贈從三位 賀茂眞淵大人 その廿。 『國意考』 坤  

承前。

○たゞ其國の、天地のまにゝゝ、古へよりなし來るがごとく、板のやね、土の垣、ゆふのあさの衣、黒葛卷の太刀とやうにして、すべらき、御みづから、弓矢を携へて、獵したまふ程ならば、などかかくうつりゆかむ。人の心はうつくしきにつき、高ぶるを好むもの成に、唐人のさまを羨てせし頃より、たゞ宮殿衣服をのみ、よろしく成て、上の身いと貴に過て、心はおろかに、女のごとくなりたまひ、かしこきにあまりて、上の位をしのぎ、まつりごと臣に取りたまへれば、上は御身のみ貴くて、御心はいと下れり。臣ぞ古への上のごとく成て、唐のごとく名をおかし、上を穢することはせぬども、上はあれとも、無が如く成ぬ。さらば臣は、夫にてとほるにやと見るに、其古、臣も後の臣になみせられ行て、其名の傳るのみなり。是こゝの道を忘て、人の國に、ならひたるあやまちより、なれることなり。或人問、さらば、古へは皆あしき人はなきか、世は亂れざるかと。答。此問はまたよく直きてふ意をしらぬ故なり。凡心の直ければ、萬に物少し、もの少ければ、心にふかくかまふることなし。さて直きにつきて、たまゝゝわろきことをなし、世を奪んとおもふ人も、まゝあれど、直き心より思ふことなれば、かくれなし。かくれなければ、忽に取ひしがる、よりて大なる亂なし。直き時は、いさゝかのわろき事は常あれど、譬へば村里のをこのものゝ、ちからをあらそふがごとくにて、行ひしづめやすきなり。

○世の中の生るものを、人のみ貴しとおもふはおろか成ことなり。天地の父母の目よりは、人も獸も鳥も虫も同じこと成べし。夫が中に、人ばかりさときはなし。其さときがよきかとおもへば、天が下に、一人二人さとくば、よきことも有べきを、人皆さとければ、かたみに其さときをかまふるにつけて、よりゝゝに、よこしまのおこれるなり。夫もおのづから、こと少き世には、思ひよもにはせ、たゞまのあたりのみにして、ことをなす故に、さとさも少し。よりてちひさき事はあれど、大なることなし。たとへば、犬の其里に、多く他の里の犬の來る時は、是をふせぎ、其友の中にては、くひもの、女の道につきては爭へども、たゞ一わたりの怒にして、深くかまふることなきがことし。唐にては、事を人にしらせず、上なるものゝみ知て、おこなふぞよきとて、萬の事を、をぐらく、たとへば、堯舜を佛家の云、あみだ釋迦のごとく立て、其次の夏殷周を證據とするなり。堯舜も、夏殷周も、いひ傳ふるごとくはあらで、いとわろきことの多かりけむを、さては教にならずとして、かくして本ををぐらくして、人をまどはしむるなり。是を傳へて、此國にも、のちゝゝは、さることをいひおもへど、今おもふにさては天が下の人、よく心得ず、上つ代の事をも、何もみな少しも僞らずいひ開て、天が下にものなきことをしらせて、後に然はあれど、かく後の世と成りては、とも有べしかくすべしと、よきほどに、教を立べきものなり。物
(※「勤王文庫」では「扨」と記される)少も物學びたる人は、人を教へ、國を經濟とやらむをいふよ。かれが本とする孔子のをしへすら、用ひたる世々、かしこにもなきを、こゝにもて來て、いかで何の益にかたゝむ。人は教にしたがふ物と思へるは、天地の心を悟らぬゆゑなり。をしへねど、犬も鳥も、其心はうつゝゝ(※「勤王文庫」では「かつゞゝ」と記される)有ば、必四時の行はるゝが如し。同姓をめとらずといふを、よしとのみ思ひて、此國は兄弟相通たり。獸に同じといへり。天の心にいつか鳥獸にことなりといへるや。生とし生るものは、皆同じことなり。暫く制を立るは人なれば、其制も國により、地により、こと成るべきことは、草木鳥獸もこと成が如し。然れば其國の宜に隨て、出來る制は、天地の父母の教なり。此國のいにしへのはらからを、兄弟とし、異母をば兄弟とせず、よりて、古へは人情の直ければ、はらから通ぜしことはなくて、異母兄弟の通ぜしは常に多し。たまゝゝはらからの通ぜしをおもきつみとせしなり。物の本をいへば、兄弟姉妹相逢て、人は出來べきことなり。然れども、人の世と成りて、おのづから、はらからの制は有しぞかし。其獸にわかたむとして、同姓をめとらずてふ國の古へは、母を姧(左上「女」+左下「女」+干=おか)したることさへ見ゆる。たまゝゝ文に書出たるをおもへば、隱しては、いかなることかせしならむ。ふと一度制を立れば、必天が下の人、後の世迄守るものとおもふは、おろかなるわざなり。其同姓おかさぬ教も守るほどならば、君を弑し、父をころす制は破て、同姓めとらぬをてがらとおもへるは、如何なる愚昧にや。凡天が下は、ちひさき事は、とてもかくても、世々すべらきの傳りたまふこそよけれ。上傳れば下も傳れり。から人の云如く、ちりも動ぬ世の、百年あらむよりは、少しのどには有とも、千年治れるこそよけれ。此天地の久しきにむかへては、千年も萬年も、一瞬にあらねば、よきほどに、よきもあしきも、丸くてこそよけれ。方なることわりは益なし。

