「國學」に就て。その三 

 大川周明博士が『以來、予の魂は專ら祖國を跋渉』し、『予は勇躍して予の全心身を日本其者の爲に献げねばならぬと感ぜざるを得なかつた』として、魂の遍歴を重ねつゝ、皇國に歸結したことは昨日述べた。
 これは思想信仰の偉大であり、その齎せた結果であると認めざるを得ぬ。敵を罵倒して生れる結果が幾許であるかは不明だが、思想や信仰に偉大なる力が籠められてゐるのことは、最早うたがふ餘地もあるまい。

 而して、その思想や信仰が外來の模倣に過ぎぬ代物ではならんのである。くどいやうであるが、こゝに「國學」の重要視されなければならぬ理由がある。

 前囘[「國學」に就て。その二]http://sousiu.exblog.jp/18706474/に於て、「國學」の名稱に就て記したが、今度は皇學館大學の教授でもあつた重松信弘翁の論を拜讀しつゝ、も少し「國學」に就ての認識を深めてゆきたい。


●重松信弘翁『國學思想』(昭和十八年七月一日「理想社」發行)に曰はく、
『國學は長年月に亙つて發達した學問であるから、その概念は全般を見渡して考究すべきであるが、一般に國學に魂を入れた荷田春滿、或は學的に最も發達せしめた本居宣長等の説によつて考究するのが常である。この二人によつて國學の概念は定められたとも云へるから、ここでもこの二人の説を中心として考へて行くが、先づ自己の學に就いて精しく物語つてゐる宣長の説から見よう。宣長が古事記傳の大著を完成して、彼の學の最も圓熟した六十九歳の時に書いたうひ山ぶみは、最もよく自己の學の全貌を示してゐる。先づ「皇朝の學問」のすぢが四種あるとして、第一には神代紀を主として道を學ぶ神學第二には官職・儀式・律令・故實・裝束等を學ぶ有職の學第三には六國史其他の古事より後世の書に迄及ぶ國史の學第四には歌をよみ又古い歌集物語等を學ぶ歌の學とした。春滿も精しくはないが神道・法制・國史・和歌の四方面を研究の内容として擧げてゐる』と。

 曰く、
『宣長は漢學が當時單に學問と云はれたのと區別する爲に、和學・國學等云ふのはよくない。漢學をこそ分けて漢學と云ひ、皇朝の學はただ學問と云ふべきである。紛れる時は「皇朝學」とも云へばよく、和學・國學など云ふは 皇朝を外にした云ひ方である。皇國の事は内の事だから國の名を云ふべきではない。此事は大和魂を堅める一端になるから云ふのだと説いてゐる。玉かつまでは「國學と云へば尊ぶかたにもとりなさるべけれど、國の字も事にこそよれ、なほうけばらぬいひざまなり」としてゐる。春滿の創學校啓の流布本には國家之學・皇國之學・國學等とあり、草稿本には國家之學・皇倭之學・倭學等とある。「倭」「和」はよくないとしても、國學は宣長自身も「尊ぶかたにもとりなさ」れるとするのであり、今日に於いてはその「尊ぶかた」の意にとり、宣長の云ふ 皇朝學の意に用ゐてゐるものと云へる。春滿が國家之學・皇國之學等と云ひ、國學がそれらの約言と考へられる用法をしてゐるのも、宣長の云ふ 皇朝學の意と異るものではないと思ふ』

併し問題は國學と云ふ事の當否にあるのではなく、宣長が自己の學についてそれ程潔癖に云ふ事の精神そのものにある。即ち國學の名稱が 皇國の學とか日本國の學とかの意にとられるとしても、それ程の指稱さへも他との對立意識の上に立つが故に宣長には不愉快なのである。儒學・佛學其他種々の外國の學は「皆よその事」なのであり、自國の事はそれらと位次を異にする獨自の地位を占むべきものとするにある。「吾はあたら精力を外の國の事に用ひんよりはわがみづからの國の事に用ひまほしく思ふ」のであり、「よその事にのみかゝづらひてわが内の國の事をしらざらんはくちをしきわざ」なのである』

『宣長には外國の學問をするのもそれは自國の學問の爲であつた。漢籍を讀まねば日本の古代の事は判らないから讀むべきであるとして、「からぶみを見るには殊にやまとたましひをよくかためおきて見ざれば、かのふみのことにまどはさるゝことぞ。此心得肝要なり」と云ふ。平田篤胤が漢籍・佛典・切支丹の書迄を研究したのも、叙上の意味に於いてであつた。その學は支那を認識する爲に支那學を研究し、印度を識る爲に印度學をやる立場ではない。その立場はあくまで自國を識り自己の道を識る事、殊にそれが古學たるが故に、自己存立の根元を究める殊に外ならない。宣長の國學は 皇であり、自ではあつても、日本の意とはしたくないのである。何となれば日本國の學と云ふ名稱は第三者の立場からの名で、他國人が研究する場合の學問の性格を表はすが、宣長の學は他國人の日本研究とは立場を異にする「御國の學」であるからである』(下線は本文のマヽ)と。



 本道ならば、春滿、眞淵兩大人に次いで、宣長大人、篤胤大人と續く可きであるが、注目に値する文獻も甚だ多く、研究不足であることから、他の文獻やことがらに即しつゝ、兩大人を紹介してゆきたい。氣長にお付き合ひくださりますやう、乞ひ申す。
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by sousiu | 2013-05-08 00:29 | 日々所感

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