「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その四  

 承前。


●大壑 平田篤胤先生『呵妄書』(享和三年癸亥十月刊)に曰く(※、■平七)、
されば天の命、鬼神のしわざは何の理何の故といふ事を、聖人も知りたまはず。只畏れて敬ふより外のことなく候。 ~※純の言の引用なり~

 天の命と云ふは、既にいへる如く皆聖人の寓言にて、更に畏ろしきものにては無きを、神の御所爲(み-し-わざ)は可畏しともかしこく、聖人は更にも云はず、掛けまくもかしこけれど現御身(うつし-み-み)ながら神にまします 天皇にも、神の御所爲は何の故、何の理と云ふことなく、其御あらび給ふ折はしも、ひた畏れにおそれ給ひ、ひた敬ひに敬ひ給ひて、かしこみ和め奉るより外なく、甚(いと)も々ゝゝかしこく尊きは神の御所爲になんある』と。




●曰く(※、■平八)、
今の世に神道と申し候は、佛法に儒者の道を加入して建立したるものにて候。此建立は眞言宗の佛法渡りて後の事と見え候。吉田家の先代卜部兼迄も(※愚案、「より」の誤記なるべし)世に弘まり候と見え候云々。 ~※純の言の引用なり~

 爰に吉田家の神道を破りていへること共、大概は當れり。然れ共、かゝる淺まなる附會の説をとらへて、皇國上古よりの大道を混じ議するは、例の掻撫(かい-なで)に古書を讀て、後世に作りかまへたる妄説の雜書共に、すがりていへるからの謬りなり。人の説にのみ據りて、己が意をもて濟すことなきは、己が眼をもて書をよまず、人の眼を借りて書をよむと云ふ物也。何ぞ己が眼をもて古書をよみ、己が意を以て濟さゞりけん。すべて世の人、我が好む所にのみ執着して、我が道の外なるをば人の談(かた)るをきゝ、或は其よりの書をば片ばし讀て、ひたぶるに廢せんとす。謂(おも)ふに、こは學問者(もの-まなぶ-もの)の甚(いた)く禁(いまし)むべきわざなり。  ~略~

 まづ神道と云ふに、五つ六つの差別あり。今其よしを委曲(つばらか)にいはん。
 一つは周易に謂ふ所の假に設ていへる空名の神道。此ことは既に云へり。
 一つは法師どもの謂ふところの神道。本地垂迹などゝ云ひて、譬へば 天照大御神を本地は大日如來と云ひ、八幡宮の本地は彌陀、稲荷の本地は十一面觀世音などいへる類、すべて其の謂ふ所の妄りなること、是に准(なぞら)へて知るべし。
 一つは吉田家にとなふる處の神道。其趣は純がいへるごとく、外には佛法と敵するがごとくにて神道の名目をかり、佛道を本として作れるものなり。
 一つは出口延佳、山崎垂加などが神人唯一と稱ふる所の神道。是(こ)は吉田家の神道を本として作りたるものにて、何れも宋儒の學を大いに學びたる人々なれば、彼の佛めける事をば、うるさがりて大概は除きたれども、なほまた理説を取り込み、彼の小さき理に迷へる漢意(から-こゝろ)に神代には奇怪(あやし)きことのみ多かることをあかず思ひてや。今よりして見れば奇と思はるゝ古事を、みな今の事理にかなふさまに説成し、造化の神、氣化の神、身化の神、心化の神などの様に更になき名目をさへ杜撰して、其さしつかゆる處に至りては、曲言の文など云ひて、實に火を水と云ひなしたる妄説どもなり。

 なほ委く云はゞ法師どもの云ふ處の神道にも、眞言僧の説と法華僧の説とも差(たがひ)あり。理學者流の神道にも、三つ四つにも別るべけれど、さのみは餘りくだゝゞしければ、爰にはもらしぬ。何れも書紀の神代の卷を、正意と立たるものなり。その後、桂秋齊と云ふ者いで、此者才學の聞え有て專ら古實の學をとなへ、大に兩部唯一の説を難破して、古書の名をぬすみて、妄りに僞本を作り、其僞本を證として古を解るやう、いとゝゝ妄説にして渠が著書ども更に用ふべきものなく、兩部唯一の徒(ともがら)は佛意漢意に惑へるの誤りなれば、其罪あさきを、此秋齊などは實に憎むべきが中の、にくむべき嗚呼の者になん有ける。

 さて 皇國大古よりの神道は、更に彼等が云ふごとき狂言(たわれ-ごと)と等並(ひとし-なみ)にあらず。前にもいへる如く、神道と云ふ稱こそ、後の世に負せたれども、其道は天地の初發(はじめ)に生(な)りませる 皇神等(すめ-かみ-たち)の始め給ひて、更に他國々(あたし-くに)の道のごとく、人知の私に成れるものにてはなく、天孫邇々藝(あめ-みま-に-に-ぎ)命の御天降(み-あ-もり)の時、天照大御神、三種(み-くさ)の神寶(かん-たから)を授賜ひ、~略~  此御國を治らしめ給ひ寶祚之隆當與天攘無窮(※あまつひつぎのさかえまさんこと、まさにあめつちきはまりなかるべし)と詔(のりたま)ひし神勅のまにゝゝ、皇統は常磐(とこ-いは)に榮えまして動き給ふ事なく、三種の神寶を宮中に齋(いつ)き賜ひて、天皇朝夕に尊崇ましゝゝ、~略~ 天皇御自(てん-わう-み-みづから)神祇を祭り給ひ、御政事則御神事、御神事則御政事にて、[今のごとく御神事と朝廷の御政事と斯別れしは、いと後の世のことなり。今をもて古を思ひあやまることなかれ]何事も遠津神代に定まりし古事のまゝに守り賜ひて、さかしらを加へ給ふことなく、諸の臣等(おみ-たち)までも其本つ職を世々に守り來て、奉仕ひまつり、君と臣と互(かたみ)に和らぎむつまじく、[政の字にマツリゴトと云ふ訓あるも、神を祭祀るよりいへる言と、臣等の 天皇に奉仕まつることゝを兼ねたる二つの意ありて委くは爰に盡しがたし]天の下の御民の行ひも直く正しく、少しのをしへ説(ごと)も無りしか共、いと隱(おだやか)に治りしなり。[後世になりて教の書めけるもの、これかれあるはみな漢土を學びたる狂わざぞかし]是は道の純一なるが故にて、儒佛の道渡り來てより、世の中に漸々(ややゝゝ)に邪智奸佞の者いで來て、天の下は漸(やゝ)漢國の如く亂れがはしきことも出來にける。古をよく學べるものは誰も知れる事也。抑々學問を爲(す)る者の、我が古をも知らず々ゝゞ、うかゝゝと有らんと云ひもて行けば、我が先祖は如何なる人ともしらずあると同じことにて、世に口惜しきわざにあらずや』と。



 以前に斷つてあつたが、この『呵妄書』は篤胤先生の處女作といふべき書にして。この書を以て篤胤先生の思想信仰の全てではないことは云ふまでもあるまい。固よりこれより後の遠大なる思想的探究、信仰的追及の成果は『呵妄書』を以て圖る可きではないのである。

 とは云へ當時に於ける論爭として、吾人は一讀の價値を充分認めなければならない。
 今囘はこれまでとして、次囘へ繋げる。

 天候不順、水難襲來。どなた樣も御用心を。
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by sousiu | 2013-07-28 23:08 | 報告

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