「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その二 

餘談であるが先般、かういふ話しがあつた。

 寄稿させていたゞいてゐた文章に誤字であつたかと心配になつた箇所あり。ネツトで確認してみたところ、どうやらやはり誤字であつたやうで、早速編集部に訂正を依頼した。
 ところが野生の日頃親しくさせていたゞいてゐる某兄が、御製集ほか確認してくださつたところ、當初が正しく、インターネツトでおほく書かれてある御製が誤記であるとのこと。兄曰く、以爲らく、はじめにどなたかが誤つて書いたところ、それを參考にした人が又た誤記のまゝ掲載し、それが遂に拡がつてしまつたのではあるまいか、と。

 インターネツトによる情報の怖いところである。誰れしも簡單に發表出來る爲め、公開された情報には自づと眞僞の二つが生じてしまふのだ。「便利」になることは宜しい。しかし簡易に調べられる爲め、これからの世代が「調べる」といふことの大切さを、決して安易に思はないで欲しいと思ふ。簡易と安易は違ふのだ。

 であるからして、こと先人の玉文に頼つてばかりゐる野生の場合、聊か煩はしいやうではあるが、一々出典を明らかにしてゐるのである。固より、野生が文章の入力に間違へてしまへば元も子もないので、これでも愼重に入力してはゐるつもりだ。(時折、備中處士さんから誤記を指摘されるが・・・汗顏)

 ところで古書を譯した本や活字の復刻本はどうかと云へば、これさへ少なからず注意をおかねばならない。これから記すべき『辯辯道書』も、少なからず活字本との違ひが目立つ。差しさはりの無い誤記ならば兎も角、前後の内容が繋がらなくなつてしまふほどの誤記には困つたものである。甚だしいものになると、已に書名が誤つてゐるものさへある。

 然るに江戸時代などの古書の場合、板本を根據とするのが理想であり、目下、インターネツトで公開してゐるものも少なくないので大助かりだ。この點に就いて云へばネツト普及の恩惠として素直に喜びたいところである。

辯辯道書、板本↓↓↓↓
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=XYA8-02010&IMG_SIZE=&IMG_NO=3

辯辯道書、活字版↓↓↓↓(※青字部分、これだけの誤記があつた)
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もう一册の活字版↓↓↓↓(こちらは書名そのものを誤認して記してゐる)
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 よつて辯辯道書は上記urlを典據とし抄録する。野生同樣の深刻なる閑人あらば、野生の入力間違ひを探してほしい。


 また、如上、「辯辯道書」は、篤胤先生の「呵妄書」同樣、「辯道書」を痛烈に批判してゐるものであるが、その批判すべき主旨は兩者必ずしも一致してゐるわけではない。寧ろ、中には懸隔の大なる意見も珍しくないのである。これは學統の相違、延いては儒者と國學者の根本的な見解の相違である。繰り返すが野生は敢へて、どこまでも日本的立場に立つて「辯道書」に斧鉞を加へんとするこの兩者の主張を選んだのである。能く々ゝ注意をはらうて御一讀されたし。



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●佐々木高成先生『辯辯道書』冒頭に憤慨して曰く、
『今年(※元文二年)正月の末、日本書紀の卷の第三、神日本磐余彦天皇の紀を講じ終りて後、諸生各(おのゝゝ)敬拜して問(とふ)ていへらく、頃日(この-ごろ)東武より歸坂せし醫師、辯道書といへる書を携へ來りしを、各熟覽仕(おのおの-じゆく-らん-せ)しに、塩土師の日頃の教とは、參商(しん-しやう)矛盾し、宛(あたか)も水火の相尅(さう-こく)するがごとし。吾國に道なき事を論じて儒教に偏黨(へん-たう)し、無體無理の辯、僕(やつがれ)ごとき碌々たる小子といへども、是等(これ-ら)の邪説にまよふことなし。然れども神教を知らず、吾國の事に踈々(うと-うと)しく、一筋に西土の儒教を信ずるの輩、此邪書を見ば、これに混乱せられて一盲衆盲を導の災おこらば、吾道の荊■(艸冠+棘=けい-きよく)秦蕪(しん-ぶ)甚しかるべし。師是を辯し給はゞ天下後世への賜(たまもの)なるべし。この辯道書を熟覽して批辯を下したまふことを願ふ處也と。予、その書を開き一周覽して書を地に投て大息す。嗚呼、是等の邪書、識者のまどふべきにあらず。然れども事の害をなすの起りは毫厘に差(たがひ)て千里に謬(あやま)る。實(まこと)に万里の堤蟻(つつみ-あり)の穴より崩れ、原野のひろき石火より燒く。所謂、不裁毫末尋斧柯(※毫末を裁(たた)ずして斧柯を尋ねず)と。よつて予、これを批辯するのみ』と。


