贈從三位 賀茂眞淵大人 その十八。 『國意考』その十六 

 佐々木信綱翁は、
『萬葉集古義の著者鹿持雅澄が、藩老福岡家で眞淵の冠辭考を初めて見、夕つ方我が居村に歸つたが、其の夜再び城下なる同家に案内を請ひ、冠辭考の數箇條を抄寫して、深更家に歸つたといふ逸話を、直門の老人から聞いたことがあつた。また伴信友が、看聞御記の寫本を借り受け、夜を徹して抄録したといふ書を見たことがあつた。また曲亭馬琴が、日本外史の出版以前に、その寫本を得たいが、寫字料はいか程かかるであらうと、伊勢なる殿村篠齋に問合せてやつた書簡を讀んだことがあつた。是等の事を見聞くにつけて、古人が書物を手に入れるに就いての苦心を思ふと、涙ぐましくさへ感じられる』と感慨を漏せてゐる。『改訂 賀茂眞淵と本居宣長』(昭和九年十二月二日「弘文社」發行)

 野生も寫本を藏するが、寫本そのものゝ價値は一長一短あれ、それゞゝみな當時の人達の勞苦を偲ばれるものがあり、決して板本と比して粗末に出來るものではないのである。「書物を手に入れるに就いての苦心」とは、「學問をおこなふに就いての苦心」と云ひ換へることが出來る。
 云ふまでもなく當時書物は頗る高價であつた。であるから、今日の如く簡單に書物を他人から貸借出來るものではない。餘程信頼を託せる者に、而も短期間貸すのが精々であつたらう。借りた書を迂闊にも返さなかつたり、或は失したり、又たは汚してしまつたりするやうな惧れのある者には、當然貸す可くも無かつたのである。つまり、他人から信を得られぬやうな生活態度を送る者は、學問したくとも充分にし得なかつたのである。逆言すれば、學問をする者は、全てと云はぬまでも大凡、人格も他に認められたる者であつたに違ひない。見識のみならず自づと人格も備はり、さういつた人達がやがて後進を教へ、國論を重ね、導き、一つの大きな時代のウネリを作つたのである。

 又た、借りた本は返さねばならない。恰も一家の寶物の如く扱はれたる書物をさう何度も借りることは出來ない。當然の如く一語一句を謹讀し、或は晝夜を問はず寫し書きするのである。これが所謂る、寫本だ。
 かく考へれば野生など、文明の利器の恩惠を被ることに馴れ、キーボードを使つて寫し書きする程度で根を上げるのであるから、全く怠んでゐると笑はれても返す言葉のあらう筈が無い。
 

 佐々木信綱翁は次いでかう云ふのである。
それに比べると、今の世は餘りに容易に書物の得られ過ぎるといふ感が深い。殊に近時は、吾が國の古典の印行されるものが甚だ多い。それは喜ばしい事ではあるが、中には蕪雜なもの、無責任なものも尠くない』と。

 これは實際さうであらう。同じ古典にせよ、それゞゝ部分的に異なるものがあるは決して珍しくない。戰前のみならず大正、明治に於ても然りであるから、戰後のものは(讀まないので分らないが)、大丈夫なのかと疑問に思ふ。
 だがそれは出版界もにならず、抄録を志すもの全員に課せられる可き戒めである。
 野生も又た、誤字脱字があるやも知れぬ。あるやも知れぬ、を逃げ口上としてゐるやうでは、まだゝゞ背筋が伸びてゐると云ひ難い。愼まねばなるまい。

 さて。『國意考』は今囘で終はりである。こゝまでくると、隨分と親しみを覺え、少し寂しい氣もするのである。
 固より縣居大人の偉業は『國意考』で全てではない。ほんの一部に過ぎない。しかしながら野生にはそれを説明するだけの知識が乏しくある。他に關しては、有志各自の研究に委ねるほかない。
   
 
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承前。
●賀茂眞淵大人、『國意考』に曰く、
○或人云、古今集などに、あげたる歌のいさほし(功)はさることなり。なほ又心有(あり)やと。答(こたふ)。かの序にか(書)ける、天地を動し、鬼神をあはれと思はせ、男女の中をやはらげ、たけき武士の心をも、なぐさむるといふは、其あるべきことを、おちゝゝ(條々)にわけて、いへるなれば、是もさることなり。ぞ(そ、乎)れがうへにて、すべてをいはゞ、やは(和)しき心にと(取)る。凡(およそ)人の心は、私ある物にて、人と爭ひ、理りをもて、事を分つを、此歌の心(こゝろ)有(ある)時は、理りの上にて、和らきを用る故に、世治り、人靜なり。是もたとへば、四時の如し。夏はあつかるべき理りとて、夏たつより、急度(きつと)あつくのみあらば、人た(堪)ふべからず。然るを物を漸(やゝ)にして、あつきさむきが中にも、朝夕夜晝につけて、しのぐことの、有(ある)にてこそた(堪)ふれ。是世の中にさる和らぎなくば、誰かはす(住)まはん。此事はもろこしの歌もしかり。さるを後には、いと事もなきによみ、人を驚かさばや、はた(將た)かくいひては、人のいかゞ(如何)そしらん(誹らむ)。かくては、人のよろこ(喜)ばじ、など思ひて物すれば、誠の心にあらず、まことの歌にあらず。されども、むかしより、此心を用ひ來れば、今よむ歌はわろ(惡)かれど、むかしの和らぎたる心は、世にみ(滿)ちぬ。人としいへば、此心を知が故に、おのづから理の上をなすことなり。理の上にていはゞ、つかさ(官)位高く、いきほひあらん人は、萬の人を皆なみ(無み)して、萬をお(推)すべし。官位はさる物から、賤しきとても、さのみはしがたしとて、和らぎのことをまじへ、たけく、ををしき人も、よわき人をば、皆おしふせんや(押し伏せんや)。これはた(是れ將た)和らぎを本とすべし。其歌讀出(其の歌、讀み出づる)るには、もと和らがんとての心にはあらねど、心におもふことのにほひ(香)出る物なれば、おのづから、たゞ成よりは、和らかに、やさしき事あり』と。