○佛の道てふこと渡りてより、人をわろくせしことの、甚しきはいふにもたらず。其誠の佛心は、さは有べからず。それを行ふものゝ、おのが欲にひかれて、佛をかりて、限りもなき、そらごとどもを云ぞかし。それもたゞ、人にのみ罪あることにいへり。生とし生るものは、同じ物なるに、いかなる佛か、鳥獸に教たるや。さてむくひなどいふことを多くの人、さることゝおもへり。其事古世よりの證どもいはむもわづらはし。人の耳にも猶疑ぬべし。たゞ今の御世にてたとへむに、先罪報は、人を殺せしより大なるはなかるべし。然るに、今より先世、大きに亂て、年月みな軍して人殺せり。其時一人も殺さで有しは、今のなほ人どもなり。人を少し殺せしは、今の旗本侍といふ。今少し多く殺せしは、大名と成ぬ。又其上に、多く殺せしは、一國のぬしと成ぬ。さてそを限なく殺せしは、いたりてやむことなき御方とならせたまひて、世々榮え給へり。是に何のむくひの有や。人を人を殺も蟲を殺も同じこと成を知べし。すべてむくひといひ、あやしきことゝいふは、狐狸のなすことなり。凡天が下のものに、おのがじし、得たることあれど、皆みえたること成を、たゞ狐狸のみ、人をしもたぶらかすわざをえたるなり。もし今往昔、人多く殺したれば、うまごに報やせんと、おもふ人あれば、狸やがて知て、むくひの色をあらはして、なぐさみとすべし。たゞ人多く殺せしは、ほまれぞかし。もし此後もさる世にあはゞ、我なほ多くころして、富をまし、名を擧むとおもふには、狸もえよりがたし。然るに、かく治りては、さることもなければ、はへ蚊を殺すゝら、いらぬことよといふ樣になりて、憎にも狸にもばかさるれ。

