゐたなどと考へることも全く愚ろかと云はざるを得ない。大體支那人が、遠い昔に立てられた「同姓娶らず」の教へが後世まで守られてゐるやうな連中ならば、君を弑したり、父を殺してはならぬ聖賢の教へを守られてゐる筈ではないか。王君を弑し自分が之に代はり、父を殺し手柄として何とも思はない連中が、同姓娶らずの教へは頑なに守り續けたなどといふ言葉は到底信じることが出來ず、若しさうであつたにせよ、逆臣、不孝にして同姓通ぜぬの制だけは守り續けたといふことが、どれほど彼れらにとつて誇れるものであるといふのか。
 兔にも角にも、小さい事は扠措いて、世の中は 天皇の思し召しを臣下は奉り、それを下々の民にまで普くこれを傳へていくことが大切なのである。さうして國は一致するのである。この點から考へれば、支那は、到底日本に及ぶものではない。
 支那の云ふやうな、塵も動かないといふ時が百年續いて直ぐに變はるよりも、少しは緩みがあつても、まア、大體に於て能く治まつて千年續く方が宜しいのである。また天地の悠久を考へれば、千年も萬年も瞬き一つする間のやうなもの。そこで善なるか然らずんば惡なるか、などといふ嚴格な理窟で世を計るのではなく、丸くて、即はち自然の道を本として治めて行く方が好い治め方なのである。角張つた教へや理窟なぞ、實際に行なひ難きものなれば、それは無益と申すものである。



 
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by sousiu | 2013-04-05 01:24 | 先哲寶文

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