 或る人は云ふには、古今集の序などをみると、歌といふものには隨分力があるものだといふことが書いてある。たとへば力を入れないで天地を動かすとか、目に見えぬ鬼神をあはれと思はせるであるとか、男女の中を和し、猛き武士の心まで慰めるといふやうに、それほど歌には效能があると云うてゐるのであるが、どうもこれは過剩宣傳のやうに感じるのであるが。
 このやうな疑問を抱く者に對して、眞淵大人が答へるには、歌には確かにその力が備つてゐるのだ。古今集の序にある通りである。それを詳細に亙り色々説明してあるので、實際に歌を詠むやうになつて、古今集の序に書かれてあるやうなことを理解出來た人も寔に多いのである、と。
 先づ第一に云へることは、歌を詠む人の心持ちが、まことにものを愛する、親しむといふ點に於て勝れてくるのである。兔角人の心は私心あるもので、それが表面に出るとやたらと人と爭ひ、理窟を以て接する。理窟を云へば又た反對の理窟を云ふ者も出てくるのは當然で、互ひに理窟ばかりを唱へる人が多くなれば、段々複雜になつてきて、結局世の中は一致協力出來なくなつてしまふのである。
 ところが歌を詠むやうな心持ちで、理窟でなく、お互ひに愛する氣持ちや親しむ氣持ちを以て接すれば、やがて睦み合つていく。みなが和いだ氣持ちを夫々養つていけば、世の中も治まつてきて、人も靜かな心境で日々を暮らすことが出來るのである。さういふ點に於てみても、歌を詠むやうな心持ちを皆が共有してゆくことが大切なのである。
 それを例へれば四季のやうなものだ。夏は當然暑かる可きものであるのだけれども、夏になつて急に暑くなつては人が堪へられない。でも春の末から段々暖氣が増してきて、それから暑くなつてくる分には、人はどうにかその暑さに堪へることが出來る。所謂る、漸、といふことが大切なのである。又た同じ暑い日でも、朝夕は涼しいので堪へられるので、全ては和いでゆく、といふことが必要なのである。このやうに世の中に和らぎが無くなつたならば、誰れも住むことは出來ないのである。
 この事は日本の歌だけに限らない。支那でも聖人と云はれる人は詩を重んじて、孔子も詩經といふものに筆を入れて後世に遺した。詩を巧みに作る、といふことが大切なのではなくして、詩を詠むやうな心持ちが大切なのである。
 ところがその歌とか詩とかいふものゝ重んぜられる根本精神が後になつてくると忘れ去られてしまひ、別に歌を詠む必要も無いことに歌を詠み、技巧を懲らして人を驚かせるやうな心持ちで歌と向き合ふやうになつてしまつた。又た或はかう詠んだら人に笑はれるかも知れない、人に誹られるかも知れない、と人の反應を氣にする餘り、たゞ言葉の末に趨つて僞はりが多くなつてしまつた。謂はゞ歌に誠の、直き心が喪失してしまつた。昔の優れた人の歌といふものは、みなその心にあることを僞はらず、ありのまゝ詠んだものであるから、人が素直に感動したのである。
 併し乍ら、後世の歌は赤心が無くなつた、と云つて一概に之を排斥することは出來ない。兔に角歌を詠むといふ昔から傳はつてゐる慣はしがあるのだから、歌の一つも詠まうといふ人は、さう心の荒んだ、何でも理窟で押し通さうとする人ではないだらう。たとひ昔ほどではなくても、兔に角、歌の一首でも詠まうといふ和やかな、平和な心持ちがあつて、これが育つてくれば、急度他人にも優しくなり、親しくなり、思ひやりの心が深くなり、やがてその心が世の中に滿ちてゆく筈である。
 道理の上から云へば、世の中と云ふものは統一がなされなければならない。その爲めには上下、貴賤といふ區別が無ければならぬものである。勢ひのある人が勢ひの無い者よりも多くの働きが出來るのであつて、結果、高い身分に就くことが出來る。だが上に立つ者が自分の勢ひのみを頼り下の者を壓迫すると、下の者は表面上仕方なく服從するだけで、いつも反抗の心を持つてゐる。それであるから官位にある者が下の人々を輕く見て押し伏せて服從させてゐるやうでは、決して世の中は平和に治まらないのである。そこで、官位や勢ひに頼り人と接するのではなく、和らぎの心を本として下々の人とも接せねばならない。その和らぎの心を養ふ爲めに歌を詠むわけではないが、歌を詠む内に次第に和らぎの心が芽生え出て、發達してゆくものであるから、何にせよ歌を詠まうとする心持ちは大切である。凡て心に思ふことは自ら形に現れるものであるから、ゆつくり落ち着いた心で歌でも詠まうといふやうな氣持ちで政治を執り、下の者とも接するやうになれば、お互ひ和み、優しくなれて結局、それが世の中の爲めになるのである。


