贈從三位 賀茂眞淵大人 その十七。 『國意考』その十五 

 昨日「芳論新報」脱稿。土方の疲れがとれてゐないのか、昨夜は早めに就寢した。
 『國意考』も今囘と次囘で愈々終はりとなる。譯文は、直譯ではなく、複數册の參考文獻を用ひて、出來るだけ理解されるやうに極力努めた積もりだけれども、餘計に解り辛くなつてしまつた。
 折角なので次囘を終へたら、下手な説明文を省いて、全文を繋げて殘しておかうかと思つてゐる。

 さて、終はりも見えてきて思ふのことは、下手ながらもこの説明文には苦勞させられたことだ。だが備中處士樣の仰る通り、野生の勉強には大いに得るものがある。固より未熟なる野生は人に教へるものがない。自分自身の勉強の爲めに、一艸獨語は更新される可きであるのだ。秋風之舍主人の日乘を覗き見るに、彼れもまた同じく求學求道に精勵されてをられる。今は兔に角、これで宜いのだと思ふ。
 
  
 
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承前。
●賀茂眞淵大人、『國意考』に曰く、
○ものゝふ(武士)の猛を專らとして、世の治るてふことにつけて、或人云、今見るに、軍(いくさ)の法まねぶは、いかで軍あれかし。あはれ元帥と成なむ。又つはものゝ道をえ(得)たる者思へらく、あはれ世亂(みだれ)よかし。一方を防ぎ、いかなるつよきものにても、我むかひて(向かひて)殺してむと。かゝれば世の治りの爲わろ(惡)しと。おのれいふ(云ふ)しからず(然らず)。こは人のこゝろをし(知)らぬものなり。みづからのこゝろをかへり見よ。太平に生れて、させることもなきには、太平にう(倦)めり。さる時には、かくてのみやは有(ある)べき。古へ我おやゝゝ(親々)の事をもおもひ(思ひ)、時しあらば、よき品になりなむを、今いかにせんとおもひて、成ぬべきわざをして、命を終るのみなり。心の内に思ふことあれど、時のいきおひにしたがひ(從ひ)て、過すのみ。たけき(猛き)道をまねぶ人は、しかのみにて、世の亂よかしと思へど、亂るゝものにあらず。一人二人其心のまゝにせんも、世の中に隨はでは、今日もへがたけ(經難け)れば、せむかたなしとて、ことをかくして(隱して)を(居)りぬ。人の心は、皆さるものにて、上に猛き威あれば、皆心ならねど、しばし隨ふのみなり。然らば猛き道をまねび、子孫に傳へて、一度の用に立むとするも、又よ(善)からずや。さる人は心こはく(剛く)わろし(惡し)といへど、さることをよく學ぶ人は、こはき(剛き)物にあらず。中に一人こはき(剛き)もあれど、武をまねばで、こはく(剛く)わろき(惡き)もの、いくばく(幾許)ぞや。たまゝゝ有(ある)をもて、かた(語)らすることなかれ。いでもし(若し)事あらむ時に、其心こはき(剛き)やつ(奴)も、一かたたのもしき(頼母敷き)ものなり。世はいつまでも、かくてあらむとのみおもふにや、末知(しり)がたきものなり』と。


