贈從三位 賀茂眞淵大人 その廿三。明和六年己丑神無月晦日 

 本日は、晴天。氣分良く起きてみれば、例の伊勢の下山君から、居留守を見破つた借金の取立て人かの如き着信の嵐。
 寢てゐる間に崩れてゐた本の山を片付け、屆いた「芳論新報」の配送作業を行なひ、而、下山青年は今、野生の隣にゐる。汗顏。

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 賀茂眞淵大人に關して記事を始めて約二个月だ。まだゝゞ書き足りず、且つ學ばねばならぬことも澤山あるのだが、取り敢へず、本日で一旦、擱筆しようと思うてゐる。
 眞淵大人は、明和六年十月卅日、おん年七十三にて瞑せられた。清宮秀堅翁の『古學小傳』上卷(安政四年)では、
『明和六年己丑/七三/  二月、語意考成。自跋アリ。宣長、西村某ガ請ニヨリ序ヲカク。○山問文神代卷刻成。○十月晦日身マカリヌ』
 とある。最晩年である明和六年にも出版を重ねてゐたのであるからして、その生涯は將さに學問、研究、發表であつたと謂ふ可きである。否、之に加へて、子弟、後進の教導にも餘念が無かつた。大人の生涯を通じたその成績は、既述したる門下の偉才によつて明らかである。



●『岡部家譜考證』(村田春海翁)「翁の歿年の事」に曰く、
『翁の年を、家譜に七十四とあるは、後人の翁の事を書きそへたる時の誤なり。翁は明和六年十月晦日に終はられて、年は七十三にてなむありし。これは春海など、をさなきときより常に翁の年の事、いはるゝをば、聞きしりたることにて、まがふべくもあらねど、世移りなば、うたがふ人もありぬべければ、今ここにくはしくいふべし。翁のよまれたる萬葉集に、手づから考とも、書きくはへられたる本の奧書に、所々年をしるされたり』と。

●清水濱臣翁『泊洦(山水+百)筆話』に曰く
『縣居翁一世の年譜行状は、別にくはしくかむがへしるさんの心ざしあればいはじ。家集は、吾師の筆記し置き給へる岡部家譜考證一卷ありて、いとくはし。墓は武藏國荏原郡品川驛東海寺地内、少林院の山上にあり。翁東都に下られてより、南郭先生といとしたしくむつびかはされつゝ、詩を先生に學ばれしに、先生は國學を翁にとはれて、互によき學びがたきにおはせしかば、先生の墓所も、此寺なるちなみに、翁も墓地をこゝにしめおかれしとぞ。墓石の正面には、芳宜園[千蔭]の書にて、賀茂縣主大人墓とあり。近來芳宜園、織錦家、兩氏相はかりて、年毎の九月はつる日、此おくつきにまうでゝ、人々と共に歌よむことゝせられしより、年ごとにまうでつゝ、今も其流をしたふ人々は、その日をさだめてまうづる事になむ。翁の正忌十月晦日なれど、菊紅葉もをかしきをりとて、九月晦日に御はかまうでとさだめられしなりけり。享和元年、芳宜園のあるじ此墓側にあらたに碑文をしるし、石にゑりて建てられたり。[此碑文は芳宜園家集に出でたれば、こゝに略せり]其をり、吾師のかく碑文たてられし事をよろこびて、よまれし長歌あり。[これも吾師の家集に入りて上木に及びぬれば、こゝに略せり]』と。


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●小野古道翁 (『近葉菅根集』卷十「雜部五」文化十一年七月、清水濱臣翁編、所收)
『 賀茂のうしをかなしむうた    古道

はしきやし、あが師の君を、しのぶれば、畏こきかもよ、いそのかみ、古き宮ぶり、したひつゝ、人をもさとし、みづからも、水ゆく川の、よどみなく、み空ゆく日の、やむごなく、學びしくれば、おのづから、心ひらけて、人みなの、言葉の花も、ならの葉の、名におふ宮の、いにしへに、さきかへりてぞ、にほふなる、さあるが中に、うつせみの、世のはかなきは、玉の緒の、ながくもがなと、祈れども、神もうけずて、いかなれば、此曉の、霧ときえけむ
      さだめなき、世とはしりつゝ、思ふこと、とはではなかなく、過しつる哉      』

