贈從三位 賀茂眞淵大人 その十六。 『國意考』その十四 

 おはやう御座います。

 昨夜は愛倭塾の山口會長の仕事場へ。和歌山縣へ行くのに山口會長から借りたトラツクを返へしに行つたのである。
 山口會長は優しい。寢る寸前であつたにも拘らず、起きて仕事場まで來てくれた。野生、廿一時過ぎに到著する豫定が交通澁滯の爲め優に十時を超え、それでも嫌な顏一つ見せずに待つてゐてくれた。結局解散は深夜0時。今ごろ寢不足で野生の惡口を獨語してゐるのではないかと、少し心配だ。
 申し譯ありません。
  
 
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承前。
●賀茂眞淵大人、『國意考』に曰く、
○佛の道てふこと渡りてより、人をわろくせしことの、甚しきはいふにもた(足)らず。其(その)誠の佛心は、さは有べからず。それを行ふものゝ、おの(己)が欲にひかれて、佛をかりて、限りもなき、そらごと(虚言)どもを云(いふ)ぞかし。それもたゞ、人にのみ罪あることにいへり。生とし生るものは、同じ物なるに、いかなる佛か、鳥獸に教(をしへ)たるや。さてむくひ(報い)などいふことを多くの人、さ(然)ることゝおもへり。其事古(ふるき)世よりの證どもいはむもわづらはし。人の耳にも猶(なほ)疑(うたがひ)ぬべし。たゞ今の御世にてたとへむに、先(まづ)罪報(ざいほう)は、人を殺せしより大なるはなかるべし。然るに、今より先(さきつ)世、大きに亂て、年月みな軍(いくさ)して人殺せり。其時一人も殺さで有しは、今のなほ人どもなり。人を少し殺せしは、今の旗本侍(はたもとさむらひ)といふ。今少し多く殺せしは、大名と成ぬ。又其上に、多く殺せしは、一國のぬしと成ぬ。さてそを限(かぎり)なく殺せしは、いたりてやむことなき御方とならせたまひて、世々榮え給へり。是に何のむくひ(報い)の有(あり)や。人を殺(ころす)も蟲を殺も同じこと成(なる)を知(しる)べし。すべてむくひ(報い)といひ、あやしき(怪しき)ことゝいふは、狐狸のなすことなり。凡(およそ)天が下のものに、おのがじし(各自)、得たることあれど、皆み(見)えたること成(なる)を、たゞ狐狸のみ、人をしもたぶらかす(誑かす)わざ(業)をえ(得)たるなり。もし今往昔(いまむかし)、人多く殺したれば、うまご(孫)に報やせんと、おもふ人あれば、狸やがて知て、むくひ(報い)の色をあら(現)はして、なぐさみ(慰)とすべし。たゞ人多く殺せしは、ほまれ(譽れ)ぞかし。もし此後もさる世にあ(會)はゞ、我なほ多くころ(殺)して、富をまし、名を擧むとおもふには、狸もえより(得寄り)がたし(難し)。然るに、かく治りては、さる(然る)こともなければ、はへ(蠅)蚊を殺すゝら、いらぬことよといふ樣になりて、憎にも狸にもばかさ(化かさ)るれ』と。