●又た曰く、
或人云、さ(然)いふ所は、理りなれど、猶いと上つ代のことにして、今の世に、手ぶり大にかはりて、人の心、邪に成ぬれば、いかで昔にかへすことを得むや。然らば、其時のまにゝゝ、よろしう取なすべし。古の事、今は益なき事なりと。答。誠にしか(然)こそは、誰もおもへ。凡(およそ)軍の理りをいふにも、治國をいふにも、先(まづ)其本をとゝの(整)ふることをいへり。然るに其君の心によりて、いく萬もとゝのふるを、多くの人のうち、さるよき君のうまれこんはかたし(生まれ來むは難し)。其よからぬ君の、心のまゝに、したがひまつりごつに、よきことのあらむやは、たまゝゝよき君の出むをまちて、萬つ(よろづ)はいふのみ。其如く、もし上に、古へを好みて、世のなほからんをおぼす(思す)人出來む時は、十年二十とせ(年)を通ずして、世は皆直かるべし。大かたにては、えなほらじ(得直らじ)とおもふはまだ(未だ)し。上の一人の心にて、世はうつる(移る)物にぞある。命かけたる軍だに、いくさのきみの心ぞ。よりて、萬の人の、身をゝしまぬ(身を惜しまぬ)さまに成ぞかし。たゞ何事も、もとつ心の、なほきにかへりみよ』と。

 また或る人が云ふには、さういふことを聞くと、一應理に適つてゐるやうだけれども、しかしそれはズツと昔のことであつて、今の世は昔と違ふ。今は人の心は隨分拗けて邪となつて、容易に昔のやうな直き心に戻らぬであらう。であるから、そんなに遠い昔のことばかり云つてゐないで、其の時其の時の時局や時勢に對應して世を治めてゆくやうに取り爲していつたら宜いのである。遙るか古へのことばかり貴んでも、現代に何ら益するところはないのである、と。
 大人の答ふるに。誰れでもそのやうに考へるやうだ。時代が變はれば凡てが變はると思つてゐる人が多い。だが能く考へてみると、いくら時代が變はつても、人間の本質と云ふものが變はることはない。例へば戰さとなる場合でも、或は國を治める場合でも、先づその根本を整理して考へてみるといふことが肝要である。これらも時代を經て戰爭の仕方や治國の法制など、時代によつてやり方は變はつても、一番大切にせねばならぬことは常に變はらぬ本質である。その本質とは、その主の平生の心持ちによるものであつて、その主が本當に勝れてゐれば、幾萬の人間でも能く整ひ萬事速やかに事は收まるのである。それは直き心であり、和である。だが世にゐる多くの主のうち、さういふ勝れた主が生まれ出て來ることは難しい。さうした良からぬ主の心のまゝ執り行なはれる政治に、善い結果になることは望み難いのである。であるから萬民は、偶々善い主の出るを待つてゐるのみである。だがそれは無爲だ。しかし若し古へのことを能く學んで、世の中が眞つ直ぐになることを望む人が出て來て、人々の上に立つならば、十年二十年經たない内に世の中が眞つ直ぐになるに違ひない。大方の人は古への善き時代を知らないので、世の中はもう治まらないのだと勝手に諦めてしまつてゐると思つてゐるやうだが、それは間違ひなのである。上の人の心ひとつで、世の中は幾らでも變はるものなのである。戰爭もその通りであつて、「いくさのきみ」つまり將軍の心持ちが確りしてをれば、その下に屬する士卒といふものは、皆協力一致して、身命を惜しまぬ戰ひ樣をし、如何に亂れたとて立派に平げることが出來るのである。それであるからこれまで説明したやうに、何事にも古への、人の心直く、國は平らかであつた時代を考究し、この根本を顧みることが大切なのである。



 縣居大人著「國意考」の最終項は古へに復せ、である。
 今日のナントカ維新の会やら自稱保守派やらと、我が陣營との決定的な違ひがある。乃はち、古へに復す、の有無である。
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by sousiu | 2013-04-10 19:58 | 先哲寶文

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