「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その一 

●大壑 平田篤胤先生『呵妄書』(享和三年癸亥十月刊。『平田篤胤全集 卷二』明治四十四年六月廿日「一致堂書店」發行、所收)冒頭に曰く、
『辯道書にいはく、  神武天皇より三十代欽明天皇の頃までは本朝に道といふ事未だ有らず、萬事うひゝゝ敷候處に、三十二代用明天皇の 皇子に厩戸といふ聖明の人生れたまひ云々、文明の化を施したまひ候。 ~※純が文の引用なり~

 往昔(いにしへ)より 皇國(み-くに)の學をもとなへて神典をも説教へし、百(もゝ)識者等西戎(か-ら)國に嚴重(おごそか)なるをしへの道有ことをうらやみ 皇國の古にもさる教の道有りとていふは、皆僻言(ひが-ごと)なる中に、太宰純獨(ひとり) 皇國の古には、道なかりしことを云ひ顯して是を辯ず。實に卓見とも云ふべきか。然れども此人、いたく西土の道に拘泥(なづめ)る心に道なきは、いと惡しきことよと僻心得(ひが-こゝろ-え)して、漢土に道有ることをたけき事に云ひて 皇國をいひ貶(おと)さんとする心よりいへる説(こと)なれば、是も倶(とも)に僻言(ひが-ごと)をのがれず。殊に此人、皇國の書籍(ふ-み)をば、掻撫(かい-なで)に少し計り讀ていへる言なれば、書中 皇國の古をいへる、すべて輕卒(う-き)たる事のみにて甚々(いと-いと)稚(をさ)なく、更に云ふにも足らぬものなるを、然る故をも知らで其書をいたく信じ居る人も多かれば、今其人々の爲にとて云ふなり』と。


●曰く、
『書中、皇國の古へをいへる、餘りに稚(をさな)きを見れば、若(もし)くは書紀をば讀ずして後の世の法師どもが、聖徳太子をば佛法最初とかいひて、いみじく尊げに、僞り作れる書どもの種々有るを讀て、夫れ等に據りて云へるにあらじか。又、聖徳太子の官職を定め、衣服を制し給へることなど云ひて、本朝に於て厩戸の功は制作の聖とも云ふべき人にて候など云ひて、聖徳太子の爲始(し-はじ)め給へるがごとくいへるも甚(いた)く違へり。すべて陋識(らふ-しき)なる學者には、まゝ 皇朝の古へには、官職も何も無かりし如く思ふ者も有れど、是は書紀の 推古 孝徳の御卷などを惡くこゝろ得(え)過(あや)まりたるものにして、更に云ふにも足らぬこと也。かゝる輩はこの御代々々の頃までは、朝夕の御食(み-け)をはじめ何事も 天皇御自爲賜(み-みづから-し-たま)へることゝ覺えたるなるべし。いとゝゝ文盲なることなり』と。


●曰く(※、■平一)、
近頃舊事本紀といふ書を太子の著述とて珍重する人有之候。其書を見候に近世の人の僞作なる事證據明白に候。 ~※純が文の引用なり~

 是(こ)は呵(しか)るとには有らねども、爰に僞書なりといへる舊事本紀は、今の世にある十卷のを云へるにあらず。七十二卷ありて一名を大成經ともいふものゝことなり。然云ふ故は、近頃と云ひまた近世の人の僞作なりと云へるにて知られたり。今も行はるゝ十卷の舊事本紀も後世人の僞り輯(あつめ)たるものなれど、中昔の僞書にして本朝月令[此書は延喜の中頃に勅撰の書なり]はじめ近世迄も大かたの物知人等、みな惑て是を引證し、八百年來の僞書にて、中々純が輩の僞書と云ふことを知らるべき書にあらっず始て僞書のよしいへるは桂秋齊なり。舊事本紀僞書明證考と云ふ書一卷を著して是を辨じたり。是より縣居翁[賀茂眞淵大人、書中みな同じ]または伊勢貞丈大人など僞書の由云れたり』と。