 武士は猛々しくあるを專一として、敵を打ち破り世を治めるといふことに對して、ある人が云ふに。今、武藝を習ふとか軍法を學ぶ人々は、どうか戰爭があるやうにと心待ちし、そこで大いに學んだことを發揮し、手柄を勝ち取り、之によつて立身出世を望むものなのである。又た「つはものゝ道を得たる者」乃はち軍學であるとか兵法を修學した者は、どうか世の中が亂れてくれゝば宜い、敵が攻めてくれゝば宜いと願ひ、さうなつたらば我れが一方を防戰し、如何なる強い敵の襲來があつても、必ず皆殺しにしてくれやうぞ、と考へるものなのである。このやうな好戰的な者らが多くなれば、結局治國平天下の爲めには邪魔で惡しき存在である。であるから、武藝などといふことを獎勵するでなく、所謂る聖賢の道を弘めてゆく方が大切なのではないか、と。
 眞淵大人が答へるに、然らず、と。
 必ずしも武藝を學ぶ者の心持が間違つてばかりゐるとは思はない。それは人の心を本當に知り得てゐない者の云ふことである。自らの心を顧みよ。泰平の世に生まれて何も事が無くなると、お互ひ泰平に倦んでしまひ、世の中が何とか變はつていくやうに、と望むやうになる。これが人情といふものである。併しながら自分達の親の時代、先祖の時代を思ひ較べてみると、古へも必ずしも皆が役に立つてゐた譯ではないが、世の中が亂れてゐた時にはそれはそれで之を治める爲めに多くの仕事があつたのである。そこで活躍した人達の子孫が今、然る可き地位を得て世を治めてゐる。今日とて若しもさういふ時代にあつたならば、勇氣を以て命を捨てゝでも國の爲め家の爲めに手柄を立てようとする良き者もゐるであらう。だが餘りにも泰平無事の世となれば、それも叶はず、地位の低き人らも、まづまづ無事に毎日を送ることだけをやつととして壽命を迎へるのである。生まれて既に地位の高い人は兔も角、蔑まされて生きるよりほかない人達は、心の中では何か自分でも手柄となるやうなことをしたいと思つてみても、泰平の時勢に從つて生涯を過ごすのみなのだ。
 抑も軍學者や兵法家が、世の中が亂れてくれゝば良いと思うてみたところで自分の思ふ通りに亂れるものではない。抑も一人や二人が何とかして大きな働きをしたい、功名を遂げたい、と願うてみても、泰平の世に隨はなければ今日の生活も儘ならなくなるので、仕方なしとして日々を過ごしてゐるのである。これは已むを得ないことである。或は、上に立つ人の威勢が餘りにも強いならば、無情であつても、非道であつても、心は兔も角、態度は服從するほかない。かういふ人が、自分の時代では何うにもならないけれども、武藝や軍學、兵法を學んで子孫に傳へ、事の起こつた時に役に立つやう養成して置くことも、これはまた良いことではないだらうか。何でも無事に生きてをれば、泰平の世に我が一族、我が家が安泰ならば良いと思ふよりも、今は兔も角やがて又た世が亂れた時に國の爲めに役立てるやう子孫に習はせ、心掛を養つてゆくことは頼もしい心掛けであり、これを一概に世の亂れるを願ふ者などといつて排斥するには及ばない。
 又た、さういふ武藝などを重んずる者はどうも心が猛々しく、人を敵にする氣分が多いから、惡い者だと云ふ人がをるけれども、決してさうではない。
 本當に武藝を重んずる者は決して無暗に人を敵對する者ではない。尤も中にはさういふやうに、人を敵視するやうな者もゐるだらうけれども、それは寧ろ例外である。それならば武藝を學ばない人は皆、平和な心持ちで人を敵することなき優しい者達ばかりか、と云へば必ずしもさうではない。たゞ武藝を學ぶ人は目立つものであるから、偶々さういふ人が有つて全體もさうに違ひないと思つて語つてはいけない。若しも一旦、大事が出來した時こそ、さういつた人達が頼母敷くなるものなのだ。皆が、たゞ毎日無事であれば宜しい、泰平が長く續いてくれゝばそれで宜しいなどと思うてゐるだけでは、一ト度び何か大事が起きた場合、その亂れを收めてくれる人がゐなくなつてしまふのである。今は確かに泰平無事であるけれども、世の中はいつまでもこの樣な状態が續くものではなく、將來は誰れも豫想し得ないのだ。よつて今、世が平穩だからと云つてそれで良しと思ひ込み、武藝などを輕んじたり、又たはこれを習ひ學ぶ者を惡しき者であると蔑視したりする領主は、まことに愚るかであると云はねばならない。