●曰く(※、■佐二)、
『伏て以(おもんみ)るに神國に生れ、神國の養ひをうけ、神國の教を得て、今日を立ながら、それに神恩をおもはずして、吾國に道あり教あることをも辨(わきま)へず、國神の罪人となりて、狄人(てき-じん)戎者(じう-しや)となること、あはれむべし。先吾國道の大根元は、神代卷に見えたるがごとし。彼舊事紀を始として、僞書のやうにいひなせども、日中を暗夜と云よりも愚なり。我國神代より傳へたる道は、廣成が古語拾遺の自序に書たる通り、おのゝゝくちずからとなへ(※口づから唱へ)覺え、正直質素の道を守る。又書に傳へ來たる所の神典も、入鹿が乱に悉く燒失す。たとへば異邦秦火に普く聖經の燒失たるがごとし。依て家々に傳へ、彼所(かな-た)此所(こな-た)に渉りたる所の口決(く-けつ)又は傳書等を厩戸の皇子、勅をうけて撰し玉ふが舊事紀なり。古事記は安麿、勅を受て是を編(あ)み、日本書紀は一品舍人親王詔命を受て是を著述し給ふ。此事歴代の帝王傳へ來らせ給ふ處の眞書にして、其紛(まぎれ)なきこと歴々焉(れき-れき-えん)として天下周(あまね)く知る所なり。作者(※太宰純のことなり)三部の神典の妙理を見ず、剰へ曲学者が家の儒經にもくらし。孔子以前を古學と談じ、此書の中にも理学者流などといへるは程朱の道を学ぶ者をおとしての詞なり。辨道者が古學の井蛙(せい-あ)の見(けん)にては、程朱は大海のごときの道徳なれば、見ること叶はざるも然り。予、儒學に黨するにあらねども、曲學者儒者たるを以て是を論ず。朱子は孔子以來の一人にて、顏曽(がん-そう)と肩をならぶるの大賢なり。此儀談ずべき事多端なれども我道に与(あづか)らざることなれば爰に略す。忝(かたじけなく)も吾國は天地日月の神靈直(じき)に降化御座(まし-まし)、又、胎生(たい-しやうし給ふ。天地中正の道、吾國)に極りて其徳、磤(石+殷)馭■(石+盧)嶋(おの-こ-ろ-しま)の國号に備(そなは)る。辨道者が称して西土を中華といふは、あちらこちらの取ちがへなり。天照大神の勅言に、豊葦原中國(とよ-あし-はら-なかつ-くに)とのたまふ。是其證據なり。神代卷は、垂加(すゐ-か)靈社(れい-しやの)日記にして載道(みちを-のする)ものなりと、是千古の格言にして、近世神書を發明するの師といへども及ばざる所也。道は一門のみ。其道天地に充滿して無外無内(ほか-なく-うち-なし)、道あらざる事なし。これを明(あきらか)にするは我國上古の神人なり。其神光の余り外國へ及ぶものなり。吾國の教(をしへ)天地人物自然の道あり、自然の教あり、自然の神性あり』と。


●曰く、
辨道者等が古學は古學にはあらずして固學なるべし。眞正の古學といふものは程朱の學なり。孔孟程朱(こう-まう-てい-しゆ)其揆(その-き)一也。次に神代卷に、故(かれ)曰(いはく)、開闢之初といふより、乾道獨化(あめの-みち-ひとり-なる)。所以成此純男(この-ゆへに-この-をとこの-かぎりと-なる)といふまでは、吾國の万國にすぐれたる事にて、昭々明々たるの明文なり。一物(ひとつの-もの)は國常立(くに-とこ-たち)、吾國常盤(とき-は)堅盤(かき-は)に繁榮豐饒となるの神徳、寶祚(あまつひつぎ)の太祖なり。國常(くに-とこしへ)に立(たつ)の證據は、開闢以來、外國(とつ-くに)の夷(ゑびす)より吾國を犯すことあたはず。神代の昔、三韓(かん)蝦夷(ゑ-ぞ)吾國に敵すといへども、素尊(そ-そん)五十猛(い-そ-たける)、又は武甕槌(たけ-みか-づち)、經津主(ふ-つ-ぬし)の二神等降伏し給ふによつて忽(たちまち)に退聽す。其後三國の時、呉の孫權兵船を催し吾國を犯すといへども、神助に依て即時に敗北す。近世元の世祖周く四海を併呑し、又兵船數千艘を起し、十萬の人數を以て吾國に敵す。當時伊勢、加茂、春日へ奉幣あつて、伊勢内外宮及び加茂、春日等の大社より神風起て、十萬人の賊船殘らずくだけやぶれて存命のもの纔(わづか)に三人。此事吾國書に見えたるのみにあらず、通鑑綱目續篇(つ-がん-かう-もく-ぞく-へん)に委曲に述てあり。世祖重て日本を攻ることを止(やむ)。是(これ)國(くに)常(とこしへ)に立(たつ)の效(しるし)なり。曲學者が称美する中華は、天建(てん-たち)地建(ち-たち)といへども人道立(たゝ)ず、乱臣賊子の無道多し。 ~畧~』と。


●曰く(※、■佐一)、
異邦は天地開闢より纔十人余りの聖人世に出(いで)て、孝弟(かう-てい)忠信(ちう-しん)人倫(じん-りん)の道を教ゆといふども、有名無實にして其道行はれず、秦(しん)漢(かん)の世より今、清(しん)の世に至まで治乱興廢の實歴史を以て見れば掌を指(さす)がごとし。曲學者いへるとは裏表にて、吾國は開闢より人倫の道たつ。異邦は辨道者にいへるごとく、古(いにしへ)は禽獣同前の人にて、父子(ふ-し)夫婦(ふう-ふ)となり、兄弟婬(いん)を犯す。それを聖人をしへて人倫の道、明(あきらか)なりと。なるほど異國は風土(ふう-ど)惡敷(あ-しき)の下國なれば左(さ)もあるべし』と。
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by sousiu | 2013-07-23 13:47 | 大義論爭

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