○ものゝふの猛を專らとして、世の治るてふことにつけて、或人云、今見るに、軍の法まねぶは、いかで軍あれかし。あはれ元帥と成なむ。又つはものゝ道をえたる者思へらく、あはれ世亂よかし。一方を防ぎ、いかなるつよきものにても、我むかひて殺してむと。かゝれば世の治りの爲わろしと。おのれいふしからず。こは人のこゝろをしらぬものなり。みづからのこゝろをかへり見よ。太平に生れて、させることもなきには、太平にうめり。さる時には、かくてのみやは有べき。古へ我おやゝゝの事をもおもひ、時しあらば、よき品になりなむを、今いかにせんとおもひて、成ぬべきわざをして、命を終るのみなり。心の内に思ふことあれど、時のいきおひにしたがひて、過すのみ。たけき道をまねぶ人は、しかのみにて、世の亂よかしと思へど、亂るゝものにあらず。一人二人其心のまゝにせんも、世の中に隨はでは、今日もへがたければ、せむかたなしとて、ことをかくしてをりぬ。人の心は、皆さるものにて、上に猛き威あれば、皆心ならねど、しばし隨ふのみなり。然らば猛き道をまねび、子孫に傳へて、一度の用に立むとするも、又よからずや。さる人は心こはくわろしといへど、さることをよく學ぶ人は、こはき物にあらず。中に一人こはきもあれど、武をまねばで、こはくわろきもの、いくばくぞや。たまゝゝ有をもて、かたらすることなかれ。いでもし事あらむ時に、其心こはきやつも、一かたたのもしきものなり。世はいつまでも、かくてあらむとのみおもふにや、末知がたきものなり。時の心にかなふをのみよしとおもふは、其主の愚かなるなり。多き從者の中には、さまゝゝ有こそよけれ。物の本たけきをむねとして、こゝかしこに、隱れをる猛者をも、おこらせず。又顯れて、いきほひ有をも、おそれしむるより外なきなり。たゞなべての人、おもてをなだらかにすれば、心もしかなりとおもふにや。心の僞りは、人毎に有ものなり。少しも、人の上なる人、隨かふものは、いかにも成べしとおもふにや。暫くやむへからずしてしたがふなり。たとへ主從の約有とも、大かたにめぐみては、誠に辱しとおもはじ。其惠も、凡の人、よきことをば忘れて、わろきことをば、深く思ふものなり。然れば、一度よきとて、いつまでも、忘れまじきと思ふはおろかなり。こゝをよく心得べし。又少しもよき人の、從者百にも餘れらんは、皆軍の道をまねふべし。たゞ一わたり、こゝには、かくかまへ、かしこには、そなへなどせるを、まねぶことなれど、其かまへも、備も、猛き軍人のなくては、有べからず。其人ありても、心より隨はではかなはず。もしいま、馬を出さんに、人の隨はずは、いかにとおもふ心、おのづからつくべし。さらば、隨ふことをせんとするに、たれかは俄に隨はん。親あり、妻子あり、かくて死なんよりはなど思ひて、迯かくれ、せんかたなく隨ふもの、などかは、心をまとめむや。よりて、餘りに、みづから貴を示さず、上下と打やはらぎ、親しみて、子の如く思はんには、主てふ名の有が上に、かたじけなき心は、骨にしむべし。さる時には、此國のならはし命ををしまず、おや子をもかへりみぬほどならめ。凡人は物のかひなくては、事の情も深くおこらぬものなり。よりて佛の道は、是をとなふれば、今生後生をたすかり、富貴と成といひて、引入侍るなり。人皆なづみ行ぬ。武の道も、たゞに、こはわろし、かはあしゝと教てのみは、かひなきまゝに、理りとはおもへど、人の心の引かたにつきて、教のとほるはなし。さて從者、誠に辱けなしと、こぞりておもはゞ、百人五百人にすぎずとも、其いひおもふこと、天が下に聞ん。さあらば、馬を出さんに、まねかずして、人集りぬべし。これをもて、大にかつべき道なりけり。よりて、たけきを學ぶに、及はなし。かくいはゞ、たゝ軍の時の爲とのみおもはめ。しか從者をしたしまば
(親しまば、※「勤王文庫」では「爲給はば(したまはば)」と記される。果していづれぞ)、心を用ひずして、家も富榮えまじ。誠に武の道は、直ければ、おろそかなし私なし。手をたむたきて(※「勤王文庫」では「拱きて」(こまねきて)と記述)、家をも治べし、天が下を治べし。

○或人云、古今集などに、あげたる歌のいさほしはさることなり。なほ又心有やと。答。かの序にかける、天地を動し、鬼神をあはれと思はせ、男女の中をやはらげ、たけき武士の心をも、なぐさむるといふは、其あるべきことを、おちゝゝにわけて、いへるなれば、是もさることなり。ぞれがうへにて、すべてをいはゞ、やはしき心にとる。凡人の心は、私ある物にて、人と爭ひ、理りをもて、事を分つを、此歌の心有時は、理りの上にて、和らきを用る故に、世治り、人靜なり。是もたとへば、四時の如し。夏はあつかるべき理りとて、夏たつより、急度あつくのみあらば、人たふべからず。然るを物を漸にして、あつきさむきが中にも、朝夕夜晝につけて、しのぐことの、有にてこそたふれ。是世の中にさる和らぎなくば、誰かはすまはん。此事はもろこしの歌もしかり。さるを後には、いと事もなきによみ、人を驚かさばや、はたかくいひては、人のいかゞそしらん。かくては、人のよろこばじ、など思ひて物すれば、誠の心にあらず、まことの歌にあらず。されども、むかしより、此心を用ひ來れば、今よむ歌はわろかれど、むかしの和らぎたる心は、世にみちぬ。人としいへば、此心を知が故に、おのづから理の上をなすことなり。理の上にていはゞ、つかさ位高く、いきほひあらん人は、萬の人を皆なみして、萬をおすべし。官位はさる物から、賤しきとても、さのみはしがたしとて、和らぎのことをまじへ、たけく、ををしき人も、よわき人をば、皆おしふせんや。これはた和らぎを本とすべし。其歌讀出るには、もと和らがんとての心にはあらねど、心におもふことのにほひ出る物なれば、おのづから、たゞ成よりは、和らかに、やさしき事あり。或人云、さいふ所は、理りなれど、猶いと上つ代のことにして、今の世に、手ぶり大にかはりて、人の心、邪に成ぬれば、いかで昔にかへすことを得むや。然らば、其時のまにゝゝ、よろしう取なすべし。古の事、今は益なき事なりと。答。誠にしかこそは、誰もおもへ。凡軍の理りをいふにも、治國をいふにも、先其本をとゝのふることをいへり。然るに其君の心によりて、いく萬もとゝのふるを、多くの人のうち、さるよき君のうまれこんはかたし。其よからぬ君の、心のまゝに、したがひまつりごつに、よきことのあらむやは、たまゝゝよき君の出むをまちて、萬つはいふのみ。其如く、もし上に、古へを好みて、世のなほからんをおぼす人出來む時は、十年二十とせを通ずして、世は皆直かるべし。大かたにては、えなほらじとおもふはまだし。上の一人の心にて、世はうつる物にぞある。命かけたる軍だに、いくさのきみの心ぞ。よりて、萬の人の、身をゝしまぬさまに成ぞかし。たゞ何事も、もとつ心の、なほきにかへりみよ
』と。
   