●又た曰く、
時の心にかなふ(叶ふ)をのみよし(善し)とおもふは、其主の愚かなるなり。多き從者(ずさ)の中には、さまゝゝ(樣々)有(ある)こそよけれ。物の本たけき(猛き)をむね(旨)として、こゝ(此處)かしこ(彼處)に、隱れをる猛者をも、おこらせず。又顯(あらは)れて、いきほひ有(ある)をも、おそれしむるより外なきなり。たゞなべて(竝べて)の人、おもて(面)をなだらか(平穩)にすれば、心もしか(然)なりとおもふにや。心の僞りは、人毎に有ものなり。少しも、人の上なる人、隨かふものは、いかにも成べしとおもふにや。暫くやむ(止む)へからずしてしたがふなり。たとへ主從の約(やく)有とも、大かたにめぐみ(惠み)ては、誠に辱(かたじけな)しとおもはじ。其惠も、凡(すべて)の人、よきことをば忘れて、わろきことをば、深く思ふものなり。然れば、一度よきとて、いつまでも、忘れまじきと思ふはおろかなり。こゝをよく心得べし。又少しもよき人の、從者百にも餘(あま)れらんは、皆軍(いくさ)の道をまね(學)ふべし。たゞ一わたり、こゝには、かくかまへ、かしこには、そなへなどせるを、まね(學)ぶことなれど、其かまへも、備も、猛き軍人(いくさびと)のなくては、有(ある)べからず。其人ありても、心より隨はではかな(叶)はず。もしいま、馬を出さんに、人の隨はずは、いかにとおもふ心、おのづからつくべし。さらば、隨ふことをせんとするに、たれかは俄に隨はん。親あり、妻子あり、かくて死なんよりはなど思ひて、迯(にげ)かくれ、せんかた(詮方)なく隨ふもの、などかは、心をまとめむや。よりて、餘りに、みづから貴を示さず、上下と打やはらぎ、親しみて、子の如く思はんには、主てふ名の有が上に、かたじけなき心は、骨にしむべし。さる時には、此國のならはし命をを(惜)しまず、おや子をもかへりみぬほどならめ。凡人は物のかひなくては、事の情も深くおこらぬものなり。よりて佛の道は、是をとなふれば、今生後生をたすかり、富貴と成といひて、引入侍るなり。人皆なづみ行(いき)ぬ。武の道も、たゞに、こはわろし(此は惡し)、かはあしゝ(彼は惡し)と教てのみは、かひなきまゝに、理りとはおもへど、人の心の引かたにつきて、教のとほるはなし。さて從者、誠に辱けなしと、こぞりておもはゞ、百人五百人にすぎずとも、其いひおもふこと、天が下に聞(きこえ)ん。さあらば、馬を出さんに、まねかずして、人集りぬべし。これをもて、大にか(勝)つべき道なりけり。よりて、たけきを學ぶに、及(しく)はなし。かくいはゞ、たゝ軍の時の爲とのみおも(思)はめ。しか從者をしたしまば(親しまば、※「勤王文庫」では「爲給はば(したまはば)」と記される。果していづれぞ)、心を用ひずして、家も富榮えまじ。誠に武の道は、直ければ、おろそかなし私なし。手をたむたきて(※「勤王文庫」では「拱きて」(こまねきて)と記述)、家をも治べし、天が下を治べし』と。

