御無沙汰です(^^;) 

 久し振りの更新である。

 實は前囘來、久しく筆を進むる能はざることに些かの理由あり。
 前囘の主旨は、熱情の若者たる伊勢の下山青年に向けて記したものであるが、續きを書かむとしたるにその折、安請け合ひしたる寄稿の内容に困つてそれに書いてしまつたのである。「不二」及び「芳論新報」は、下山青年の許にも屆いてをり、加へて彼れ、先般の時對協定例會後、拙宅へ三泊四日したものなれば、微志の意見交換するに充分時間あり。然るに筆も停止してしまつた次第である。
 かくも面白からぬ内容の日乘を、お見捨てなさることなく御訪問下さる方には私事にて中斷し、全く面目も無いのであるが、ま、抑も日乘とは私事の上のこと、御高恕いたゞきたし。今後も鋭意拙筆を振つてまゐりますので何卒、御見守りくださらむことを。幾重にも御頼み申す次第である。

 さてゝゝ。その下山君であるが、「芳論新報」ほか、文章奉皇にも餘念なく、ことに 皇國に佛法は要らぬとの信念もて佛魔退散の氣勢を常、擧げてゐる。
 對佛に就て枝葉は兔も角も、大體に於て野生も同意である。たゞ野生は彼れの如く、朝起きて夜寢て、而して夢にまで佛魔退散を叫ぶ者ではない。本人もにはかに自覺してゐるやうではあるが、健康者か病人かどちらであるか、と問はれゝば彼れはまがふことなく病者の類ひであらう。間を取つても半病人だ。まアそれが彼れの個性であると云へば個性である爲め、それを大事にして欲しい。大勢集るとヘイトスピーチを發しながら、獨りでは自ら毆り合ひひとつせぬ御仁と比べれば、その信念、霄壤に齊しき差あると云ふも可なり。
 彼れの將さに螳螂の斧もて牛車に立ち向かはむとする、その意氣諒なり矣。及ばずながら野生も錆付いた斧を揮はずんば能はず。

  * * * * * * * * * *

 あまりにも前囘の記事と無縁であるのも宜しからぬので、僅かながら細い一絲の繋がりは持たせねばなるまい。

 曩に記したやうに、徳川三百年の泰平に於て、國學者や尊皇儒者などは文弱に流され臆病の風に吹かれ徒らに幾星霜も惰眠を貪つてゐたわけではない。嘉永年間より慌たゞしくなりたる時代の趨勢の如く、拔刀し筒から火を放つやうなことは無かりしも、決して思想戰、信仰戰を放棄したるものではなかつた。鬪爭、焉んぞ、武器彈丸を用ふるのみにあらんや。寧ろ思想戰、宗教戰爭といふ意味に於ては、盲人の看做す所謂る武器彈丸無き「泰平無事」の時代こそ激烈なれ。

 よつて淺學なるも、次囘より先人の筆戰を紹介致したく之を試みるものである。

 今日を顧み、戰はむとする有志、その意氣こそ高らかなれ、果して今日は武器彈丸を用ひる可き秋にあらんか、否か。
●元祿十四年、徳川光圀公、『桃源遺事』に曰く、
功名を立てむがために、治世に亂をおもふは、治平の奸賊也』と。

 若し現代これ尊皇家に運動が要求されるとするならば、銃器の扱ひを習ひ武器の蒐集に奔るよりも、先達が孤獨(否、孤高と云ふ可き歟)と彈壓に耐へながらも克苦精勵、大和魂を固むる爲め敬神好學にひたすら殉じた遺志を繼承す可きであると思ふが果して奈何。
 敬神好學の、萬端整ひたるが故に、いざ時代の將さに拓かれむとする折柄、人士は尊皇尚武となる能うたことを決して閑却してはならない。而して思想戰も宗教戰も、確固不拔たる信念と之を裏付ける見識、その見識を構成したる學問あらずんば、已んぬるかな、憐れむべきかな、忽ち對手に打ち負かされてしまふものなるぞ。

 上手に抄録出來るか否か、一抹の不安あれども、頑張りますので、請ふ御期待。





 
[PR]

by sousiu | 2013-07-17 17:50 | その他

<< 「辯道書」と、「呵妄書」及び「... 所謂る「運動家」でありたいのか... >>