●岡廼舍 栗田土滿翁 ( 仝 )
『 岡部大人の、吾嬬にてみまかり給ふときゝける時、    土滿

湊べに、舟はよるとふ、ありそべに、みるはよるとふ、いかさまに、思ひよりてか、父のみの、父にもあらぬを、父のごと、めぐまひ給ひ、祚葉の、母ならなくに、母のごと、したひなづかひ、萬代に、かくしもかもと、思ひしを、思ふかひなく、うつせみの、世の事しげみ、むら肝の、心にもあらず、足曳の、山をもへなり、みなきろふ、川さへへなり、なぐるさの、とほそぎをれど、さねかづら、後もあはむと、大舟に、おもひたのみて、荒玉の、月もへゆけば、璞玉の、年もきえゆき、神無月、しぐれと共に、もみぢ葉の、君はすぎぬと、玉鉾の、道ゆく人の、およづれを、我にやつぐる、まが言を、我やきゝつる、梓弓、おとも聞えず、玉づさの、使もこねば、せむすべの、たづきもしらに、ぬえ鳥の、うらなきしつゝ、うまごりの、あやにかなしみ、よるはも、夜のあくる極み、ひるはも、日のくるゝまで、鳥がなく、あづまの空を、くまもおちず、見つゝぞしぬ、おも父のごと』

●五十槻園 荒木田久老翁 ( 仝 )
『 賀茂のあがたゐぬしの身まかり給ひぬと聞きて、    正恭

鳥がなく、東の國の、武藏野の、大城がもとは、春花の、いざ榮ゆれば、久方の、天ともいはむ、雲井なす、たとほき國ゆ、石橋の、まぢかき里ゆ、八百萬、千萬人の、いりつどひ、いばみむれ居て、うま人は、うま人さびし、いやつこはも、やつこともどち、なすわざの、みやびもあるを、幾ものゝ、手ぶりもあるを、水沫まく、眞淵のをぢは、上つ代の、かみらの道に、村肝の、心をそみ、いそのかみ、古き宮ごとを、口からに、となへもしつゝ、あぢさはふ、晝よるわかず、ひたぶるに、思ひまかして、たなうらに、とりえしことは、ふみでもち、文にあやなし、世の人に、傳へまくせり、かくしありて年もきえゆき、久方の、月日もへなば、いさをしの、ほにあらはれて、言さやぐ、からになづめる、うつし世の、うつし心も、古へに、かへらひぬらむと、大舟の、思ひ頼みて、高山の、仰ぎしをぢは、神無月、しぐるゝ雲に、いつしかも、いかくりたまひ、きえ霜の、はやく消えぬと、玉づさの、使のいへば、いはむすべ、せむすべしらず、なく涙、ひさめとふりて、衣手は、ひづちにひぢぬ、あれだにも、かくあるものを、啼子なす、つきまとはして、朝にけに、むつびし人は、旗薄うながふしつゝ、いかさまに、い歎くらむと、出る日の、東に向ひ、照る月の、空にしぬべば、玉かづら、かげにみえつゝ、うらもなく、わすらえかねて、いよゝ悲しも
      大空に、あふぎしをぢは、いつしかも、雲がくりぬと、きくがかなしさ      』

●茅生庵 楫取魚彦翁 及 鈴屋 本居宣長翁 ( 仝 )
『 會 縣居 慕 賀茂大人 歌     魚彦

春はも、花くはし、櫻のめて、秋はも、さにつらふ、もみぢをみると、人さはに、來入をり、うたによひ、さかゑらきし、あそばひし、あがたゐの君、まさでかなし、そのあがたゐあはれ

 和 魚彦 歌     宣長

あがたゐに、人さはにきいりをり、いりをりて、酒みつぐ日も、君かめの、こほしけまくは、うべなゝゝゝ、さぶしけむよ、そのあがたゐ

 此ついでにかの大人をしぬぶ哥

神風の、伊勢のうみに、よる浪の、とこよの浪の、とこしへに、かくしもかなと、はろはろに、をろがみて、わがたのみ、つかへまつりし、賀茂のうし、そのうしはや』


●芳宜園 加藤千蔭翁(享和二年刊『朮花[うけらがはな]』)
『縣居大人、みうせまして、三十ぢまり三とせになりたまひける神無月の晦日に、竹芝のおくつきのもとに、つどひて、ふるきを思ひてよめる歌、竝短歌     千蔭

