縣居門 その十一。小野古道翁 

◎小野古道翁(縣門十二大家)



●河喜多眞彦翁、『近世三十六家集略傳 卷の上』(嘉永二年)に曰く、
古道氏は長谷川、謙益と稱す。初め醫を業とせしが、壯年に及びて眼疾を患ひ、終に明を失ふに至る。是に於て專ら鍼灸按摩の術を學び、其の奧妙を極む。乃招く其の治術を受くるもの頗多く、名聲都下に鳴る。古道、業餘心を古學に潛め、特に作文、詠歌の妙を究めんと欲し、嘗て賀茂翁の江戸に出づるを待ちて、忽ち名簿を納れて、其の門に入り、教を受けて精勵勉學す。盖賀茂翁の江戸に出でゝ門戸を開きし以來、其の門に入りて、學ぶの徒、數百輩に至ると雖、然れども、古道を以て其最初とすと云ふ。明和中歿す。遺稿あり、世に行はる。之を古道家集といふ』と。

 又た曰く、
『寶暦二年夏五月、萬葉集の竟宴せし時、謹て賀茂大人に詠て上る長歌とてあり。其人となりを知らんが爲にこゝに擧。
あをによし、なら(奈良)のみやこの、いにしへゆ、きこえつたへし、言の葉の、よろづそなはる、そのふみの、ありとはいへど、いそのかみ、ふりにふりたる、みちなれば、まどへるものを、はしきやし、賀茂のうしはも、おもふにも、かたじけなしや、まなぶにも、いとふことなく、をしふ(教ふ)にも、うめることなく、春のひの、こゝろのとけ(心長閑)く、秋のつき、くまなくさやに、ときたまひ、さとしたまへば、あきらけき、日月のかげを、みるがごと、なりまさりつゝ、八とせ(年)あまり、まなびし來つゝ、ほとゝぎす、なくやさつきの、けふ(今日)しこそ、ことなりにけれ、みなひとも、はなたちばなの、かくはしき、こゝろつたへて、よろづよに、はなも實をも、かたりつぎ、いひつぎゆかむ、あまざかる、あがたゐのうしぞ、たふとかりける
   こゝろさへ、すゞしくもあるか、まつかげの、をかべのみちは千代もかよはむ、

頃年遺稿を校して梓刻し世に流布をしむ』と。

 <小野古道翁の主なる著書>
    古道家集



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 縣門の十二大家も殘すところ僅か一人となつた。
 明日に記す可き御一人は、云ふまでもなく、鈴屋大人その人だ。


    
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by sousiu | 2013-04-25 00:29 | 先人顯彰

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