 佛教が日本に渡來して、既に一千數百年が經つが、この佛の道が又た日本の風俗習慣を惡くして甚しいことは云ふに足らない。
 尤もその本當の佛の道、佛の教へといふものは、今日巷に溢れるクソ坊主の云ふやうなことでは無かつたのであるまいかと思はれる。しかし此の佛の教へを世に弘めるインチキ坊主どもが、己の欲に心奪はれ、佛の教へを藉りて果ても無き僞はりを説いて世人を惑はすものであるから、その弊害が甚大になつてゐるのである。
 おほくの物臭坊主どもの説くところによると、人間が佛の教へに違ふから、人に罪があると云ひ、世が亂れるのである、と。故にその罪の犯すことを戒めなければならぬといふ。つまり佛の教へを遵守せよといふことだ。だが生きとし生けるものは皆同じである。もし人間だけが教へを守らねばならぬ、他の動物は教へを守らないでも宜しいといふ理窟ならばそれは洵に偏つた説と云はねばならぬ。人のみ罪人と見做すのであれば、一體いつ佛が鳥や獸に教へを説いたといふのであるか。佛は啻に人間のみを説いてゐるといふことである。であれば、佛の教へなんていふ理窟は、狹義であつて、決して絶對的なものではないと考へられるのだ。
 ところで錢ゲバ坊主は、人間のしたことには必ず報いがあると説いて、多くの世人を信じさせてゐる。あとで自分自身に報いが訪れると嘯き、恐れさせて行なひを愼ませたり、佛法とやらに從はせやうとしてゐるのである。だがそのやうな應報など行なはれないといふ實際の例を擧げれば、まことに幾らでもあるのである。古い時代からの例を擧げればキリが無く、煩はしいので暫く措くが、今の世の中のことだけを聞いても、甚だ奴らの云ふ應報などは疑はしいのである。
 多くの罪報の中でも、殺人より大なるものはない。佛法では之を「殺生」といつて嚴しくこれを戒め、この殺生の罪を犯した者は必ずその報いを受け、後に自分に禍ひが來ると云つてゐる。ところが能く能く考へてみると、先の時代では大變世の中が亂れた所謂る戰國時代に、年月絶え間無く戰爭が行なはれ、皆々多くの人を殺してゐる。その時一人も敵を殺すことが出來ずにゐた者は戰功が認められず、商賈や農家とせられ、その子孫は今猶ほ身分の低き者らである。武家社會では身分制度が嚴しく、子々孫々賤しい身分の者は、身分の高い人との違ひとして、先祖に戰場の功が無かつたからである。先祖が人を少し殺してゐたならば、その子孫である今の人は旗本や侍ひとなつてゐる。もう少し殺してゐる子孫は、大名となつてゐる。それよりも多くの人を殺してゐる子孫は、一國の主となつてゐるのだ。そして限りなく戰功のあつた者の子孫は、將軍といふやうになつて、全ての大名を風下に立たせ代々榮えてゐらつしやる。はて。彼れらを見るに、應報などどこにあるのだらうか。
 若し人を殺してはならぬといふのであれば、人も鳥も獸も蟲も皆天地自然のなかに住む同じ生き物であるのだから、同じく殺してはならぬのである。だがそれを應報といふ怪しいマヤカシなどを用ひるのは、狐や狸のすることで、この天地の間に在るものは、各々見えてゐることを着實に間違ひなく、爲してゆけばよいのである。狐や狸は人を誑かす能力を持つてゐるから、それで人の思ひがけないことを仕出かすのであつて、普通に世の中にあり得ないことを申して人を惑はせるのは、要するに人間でありながら狐や狸の眞似をしてゐる愚ろか者といふことである。先祖が殺生したからと云つて、その報いが自分や子孫に及ぶであらうなどと考へると、狸坊主がこれを知つて、何か昔の報いがあると面妖なことを云ひ出し、正直な人を惑はし、それを慰みとしてするのであるから、それこそ人間としてしてはならないことなのである。
 もしもその昔、先祖が戰國時代に生きたとして、そこで武勳を立てたとする。その子孫は應報などを信じて先祖を恥ぢたり、應報を恐れるあまり先祖を辱めて自分が助からうとしたり、先祖を恨んだりしてはならない。その時代には眼前に戰場があつて、與へられた使命があつて、そして武勳を立てたのであるから、それはそれで先祖の譽まれとして然る可きなのである。それであるからさういつた子孫は若し今後又た世が亂れて自國や一族や家が危機に瀕した時には、先祖に恥ぢぬやう勇氣を以て敵を多く討ち殺し戰功を立てなければならず、でなければ子孫が榮えないのである。このやうに先祖を敬ひ、國や家を榮えるやう努力する心があれば、狸のやうな者共も近寄らず、妖言に惑はされることも無し。
 ところがこのやうに世の中が治まつて久しくなると、戰爭も無いのであるから、人を害する蠅や蚊などを殺しても、何か罪惡感を覺えるやうになる。かういふやうに無條件で淺薄な善ばかりに氣をとられると、欲深坊主や狸などに誑かされるのである。





 因みに、眞淵大人は、これまで讀んでも判るとほり、儒教に對しては過ぎるほどの酷評を以て挑んでゐるが、佛教に對しては批判してゐるものゝ、儒教ほどに斧鉞を加へてゐない。これは時代の背景によるものであるのか、然もなくば國學の成長に於ける過程としてある可き態度であつたのか、おそらく兩方であらうと思はれる。何となれば古道論、復古神道論が發展すればするほど、儒佛は排斥されねばならなくなるが、眞淵大人の現時點に於ては、未だその發展をみない段階にある。これを顧慮せず大人の佛に對する姿勢が手緩しと見做すのは、不當であらう。

◎清原貞雄博士『國學發達史』(昭和二年十一月廿五日「大鐙閣」發行)に曰く、
斯く支那の儒教は、眞淵の考によれば徹頭徹尾惡い教である。然らざれば實行不能の空想である。之に對して佛教は如何と云ふに、佛教其ものに就ては眞淵は儒教に對する程の反感を有つては居ない。「佛の道てふことの渡りてより人をわろくせしことの甚しきはいふにもたらず」と云つて佛教の弊害を認めて居るが、然し誠の佛心は斯の如きものではあるまい、それを教ふるもの即ち僧侶抔が己れの慾に惹かれ、佛を道具に使つて限りなき空ごとを云ひ出したものである、人に罪があるので佛教其ものが惡いのでは無いとし、其佛教家が説く所の事も何等の根據も無い造言である證として
「先づ罪報は人を殺せしより大なるはなかるべし。然るに今より先つ世、大きに亂れて、年月みな軍して人殺せり。其時一人も殺さで有しは、今の直(たゞ)人
(※上記「賀茂眞淵全集」では「今のなほ人」と記される)どもなり。人を少し殺せしは今の旗本侍といふ。今少し多く殺せしは、大名と成ぬ。又其上に、多く殺せしは一國のぬしと成ぬ。さてこそ(※仝「さてそを」と記される)限なく殺せしは、いたりてやむことなき御方とならせたまひて世々榮え給へり。是に何のむくひのあらんや(※仝「有や」と記される)
と云つて、所謂因果應報説の取るに足らざるを論じて居る。勿論之は小乘佛教の末であつて、大乘の眞諦に觸れて居ないとの非難も立ち得る譯であるが、當時佛教が國民の思想生活と關係あるは專ら斯の如き方便説の部分であつたのである。故に眞淵の云ふ所も全く無意義とは云へない。又我國は古來武勇を以て立つて居る國である。然るに佛教が輸入せられ、因果應報抔の妄説が行なはるゝに及んで此國民の武勇の徳が大に害はれた事を論じて居る
』と。




 こののち、本居宣長大人、平田篤胤大人他の一大碩學が陸續出現し、國學はおほいに發展を遂げることゝなる。
 然るに佛教は平田篤胤大人による講談及び著述である『出定笑語』『出定笑語附録』『印度藏志』『悟道辨・尻口物語』などによつて猛烈に筆誅されるのであるが、尤もそれはまだ後の話しである。
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by sousiu | 2013-04-08 09:06 | 先哲寶文

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