縣居門 その三。楫取魚彦翁 

◎茅生庵 楫取魚彦翁(縣門十二大家、縣門四天王)


○『國學者傳記集成』(明治卅七年八月廿五日「大日本圖書」發行)所收にみるに。

楫取 伊能 魚彦

生歿
(生) 二三八三年  中御門  享保八年三月二日
(沒) 二四四二年  光  格  天明二年三月廿三日 
(年) 六〇

姓名
(姓)伊能氏、楫取氏、(通稱)茂左衞門、(字)初・景良、後・魚彦[ナヒコ]、(號)青藍、茅生庵

住所
(生地)下總香取郡、(居住)江戸濱町茅生[チブ]庵、(墓)下總香取郡牧野村觀滿(※原文マヽ)寺(※現、千葉縣佐原市牧野「觀福寺」)


●河喜多眞彦翁、『近世三十六家集略傳 六』(嘉永二年)に曰く、
『ここに賀茂縣居翁、大江戸にありて、昌んに古學を起し、普く有志の士を誘ふ。翁、やがて其門に入りしより、皇國風の直く正しき道をしり、大に日本魂を振起して、日夜古道を修學す。ことに萬葉集を尊び、頻に古言の奧旨を究む。其平生、詠み出づる歌にも、少しも後世の言を交へず。好んで上古の調をのみ貴み、頗る自在に遣ひ、しかしてまた新意を出せり。翁また催馬樂調を作るに、妙所に至りて、實に千載の古調の如し』と。

●清水濱臣翁、『縣門遺稿第四集 楫取魚彦家集』(文政四年)序に曰く、
『伊能魚彦は下總國楫取あがたの人なり。つねの名をば茂左衞門といひき。明和といふとし(年)のすゑつかた(末つ方)此大江門にまゐ來て(參來て)、縣居翁に名簿をたてまつり翁の住める濱まち(町)といふ所に軒をならべ、朝夕にしたがひむつひで學の道に心いれつゝ、よく、ふる言の葉のおくがをきはめられしかは、常につみいでらるゝことくさ(言葉)いさゝかも後の世のをまじへず、心のまゝにふること(古言)もて、あたらしきことどもいひとられにけり。かくて天明の二とせ(年)、やよひばかりに、よはひ(齡)六十にて濱まち(町)のやどり(宿)にみまかられぬ(薨られぬ)今もそのうから(其の親族)伊能を氏にて楫取にあるか、その家につたへもたる家集一卷あり。みづからの筆にて安永五年と六年と二とせのをかきたるのみなりけり。猶こゝにうつし(寫し)つゝ、かしこにちりのこれる(彼處に散り遺れる)あるべきを、何かはかくてのみと、此ぬしのみやびに思ひあがれる心のほどはしらるゝを、あながちにおほきをもとめむは、えうなきことゝして、とかくよみかうがへて、板にゑらせたるなりけり』と。
http://books.google.co.jp/books?id=Bda6KcsXtmQC&printsec=frontcover&hl=ja&source=gbs_ge_summary_r&cad=0#v=onepage&q&f=false

●皆川淇園翁『日本諸家人物志』(寛政十二年三月改刻)に曰く、
『本姓は稲生、稱は茂右衞門。下總楫取の人なり。古雅を真淵に學んで、古言梯を著す。旁ら画を好んで、常に梅花を画く。同門に○(※原文マヽ)倭文女あり。國學を真淵に學んで、和歌を咏ず。家集文布あり 』と。

 魚彦翁を知る資料は乏しい。
 傳記學會・伊藤貫一代表も、その大著『國學者研究』(昭和十八年一月卅日「北海出版社」發行)に於て
 『魚彦の傳記を知るべきものとしては、前記の「三十六家集略傳」と「古學小傳、下總舊事考」の外、「香取四家集」の末に、清宮秀堅の書いたものはあるが、その何れもが簡に過ぎ、しかもその記す所相同じで、史料として何等發明する所が無い』とその多からざることを憾んでゐる。


●小澤政胤翁、『慶長以來 國學家略傳』(明治卅三年十一月十日「國光社」發行)に曰く、
『魚彦は、通稱を茂右衞門といふ。初名は、景良、下總香取郡の人なるを以て楫取ともいふ。又稻生と書けるは、其音訓相通ぜるを以てなり。青藍、又茅生庵とも號せり。父は景榮、母は土子なり。魚彦、六歳にして、父を喪ひ、專母の鞠育を受く。幼より讀書筆札を好み、又丹青の妙所を得、法を古に求め、姿形を目前の寫生にとり、自ら一家の風をなせり。就中梅と鯉魚とを寫すに、深く意を用ゐ、庭前に數株の梅樹を栽ゑ、又許多の鯉魚を小池に養ひ、其形勢を、熟視して寫生す。故に人之を賞して頗る其繪畫を需む。會々眞淵の江戸に在りて、昌んに古學を唱へ、普く有志の士を誘導するを聞き、魚彦も其門に遊び、日夜研■(石+賛)して怠らず。 ~中略~ 中古以來假字用格甚混亂して、初學の人はいふに及ばず名高き學者も之を知らず。臆斷を以てして之を誤れることを慨歎し、日本書紀、萬葉集、和名抄等の書より古き假字を抄出して、古言梯を著はしゝより後進の士に裨益を與ふること少からず。假字用格の古に復せしは實に魚彦と契冲の力にして、其功決して歿すべからざるなり。明和二年、家を其子景序に讓りて自ら江戸に出でゝ、濱町に卜居し其居を茅生庵と號す。六年十月、眞淵翁歿しければ、其徒魚彦に從ひて學ぶもの益々多く、遂に二百人に餘れり。特に酒井侯、奧平侯、戸田侯等禮を厚くして延聘し、奧平侯は俸米若干を賜ふといふ。又上野の法親王の寵遇甚渥かりき』と。




 <楫取魚彦翁の主なる著書>

    古言梯[ふることのかけはし](明和二年)
    續冠辭考(明和七年九月)
    冠辭懸緒(安永八年)
    萬葉集千歌
    ならの葉
    百人一首略傳
    筆のさきこと



     すめ神の 天降(あも)りましける 日向(ひむか)なる
           高千穗の嶽 やまづ霞ならむ
    

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by sousiu | 2013-04-17 20:18 | 先人顯彰

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