四方山の、まもりにすとふ、梓弓、末の中頃、いそのかみ、ふりにし世々の、手ぶりをば、忘れいにつゝ、もとつ世に、引きもかへさず、あまた年、經にける事を、ますらをの、弓末ふりおこし、いそしくも、思ひおこして、菅の根の、めもころゝゝに、さとはせる、世の人皆を、わがうしの、道びき給ひ、弓弦なす、たゞ一すぢに、すなほなる、すめら御國の、古ことを、傳へたまへれ、新玉の、年もへなくに、古への、學の道に、村ぎもの、心をよする、人さはに、成にけるかも、かくしつゝ、五百千々の世に、天傳ふ、日のたて日のぬき、くまもおちず、行きたらはして、古へに、立かへる世を、松が根の、遠く久しく、竹芝の、いそ山寺の、おくつきを、あふがざらめや、梓弓、もとの世しのぶ、ますらをのとも
      今よりの、千歳の後に、よの人の、しき忍ぶべき、おくつき所      』


●鈴屋 本居宣長翁 (『鈴屋集』卷六、本居春庭翁編、所收)
『 縣居大人の御前にのみ申せる詞     宣長

さまゞゝ、萬葉集にいぶかしきくさゞゝ、かきつらねて、つぎゝゞにとひあきらめ、又のりながゞ、つたなき心に、おふけなく思ひえたる事どもをも、かつゞゝかきまじへて、よきあしきことわり給へと、こひ申せる、をぢゝゞの中に、いとよきさまにしひたることゞも、これかれまじれり。今より後、かくざまのことは、つゝしみてよと、深くいさめ給ふみことを、かゞふりて、いともゝゝゝかしこみ、はぢ思ふが中に、かの集の卷のつぎゝゞ、かりごものみだれてあるを、淺茅原、つばらつばらに、わきため正し給へる、うしの御心にたがひて、これはた、おのがおもほしきまにゝゝ、ことざまにしも論ひさだめて、こゝろみに、見せ奉りし事はしも、いま思へば、いとゐやなく、かしこきわざになも有ける。かれ今のみの詞をさゝげて、かしこまりまをすことを、たひらけくきこしめさへ。又うたがはしき事は、猶はらぬちに、つみたくはひおきて、ひらく時をしまつべきものぞと、をしへ給へる、まことに然はあれども、しかうたがひつゝのみあらむに、おろかなる心は、いつかもはるく時あらまし。然るに今大人のみさかりに、上つ代の道をとなへます世に、生れあひて、雲ばなれそきをる身は、御むしろのはしつ方にも、えさもらはぬものから、其人かずには、かずまへられ奉りて、心ばかりは、朝よひさらず、御許にゆきかひつゝ、百重山、かさなる道の長手はあれど、玉づさのたよりにつけては、とひ申す事どもを、いさゝかもかくさふことなく、菅の根の、ねもころにをしへ給ひ、さとし給へば、しぬばしきいにしへの事は、ますみの鏡にむかへらむごとくに、たまぢはふ神の御世まで、のこるくまなくなも有ける。かゝるさきはひをしもえてしあれば、おろかなる心に、つもるうたがひは、おのづから、ひらけむよを、まつべきにしあらずと思へば、かつゞゝもおもひよれるすぢは、さらに心にのこすことなく、おもほしきまにゝゝ、まをしこゝろみ、あげつらふになも。そが中には、しひたるも、ひがめるもおほかるべけれど、本よりすみぞめのくらき心には、それはた、えしもわきまへしらねば、よきもあしきも、たゞ明らけきうしのことわりをまちてこそと、ひたぶるにうちたのみてなも。かれいまゆくさきも、なほさるふしのあらむには、しかおもほしなだらめて、罪おかしあやまてらむをも、神直日大なほびに、見直したまへと、かしこみかしこみまをす      』