 人を用ひ有用することは寔に難しいものであつて、啻に今日、兔に角役立つ者のみ善しと思つてしまふ主は、愚ろかである。多くの從者の中には、皆長所もあり短所もあり、その能力も樣々あるから良いのであつて、夫々の長所や才能を上手に振り分け、活かすことが肝心なのである。人の上に立つ者は、たゞ人を服從させたり、持ち上げてくれるやう望んで人を使つてはならぬのである。
 凡そ、人の心といふものは猛きを旨とせねばならぬ。自分の信ずることは何處までもやる、無暗に人に頭を下げぬといふくらゐの人間が頼母敷いものなのである。さういつた者らは、取り分け人や世の中に認められないものであるから、さういつた者らは頼母敷い反面、うつかりすると不平を起こして叛亂するものである。それであるからあちこちにゐる、さういつた猛者を怒らせぬやうにする爲めにも、それらを排斥するでなく、有用することが大切である。若し、勝れた者が重く用ひられるやうな政策が執られゝば、たとひ今は用ひられなくても、やがて自分らも用ひられるだらうと思ひ、不平はおろか一所懸命努力するものである。逆に若し、猛き心なくたゞ御辭儀ばかりしてゐる他に何も取り柄が無いやうな者を重寶してばかりゐれば、いざといふ時に有用なる者らは、かういふ時代に生まれ合せた自分は實に不幸はせだ、といふ考へとなり、やがて世の中が騷がしくなるものなのである。
 又た世の中に、その才能が顯はれて相當な勢ひを有した者は、上に立つ者が幇間ばかりを重寶有用する無能な主であれば、やがて見限つてしまひ我が儘をするであらう。さうなると主は恐れるより仕方なく、さうならない爲めにも、上に立つ人は確りとせねばならないのである。又た上に立つ人は確りとするだけでなく、人の心までも知らねばならない。下々のオベツカを使ふ人の多くは、顏こそ表情をなだらかにして御辭儀をするが、それを見て主が、自分は偉い、皆は服從してゐると過信してしまふのは無能な主と考へることで、心の中では蔑まれてゐることもあるのだ。心に僞はりが無い者と有る者は、夫々であることを知らねばならない。
 又た縱令小數たりとも人の上に立つ程の人、下の者が無條件で隨ひ、その者らを「いかにも成る可し」どうにも主人の思ふ通りになると考へることは、寔に考への足らぬことである。さういつた無能の主人の下にある者は、先づ大概の者は已むを得ずして從つてゐるのである。そこを能く能く知らないで、上下の身分の差があり下は從ふと思ひ込み、安心するは大變な間違ひなのである。たとひ主從の約束があつても、「大かたに惠て」いい加減に何か惠んでやれば良いなどといふ考へでは、下々の民は、まことに辱けない、などと思ふ筈が無いのである。大概の人は、良いことは忘れてしまひ、惡きことはいつまでも覺えがちである。然るに一度、つまりいい加減な惠を與へて、いつまでもそれを忘れないであらうから、心服するであらうと考へるは愚ろかな考へである。本當にいざ事が起きた時に、皆が無心に努力するやうにして欲しいと考へるならば、平生より深く惠を施して、心で上下の關係を構築することである。これを能く辨へ、心得なければならぬ。
 又た、少しでも地位が高くて、自分の下に屬する者が百人以上もある人ならば、その下の者に戰さの道を學ばせる可きである。一朝事ある時には、夫々の働きをするやうに、平生に於て心と身體の訓練をしておかねばならぬ。一通り、此處にはかう構へ、彼處には斯う云ふ風にして敵を打ち斥けるといふやうに學ばせておかねばならないが、その計畫が出來てゐても、計畫だけでは守り切れず、やはりいざと云ふ時にその計畫を實行し得る、命をも惜しまぬ猛き軍人がゐなければ、有效ではないのである。そして有效な警備計畫があり、有能な武人が揃つてゐても、その猛き武人が心の中では上の人を敬つてをらず、從つてゐないやうでは、やはり有效とならない。若し今、有事が出來して、「馬を出さんに」戰爭が起こり出兵する際に、平生人が心の奧底で隨つてゐないならば、命懸けで戰ふ者は皆無と心す可し。人には親もあれば妻子がある者もゐるのであるから、上に立つ者から恩惠を賜はつてをらねば、こんな所で死ぬよりは逃げた方が宜い、と思つてしまふのも仕方ないことなのである。もし軍令が嚴しくして逃走を防がんとするも、それは逃げられないから詮方なく從つてゐるだけであつて、心を纏めて一致協力したことにはならない。有事出來の際、かういふ樣にならない爲めにも、上の者は能く人々の氣持ちを察して徒らに自分を貴いとせず、上下は互ひに和ぎ親しみ合ふやうに心掛け、下の者には恰も子を思ふやうに接すれば、主がこれほど自分を可愛がつてくれてゐる、信じてくれてゐるとの有難い心が骨身に沁みるであらう。さういふ關係となれば、元々、日本人は武勇に秀でた性質を持つてゐるのであるから、一朝有事の際も、命を惜しまず、自分の家や親をも顧みず、國を守る爲めに戰ふのである。
 おほよそ、人は、「物のかひ」乃はち報酬の見込みなくては誰れも骨を折りたがらないものなのである。報酬と云へば物品金錢のことゝ思はれるかも知れないが決してさうではない。人に自分の骨折りが認められるといふことも、報酬なのである。それであるから、佛教などでは、一所懸命、念佛を唱へればこの世も安樂であり、後の世も助かるとか、信心を一所懸命にすれば來世は極樂に行ける、或は家が榮える、暮しが樂になるだとか云つて、人を佛の道に引入れてしまふのである。たゞ信心しろと云つても、人は中々信心するまでには至らないので、このやうに、報酬を與へるやうなことを云ひ、人は皆佛教に泥んでしまふのだ。
 武士を養育するのもその通りであつて、たゞ單に、かういふことは惡い事である、あゝいふことは惡いから止めろ、といふだけの教へでは、報酬があるわけではなく、たとへそれが道理の上では適つたものであつたとしても、心の中では釋然とせず、教へられても結果に繋がりにくいものなのだ。若し從臣たる者が理窟ではなく、本當に有難い、辱けない、主を誇りと思ふ、といふやうであれば、自分達の努力が正しく認められて、或は主に認められたいと思ひ努力するものである。さうなればわづか百人か五百人くらゐしか人數がゐなくても、その一致團結の結果は天下に聞こえるであらう。そのやうな素晴しい主の名聲は轟き、若し愈々戰爭ともなり主が兵を出さんとすれば、招かずして兵となるを志願し集つてくる人が増えるものである。平生が肝心で、かういふやうな素晴しい主であり續けることが、乃はち勝を制するべき道なのである。
 よつて猛きを學ぶ、つまり平生に於て、戰爭の時のやうな覺悟を民に學習させておくことが大事であり、主も又たその心得を學んで置くことは決して無駄なのではない。しかし、たゞ、猛きを學ぶ、は、戰爭の爲めのみではないことを忘れてはならぬ。かういふ心得が上下共に滲透して、上に立つ者が下に立つ者と平生から親密にして、下の者もいざと云ふ時にこの主の爲めならば命を捨てゝも働く、といふ氣持ちが育てば、有事の時のみならず、平生も一所懸命働く筈であつて、結局、國も家も富み榮えるのである。本當の武の道とは、かういふやうに疎かなることも私心に支配されることも無いのである。
 であるから、之に基いて物事を行なへば、上に立つ人がそれほど骨を折らずとも、家も齋ひ國も治まり、自然と天下は平らかになるのである。
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by sousiu | 2013-04-09 11:40 | 先哲寶文

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