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 縣居大人は、春滿大人の教を享けて歌學を更らに精しく研究し、やがて古道闡明の思想を逞しくし、未だ外國文化の影響を被らない古への國民道徳、價値觀の復活を欲求した(春滿大人には斯かる思想はあまり明確に現はれてゐない)。
◎清原貞雄博士『國學發達史』(昭和二年十一月廿五日「大鐙閣」發行)に曰く、
『眞淵が其一生の大半を捧げたのは萬葉集を始めとして古歌の研究である。其古道論も亦古歌の研究から出發したのである事は前にも云つた通りである。然らば眞淵の國學研究の主要部は和歌の研究である。而して眞淵の和歌に對する見解はやがて古道に對する見解其ものである。之れは眞淵の古道が萬葉の研究から發したものであるとすれば當然の歸結であるが、同時に亦其古道を再び其歌論に反射してゐるのである。即ち眞淵の場合に於ては其古道論と歌論は二にして一、全く切り離して考ふる事の出來ないものである』と。



 そこには大きな發見のあつたことが一因となつてゐる。古歌の研究が進むにつれ、日本人の本質として、中世文學の「たわやめぶり」と異なり、古へには「ますらをぶり」のあるを確認したのである。
◎久松潛一先生著『國學 -その成立と國文學との關係-』(昭和十六年三月卅日「至文堂」發行)に曰く、
『萬葉集に於て眞淵が發見した古語・古歌・古道を貫いてゐる精神は何であるかといふと、眞淵はこれを種々の詞を以てといて居るのであるが、一方からいふと、ますらをぶりである。このますらをぶりは、力強い點を有して居るが、それは眞情を率直に表現する所からくる緊張した精神であるのである。それは眞淵が萬葉を數年見て居ると古人の心直きことが分るといつた、その直き心であるのである。かういふ「ますらをぶり」を萬葉集に見出すのに對して中古文學は「たわやめぶり」であるとし、「たわやめぶり」を退けて居るのである。この「たわやめぶり」は中古文學の女性的な優美を退けて居るやうであるが、ただこゝで注意されるのは眞淵の退ける「たわやめぶり」は所謂「もののあはれ」とは多少共通する所はあるけれども同一でないといふ事である。「たわやめぶり」といふのは「ますらをぶり」の中心をなす心の直いといふ事と相反することであつて、眞情の率直なる表現ではないことを現して居るのである』と。

 實はこの頃ともなると、國學は急速に進歩を始めるのである。謂はゞ過渡期である。國學の進歩は、それ以前に進歩、發達した歌學の影響に承けること決して少々としない。戸田茂陲翁による中世學問、歌學に對する批判は、螳螂の斧であつたにも拘らず、それまで閉鎖的であり格式ばかりを重んじて空虚と成り下がつた歌道に一大斧鉞を加へ、云ふなれば歌壇界に於ける維新を來たしたのである。遺佚軒 茂陲翁に就ては別記するであらう。
 つまり元祿時代を前後して、俄はかに新舊交代の兆が見え始めたのである。それ歌道に於ける革新、綜合的な學問に於ける革新、而も之れらは決して沒交渉ではない。

 而も、縣居大人が學問研究の特徴を掲げんに、その一つとして、啻に上代の生活及び思想を闡明せんとするに止まらず、或は萬葉集の歌を詠ずるだけでなく、自らこれを顯現せんとしたことであらう。之が乃はち『國意考』となつて明瞭となつてゐるのである。

 而して、縣居大人の學統を繼ぎし碩學が陸續として登場し、更らに國學は一層の進展をみる。その大なる功勞者として、吾人は本居宣長大人を擧げねばなるまい。
 かく考へれば、國學は發達するものなのである。「國意考」は終はつたが、國學發達に大きく寄與した恩人、縣居大人に就て、もう少し觸れてみたいと思ふのである。
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by sousiu | 2013-04-11 00:46 | 先哲寶文

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