●本居大平翁 (『藤垣内集』卷三、藤垣内集翁著、所收) 
『 賀茂眞淵大人の像によみてかける歌     太平

古ことの、學のわざを、はし弓の、始めいざなひ、諸人を、教へましける、縣居の、大人の功は、鳥がなく、東の國に、名かゞせる、富士の高ねの、天そそり、高きが如く、彌高に、あふぎかしこみ、しぬびまつらむ
      ふるごとの、まなびの親と、よろづ世に、いひつぎゆかむ、縣居の大人      』


●佐々木信綱博士『賀茂翁百五十年祭を迎へて』(大正七年十月)
『今や、前古未曾有の世界的大戰爭も、漸う終を告げようとしてゐる。社會すべての方面にわたつて、戰爭諸々の變動が生ずべきことは、今日より想像するに難くない。その新しい形勢に際して處してゆくべき我が國將來の時局の重大であるべき事は、固より想像するに難くない。
 國家の將來に關するこれらの大きな複雜な問題に就いて論及しようといふのは、固より吾人の目的でない。併し、ここに考へざるを得ない一事は、國民の間に、更に新たなる國家的自覺の生ずべきであらうし、また生ぜしめなければならないといふことである。しかしこれとともに、特に述べたいことは、我等が祖國の研究といふことが、この期に臨んで當に興るべきであるといふことである。しかしてこの研究こそは、上記の自覺の基礎とならなければならぬものである。
 かく考へてくると、吾人として特に想起せざるを得ないのは、吾人の先輩たる江戸時代の國學者の事業である。契沖春滿に興り、眞淵宣長篤胤等と繼承したこれらの學者の國學上の功績に就いては、こと新らしく述べるまでもないが、それらが實に祖國に對する學問上の立派な研究であつて、この研究にもとづいた自覺が、明治の維新の源となり、やがて今日の盛代の基となつたことは、吾人の忘れてはならぬことである。吾人は、今日に於いて、實にこれらの先輩の精神を發揮するの大いに必要なるを感ぜざるを得ないのである。
 しかして今年今月は、特にこの先輩中でも最も強い光を放つた一人なる縣居賀茂眞淵翁の百五十年に當るのである。眞淵翁の透徹した識見と、凜乎たる意氣とが、その學問と相俟つて後人を激勵し感奮せしむるものの多いことは、その著作の一篇をだに讀まば、何人も感得し得べきところである。しかしてこの、眞淵翁の人格と學識とが、宣長をも生み、篤胤をも生んだのである。その更に、新たなる力となつて、新たなる祖國の研究に一大刺激を與ふべきことは、いふまでもない。かく考へ來れば、今次の百五十年祭は、決して尠少ならざる意義を有すると言はねばならぬ。
 翁の五十年祭は、今より百年の昔なる文政元年に、翁の終焉の地たる江戸、及び郷里なる濱松に於いて行はれた。江戸では、翁の學統を承けた清水濱臣、高田與清等が、品川東海寺なる少林院で、追悼の會を催した。濱松では翁の養家の梅谷家を祭場として、門弟内山眞龍を主とし、宣長門下の遠江の學者等が事に當り、歌會の催しもあつた。この時の結果として、後年岡部郷の賀茂神社の境内に、縣居靈社が建設された。斯くの如く五十年祭は相應に盛んではあつたが、なほ郷士的性質を帶びたものであつた。濱松に於ける百年祭は、更に注意すべきものがあつた。そは前々年から計畫されて居たが、恰も慶應戊辰の年に當つたので、鳥羽伏見の戰報にうながされて、遠州の國學者及び土豪等が、翁の靈社の前に盟を結んで、報國隊を組織して國事に盡くした。かくて百年祭は、當時の時勢にふさはしい別なる形式を以て營まれた觀をなした。  
 今や眞淵は、固より郷土的の人物でなく、實に國家的偉人である。しかして吾が國は昔の日本でなく、世界の日本である。この國家的偉人をば、廣く國民と共に記念したい』と。
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by sousiu | 2013-05-02 18:36 | 先人顯彰

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