●曰く(※、■平二)
凡今の人神道を我國の道と思ひ、儒佛道とならべて是を一つの道と心得候事大なる謬にて候。 ~※純が文の引用なり~

 神道は吾が國の大道にして、天皇の天の下を治め給ふ道なれば、儒佛の道とならべ云ふまでもなく、掛(かけ)まくも可畏(か-しこ)けれど、上 天皇をはじめ奉り下萬民に至るまで、儒佛を廢(すて)てたゞ一向(ひたすら)に神道を信じ尊まん事、更に謬(あやま)りにあらず。純が世に在(あり)しほどまでは未唯一(ゆひ-いつ)兩部の輩のみにして眞(まこと)の道を説くものある事なく、神道といへば錫杖をふり或は鈴をならし大祓詞[俗に中臣祓といふは誤なり]を唱へ其外あやしきわざをのみ目(め)なれし時なれば、爰に神道といへるも專(もつぱら)夫れらをさして云へるにて、實に神道を知りて云るにあらねば、深くとがむべきにあらずといへども、此書を讀(よめ)る人々の 皇國の道は、實にかゝることよと思ひて謬らんことの長息はしければ辨ふるなり。次々に云ふを見て、眞ノ道は俗(よの)人の思ふところとは、大に異なることをさとるべし』と。


●曰く、(※、■平三)
神道は本聖人の道の中に有之候。 ~略~ ~※純が文の引用なり~

 太宰のみならず、すべて儒家者流のいはゆる神道は、如何にも周易[上象傳大觀の章]に見えて、爰にいへるごときことを神道といへり。然れども 皇國の道をも本聖人の道の中にありと云ひて、同事に思ひたるは神道と書る文字に拘泥(なづめ)る大いなる僻言なり。今其よしを委曲(つばらか)にいはん。まづ 皇國の道に云ふ神と、周易の神道に神とさすものとは、いたく異なり。其故は周易に神と云は純が云へるごとく、天地の間にあらゆる事どもの人力にあらずして、自(おのづから)に行るゝ其靈妙なる處を神の所以(しわざ)として神道とはいへるなり。然れども實に神と云ふ者有りとていへるにあらず。たゞ其妙なる處をさして假に設ていへる號(な)のみなり。[周易繁辭に陰陽不測之謂神といひ、説卦に神也者妙萬物而爲言者也]其よしは人の云ふを待(また)ずして儒書よむ人は、皆よく知れることなり。また 皇國の道に云ふ神は、古事記書紀の神代の御卷に見えたる、天地の諸(もろゝゝ)の神々にて、[また鳥獣草木山海其餘も尋常ならず、可畏ものを神と云ることあり。委くは吾翁の古事記傳に見えたり]假に設けていへる號に非ず。其神々のはじめ給へる道故、神道とは云ふなり。[古へに通ぜざる人はかく云ふを聞てもまづ疑ふべし]道の體を神妙(あやし)とほめていへるにては無きなり。 ~畧~

 古へより百(もゝ)の識者等(ものしり-びと-たち)のみな古へを解誤(とき-あやま)れるは、かゝる事に心付ず、古意古言をば尋んものとも思はず。たゞ漢説(から-ごと)の理と文字とのさだめをのみ旨として迷へるが故に、眞(まこと)の處を曉(さと)り得ざりしなり。純が周易の神道と 皇國の神道とを同じことなりと云へるも、皆、文字に泥(なづ)めるが故なり。[すべて 皇國の古は文字によらずして解ざればさとりがたし]すべて少しにても似寄(に-より)たることあれば、強て西土(から-くに)を本なりと云ひて、いはゆる牽強附會を云ふは、普通の神道者と西戎書籍(からぶみ)にのみなづめる儒者どもの癖なるぞかし』と。

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by sousiu | 2013-07-22 23:36 | 大義論爭

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